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勝負の難しさ

2020-01-22 10:58:23 | 日記
昨日の大相撲の中日、遠藤 対 炎鵬は炎鵬が完勝した。日経新聞は翻弄という言葉を使っているが、その通りだった。ただ、私のような素人が思うのは、遠藤は相手を掴まえようとする前になぜ押したり突っ張ったりしなかったのか、ということだ。相手が小さいと、突いたり押したりするのは難しいのだろうか。遠藤は立ち合い直後から激しく動き回る相手に、かっとなったのではないか。汚い言い方をすれば、この野郎!である。勝負事では怒って勝つということもあるが、怒りが裏目に出ることもあって、むしろその方が多い。たとえば、野球の投手が打者のカウント2-3からギリギリの球を投げて、それがボールと判定されてかっとなるとき、次打者へのボールは、たいてい打ちやすいものになる。

A,B,Cの3人と麻雀を打つ。仮にそれが会社の同僚であったとしても、どうしても人間的に好き嫌いが生じる。Aは自己中心的なイヤな奴だ。なんとかAを沈めてやろうと考える。Bは気持ちの好い男だ。AとB両方にリーチがかかる。自分は悪手だからアガリ放棄である。Aには安全の牌を打つ。Bに当たるかもしれぬが、それでもいい。だが、こういうときはAが勝つ。そういうことが圧倒的に多い。なぜだかはわからないが、統計的にはそうなっている。麻雀は、この男にだけは勝たせたくないとか、彼が勝つのならいいや、などと考えたらダメだ。私の70年間の統計ではそうなっている。

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