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私、僕、俺

2020-01-11 20:26:15 | 日記
「お父さんは、自分のことをワタシって言うんだよ」と、ボクちゃんが笑い顔になって家人に言ったそうだ。ボクちゃんは、父親が電話で誰かと話すのを聞いていたのだろう。そして、男性が自分を私と言うのがおかしかったのだ。ワタシは女性用語と思っていたのだ。3年ほど前の話である。

そのボクちゃんは今、小学2年生である。ボクちゃんは女の子だから、小学生になって自分をボクと言うのは変だと気づいた。代わりに、ワタシではなく、ウチと言うようになった。己をウチと称するのは関西に多いのだが、それが鎌倉の小学校で流行っているらしい。関西からの転校生がいて、みんながそれを真似するようになったのだろうか。関西語というのは標準語よりは伝染が早い。真似ているうちにすぐに自分のものになることが多い。

私は9歳から16歳になるまで茨城で育った。学校にも近所にも、<僕>という言葉は存在しなかった。教師に対しても<俺>を使った。「山田、おまえ、宿題は?」と教師に訊かれ、「オレ、忘れちゃった」となる。大人でも<僕>を使うのは少ない。私は社会人になってから多くの東北人と付き合うようになるが、岩手、山形、秋田あたりの出身からも<僕>を聞いたことはほとんどない。

私は、<私><僕><俺>を使い分けて生きて来た。もう1つ、<自分>というのがあって、これも使い勝手がいい。会社で上司から何かを尋ねられたときなど、「自分には、××の方が良いと感じられますが」などと用いる。これは、テレビのコメンテーターがよく使う、「私は個人的には・・・」なんていうのよりは、なめらかな気がする。

理系頭脳人間

2020-01-11 18:58:03 | 日記
人間を、理科系・文科系に分類するのは間違いだと思っている。たとえば、渡辺淳一さんはドクターであり、同時に小説家でもある。渡辺さんはどちらに属する人物なのか。私が思うのは、この世には、理系頭脳の人と、そうでない人がいるということである。渡辺さんは理系頭脳の人であり、文才にも長けているのである。

人間の生活の基本は、衣食住である。1枚のシャツ、1きれのパン、1本の柱、これすべて理系頭脳によってつくられたものである。パンの素は小麦である。その小麦から粉を採る。その粉を練って生地を作り、更に焼く、といった工程を考えたのは、理系頭脳である。非理系には考えつかない。すべての人間は、理系頭脳のおかげで生きているのだ。

では、非理系人は何をしているのか。理系頭脳が作った機械で作られたパンを食べるだけでなく、それを売って金儲けをする。どうすればパンが売れるかを考える。色や形、味付けを工夫する。命名も大事だ。メロンの色や味や香りは無くても、メロンパンとネーミングする。

プラスチックを材料にV字形の骨組を作る。V字の先端の片方を小さな長方形のスプーン状にする。もう一方は平のままでよい。サイズは握り鮨を真似る。スプーンの方に酢飯を入れ、平の方にマグロの切り身を乗せてVの字を閉じる。握り鮨の完成である。鮨ロボットの成功である。というのが非理系人間の私の考えたことだ。チコちゃんなら、「ボーッと生きてんじゃねぇよ!」!と笑うだろうが、非理系の頭の中なんて、その程度のものだ。繰りかえす。すべての人は理系頭脳人間のおかげで生きている。