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川柳 五・七・五

2020-01-06 17:30:20 | 日記
「ドラマでは 切れた電話に 語りかけ」という線る湯が新聞か雑誌に載った。誰の作品だったかは憶えていない。20年か30年前のことである。私は、「これは根岸の里だ」と思った。「根岸の里」のことは前にも紹介した。「根岸の里の侘び住まい」という七・五を使えば、はじめの五文字を考えるだけで1句が出来上がる。今日あたりなら、七草粥がいい。「初粥や 根岸の里の 侘び住まい」で形になる。「ドラマでは・・・」も似ている。私はすぐに「ドラマでは すぐに空車が やって来る」と作って新聞に投稿した。これは半分は盗作だが採用された。あと2つか3つ出来たが忘れた。

50歳からの10年か15年ぐらいは、朝のトイレの中で川柳を考えていた。新聞を読みながらのことが多かった。新聞にはテレビ番組のページがある。西村京太郎、森村誠一、和久俊三のサスペンスなどが目につく。日本製のサスペンスは必ず最後にはワルが捕まる。主役のスター刑事が説教する。場所はなぜか海岸、海の見える崖の上、川のほとりが多い。「今日もまた 水辺で終わる サスペンス」もトイレの中で出来た。新聞投稿の面白さは、少なくとも10万人の人達に読んでもらえるのではないかという点にある。

いまなら、ゴーン被告の脱走劇が絶好のネタだろう。終わりの5文字は「金次第」でイケる。しかし、「地獄の沙汰も」に変わる7文字が出て来ない。そこが出れば頭の5文字も出るのだが…84歳の老脳ではダメだ。

1月5日

2020-01-06 17:23:10 | 日記
家人と娘が歌舞伎見物に出かけた。演目のことは知らないが、市川海老蔵主演だそうで、家人は海老蔵よりも息子のカンゲン君が楽しみだと言う。娘は映画館で映画を観るとすぐに眠ってしまうという面白い癖があるが、歌舞伎は音声が大きいから大丈夫だろう。それよりは、家人の外出が大きい。前にも書いたが、家人はデズーキーである。それなのに、年末年始は近所のマーケットへ買い物に行くぐらいしか、外に出ていない。しかも大好きな都会行きである。

ニューヨーク市場が大荒れだ。前日に300ドル上げたダウ平均が週末に230ドル下げて、さて明日の東京は?となるのだが、たぶん、好くない大発会になるだろう。とにかく、イランの軍司令官殺害は暗い。

今年の正月の旨いものは、娘が取り寄せた神戸牛で、さすがの味だ。「老人は肉を食べよ。1日60グラムは食べよ」と主治医が言っているのは、私が貧血気味だからだ。肉60グラムは鶏でも豚でも牛でも、私には難しい。すき焼きでも、肉の周囲のシラタキ、焼き豆腐、キノコ、ネギが好い。しかし、今回の神戸モノは食べた。60グラムどころではない。84歳になっても、味覚は落ちていない。高級品は旨い。「商人はタダ銭は取らない」という格言は正しい。

競馬<中山金盃>は3・7・8・17の3連複の4点買い。7と8はきっちり来たが、3着の1番が買えなかった。元日にテレビゲームの将棋で70分かけてコンピュータに勝利したので、今年はカンが好いかと思っていたのだが。今朝の血圧は139-88。

姪からの年賀状

2020-01-06 17:17:20 | 日記
姪のマリちゃん夫婦が一人娘のマキちゃんを挟んで立っている写真がある。「マキが二十歳になった」と添え書きがある。母娘共にスリムだ。マリは私の妹の、これも一人娘であって、妹も痩身だから遺伝なのかもしれないし、あるいは揃ってツィッギー願望があるのか。

マリは陶芸家であって、私が晩酌に日本酒を呑むときの器は彼女の作だ。ぐい呑み代わりにしているが、本来は小形の湯呑みとして作られたのだと思う。日本酒を少量入れてレンジで温める(ぬる燗)のにちょうど好い。器の裏底にマリの名の「真」の一文字が記されているが、それがかすれて来て風格が出て来た。味が出て来た。姪は陶芸を教えている。生徒が大学の学生なのか、もっと下の学校なのか、あるいは社会人なのか知らないが、自分の趣味を他人に教えるというのは面白いだろう。私は陶芸のことは全くの無知である。まず材料の土はどうするのか。その種の材料店があるのか、それともどこかの山へ行って掘り取って来るのか、それは泥棒にならないのか。

マキは長身である。バスケ部に所属しているらしいから、長身は役立つ。ジャンプ力はどうか。しかし、あまりデカくなると、恋人が出来にくくなる。今は違うかもしれないが、昭和の頃はノッポすぎると男たちに敬遠された。2人並んで歩くときに、男がヒケメを感じるからだった。

姪からの年賀状は毎年面白い。作り方が上手い。写真のセンスがある。

賀状を読む楽しさの1つに想像がある。小さな1枚のハガキから、想い出と想像が展がるのが、賀状の価値だと思っている。

正月の期待

2020-01-06 17:11:58 | 日記
正月の2日なると、町の税務署に勤める叔父の同僚である若い女性が我が家に来た。以前にも書いたが、叔父は、メガネをかけた猫のような容姿であるのに、不思議に女性に人気があった。よくモテた。我が家は、73歳のソフト29歳のメガネ猫と中学3年生の私との、なんとも殺風景な男世帯だったから、叔父のガールフレンドの来訪は嬉しかった。今でいう3Kの小さな家だったから、テキパキとした女性ならばあっと言う間に部屋がキレイになる。おせちと呼べるほどの料理はなくても、正月色のある皿が出来上がる。

叔父の仕事関係の客が来る。一升壜を下げて来る。すぐに2人で酒を酌み交わす。客人が叔父に「今年もよろしく」を繰り返す。何か仕事のことで叔父が手を貸しているのか、そんな関係のオッチャンだった。オッチャンが私にお年玉をくれた。相場は百円札2枚というところだった。食糧事情は稍々良くなって来てはいたが、まだ、買い食いが必要だった。焼きそば、今川焼代が必要だったから、臨時収入はありがたかった。酔客の来客は嬉しかった。

以上は昭和25年の話である。今年は昭和95年だから70年前のことになる。70年前の15歳の少年にとっての正月の期待は、若いお姉さんや酔っぱらいのオッチャンが家に来てくれることにあった。

84老人に、正月の期待は無い。期待はないが、願望はある。それは、この期間はなんとか無事であることだ。ナンボなんでも、三が日に救急車に乗るのは恰好がつかない。