A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

旧友ミンガスのラストレコーディングに駆けつけたペッパーアダムス・・・

2014-12-10 | PEPPER ADAMS
Something Like A Bird / Charles Mingus

ペッパーアダムス関連のアルバム紹介が続く。前回は1967年サドメルが誕生し、それに参加すると同時にブルノートへのセッションへの参加が続くアダムスの軌跡を追っているが、今回はサドメル退団の後のセッションとなる。

参加から10年過ぎた1977年にサドメルを退団し、フリーのソリストとしての活動を始めたアダムスであったが、その年の最後の録音は12月22日の同じバリトンのニックブリグノラとの何となく不本意なセッションであった。

そのセッションでその年の活動を終えたが、翌年78年は年明け早々、旧知のチャールスミンガスのセッションに参加する。アダムスとミンガスの出会いは古い。アダムスがまだデトロイトにいた時代というからニューヨークに出る前の1955年頃だろう、ライオネルハンプトンのバンドのメンバーとしてデトロイトにきたミンガスと知り合い一緒にプレーをしたとある。

アダムスがニューヨークに出てからはもっと親密な付き合いになる。いわゆるミンガスワークショップにも参加し、あのタウンホールコンサートにもメンバーとして参加した。また、ドナルドバードのコンビ解消のきっかけとなったギャラ未払いでお金に窮したアダムスを助けたのもミンガスである。アダムスにとっては、音楽以外でも恩人の一人であった。
表向き白人嫌いのミンガスであったが、アダムスやジミーネッパーなど白人のミュージシャンも登用していたし、アダムスもミンガスの曲ばかりのアルバムを作り、お互い認め合った仲であった。

サドメル在籍時代は流石にミンガスのグループにレギュラーで参加することは無かったと思うが、今回はサドメルも退団し何の拘束もなく晴れてこのセッションに参加となった。もちろんこれがミンガスとのラストレコーディングになるとは思っていなかったと思うが、病と闘っているミンガスを見ると、今後このような機会が何度もあるとも思えなかったと思う。

ミンガスのレコーディングやコンサートの話を読むと、いつも念入りなリハーサルが繰り返されていたようだ。今回もレコーディングに先立ち15日からリハーサルが始まり、本番も18、19、20日と3日連続で予定されたが最終日が雪でキャンセル、23日に再セットされた。

この時のミンガスというと、すでに発症していた筋萎縮性側索硬化症(いわゆるALS)で車いす生活となり、もはやベースのプレーはできず作曲もアシスタントをつけて行われた。しかし、録音現場には現れ陣頭指揮をとったというので正真正銘ミンガスのプロデュース作品である。その後病状が悪化し翌年亡くなるが、結果的にこのセッションがミンガスの参加したラストレコーディングとなった。

このセッションには、アダムスを始めとした昔からの仲間に加えミンガスを慕う新人も多く参加している。その中に、この時ニューヨークで活動していた大森明やマルタもいた。
他にメンバーリストを見ても、当時新進気鋭の将来のスターの卵がメンバーに多く見受けられる。

そのセッションは2枚のアルバムで世に出ることになったが、その一枚がこのアルバムである。リリースされたのはもう一枚のアルバムMe, Myself An Eyeより、遅れて1981年になってからリリースされた。本当のラストアルバムである。

昔、レコードがSPであった時代、いわゆるPOP、ヒット曲の類は片面に収まる一曲3分が普通であった。ジャズももちろんその範疇で、スイング時代の演奏は短い曲が大部分だった。LP時代になって収録時間が延びたので片面20分の世界になったのは演奏する側にとっても画期的だったと思う。

しかし、LP時代になって時間が延びたとはいえ、レコーディングを前提とすると片面20分強の制約があり、それを超える時間の曲や演奏は基本的には無かった。ところがライブだと時間的な制約が無いので、特にジャムセッションなどは延々と続き、片面に収まらないとせっかくのソロがカットされアルバムとなる事もしばしば。止む無くソロをカットして収めたアルバムも多い。

このアルバムのタイトル曲が初日の18日に録音された。一曲目という事で気合も入ったのだろうスタジオ録音でありながら一曲で31分。最初から制約や常識など無視して作られている。当然LP片面には収まらない。最初にLPで出た時には曲の途中で分かれてPart1とB面のPart2に分かれていた。ミンガスは唯でさえ思い入れが強いが、この30分を超える大作への拘りがあったのだろう。

そのタイトル曲のSomething Like A Birdはパーカーを意識してか、ミンガスには珍しいバップスタイルの曲。大人数のアンサンブルでガレスピーのビッグバンドのような雰囲気で始まる。
ビッグバンドではよくソリストのショーケースとして同じ楽器のバトル物をレパートリーに加えることがあるが、この曲の基本構成は同じ狙い。まずはテナー3人のソロで始まるが、トランペット、そしてバリトンではアダムスとロニーキューバーの対決となる。さらに、ベース、ピアノ、トロンボーンアルトとすべてのセクションのメンバーのバトルが続く。

この曲をミンガスの指示の元に実際にオーケストレイションに仕上げたJack Walrathによれば、最初この曲はSomething from the Pastと言っていた。バードに拘ってといっても、参加した若手のメンバーにとって、バードは過去の一つでしかないので、スーパーサックスの様にするのかというと、ミンガスは「メカニカルな表面的な事ではなくエッセンなんだ」といって、この演奏に収まった。
このようなミンガスの想いにひとつひとつ応えながら、ソロだけではなくその間のアンサンブルワークのアレンジにもミンガスの想いを反映していったようだ。30分を超える大作でソロの比重が高いが、単なるジャムセッションにならないのがミンガスの世界だ。
2曲目のFarewell Farwellは直前に亡くなったファーウェルテイラーに捧げた曲。ラリーコリエル、リーコニッツのソロが光る。

アダムスにとっては、年明け早々の仕事であったが、結果的にソリストとして本格的にスタートする報告を兼ねて、お世話になった恩人への恩返しとなった参加であった。



1. Something Like A Bird

Randy Brecker, Mike Davis (trumpet) Jack Walrath (trumpet, arranger)
Slide Hampton, Jimmy Knepper (trombone)
Lee Konitz, Charles McPherson, Akira Ohmori (as)Ken Hitchcock (as ss)
Daniel Block, Michael Brecker, George Coleman, Ricky Ford (ts)
Pepper Adams, Ronnie Cuber, Craig Purpura (bs)
Bob Neloms (p) Kenny Werner (ep)
Larry Coryell, Ted Dunbar, Danny Toan, Jack Wilkins (g)
Eddie Gomez, George Mraz (b)
Joe Chambers, Dannie Richmond (ds)
Ray Mantilla (percussion)
Paul Jeffrey (conductor)
Charles Mingus (composer, arranger)

Recorded at Atlantic Studio in NYC, January 18, 1978

2. Farewell Farwell

Mike Davis Randy Jack Walrath (trumpet, arranger)
Jimmy Knepper, Keith O'Quinn (tb)
Lee Konitz, Yoshiaki Malta, Akira Ohmori (as),Ken Hitchcock (as,ss)
Daniel Block, Ricky Ford, John Tank (ts)
Pepper Adams, Ronnie Cuber, Craig Purpura (bs)
Bob Neloms (p)
Larry Coryell, Ted Dunbar, Jack Wilkins (g)
Danny Toan (g)
Eddie Gomez (b)
Joe Chambers, Dannie Richmond (ds)
Charles Mingus (composer, arranger)
Paul Jeffrey (arranger, conductor)

Recorded at Atlantic Studio in NYC, January 23, 1978

Produced by Ilhan MImaroglu & Raymond Silvia
Recording Engineer : Bobby Warner

Something Like a Bird
Charles Mingus
Wea
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする