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12月26日

2010-12-26 21:07:15 | 日記
「少しお痩せになりましたか?」「そうかもしれません」「食欲は?」「ありますが、すぐ満腹になります」。昨日、ペインクリニックでの院長夫人との会話であるが、少食になったのはたしかで、昨夜の食事で言えば、鯵(小さめ)の南蛮漬2尾と、おでんの大根2切れとコンニャク1切れ、カブの甘酢漬少々で、娘の言う「アルコールのカロリーで生きている」は当たっているのだろう。 競馬は今年を締め括る有馬記念。 今年も稼いでくれたスポニチ小田記者の本命は1番のヴィクトクールピサで、まず大本命の7番ブエナビスタへ10枚、あとはブエナが直線届かずの場面もあると見て、1から馬連で6点、更に3連複を1と7から6点、いずれもコイン買い。結果はご存知の通り、1・7・11の順で入って1・7が5.5倍、1・7・11が116.1倍で、まぁ上出来の年末。 昼の番組で、黒鉄ヒロシさんが、明治維新の志士達を語っていたが、偶然にすばらしい人物が~といったカンがある。 今は人物がいない。 小泉純一郎さんは議員も辞めてしまったが、残っていれば再登板が世論になったかもしれぬ。昨夜放映された『忠臣蔵』は、田村内蔵助の声がボソボソで聴きにくく、脚本も平凡で失敗作。 そもそも田村正和さんは古畑任三郎までで、内蔵助はお門違いではなかったかというのが素人の感想だ。

文字の相

2010-12-25 20:14:25 | 日記
誕生日に妹夫婦からお祝いカードが届いた。2人とも美しい字である。 しかし、美しいといっても味わいは異なる。美人にもいろいろあるように、美しい字にもそれぞれに相(かお)がある。妹の文字はウチの長女のそれに相が似ている。2人の文字を1文字で表わすと「暖」である。人間で言えば、暖かみのある顔である。 義弟の文字は整(または成)だと思った。これまた人間で言えば、眉目秀麗となる。 家人の字は素であって、これは質素・素顔あるいは素直の雰囲気の意味で、別の言い方をすれば、面白みに欠ける。次女の字は親であって、これはもう親しみやすさの1点である。 その人の書く文字の相を1文字で表わしてみるのはおもしろいので、ぜひ試してみていただきたい。しかし、その答えが、たとえば善とでても、それが善人に結びつくという方程式にはならないのがおもしろい。人間の顔つきは、かなり性格を反映するが、文字の相は直結はしない。 ただ、私の研究では、線的(定規を使って書いたような)な文字の人は、自分勝手である場合が多いとは言えるし、これは特に女性にある現象と言える。 文字と性格に関係があるのかどうか。あるはずだと私は思っているが、それを証明する材料がない。

沼津の刺身

2010-12-24 21:00:33 | 日記
これもサラリーマン時代の話だが、鋲螺(びょうら)を納入してくれている商社の営業マンから「ぜひ、沼津にあるウチの下請工場の見学を~」と誘われた。沼津という町は初めてだったが、畑の広がる中に建つその工場は、私の勤め先のある蒲田周辺とは違って、のびのびとした空気と清潔感があった。 見学を終えて、夕方、鮨屋に案内された。マグロ、シマアジ、イカなど、それは、それまでに私が口にした魚とは比較にならぬ旨さだった。そして、それ以後、私は、そのとき以上の美味の魚と出会ったことがない。 この話をすると、家人などは、「まだ若かったし、食欲も旺盛だったから、特別に美味しかったのでは?」という言い方をするが、味覚とは、そういうものではなく、年齢(経験)を重ねても、あのときの味がBESTと、舌が憶えているものなのだ。 私における沼津の刺身のような、忘れえぬ味はどなたにもあるだろうが、そういう話をするのは、酒呑みに多い気がする。

12月23日

2010-12-24 10:48:08 | 日記
「鳴った鳴ったサイレン、サイレン、皇太子殿下がお生まれになった~」、もう、この歌を知っている人は多くはないだろう。昭和8年12月23日、今上天皇がお生まれになった。 陛下が皇太子時代に着ておられたセーターを賜ったのは、私が小学校1年のときで、政治家だった母方の祖父が宮内省(現在の宮内庁)に知り合いでもいたのか、送られて来た。 色はグリーンで、衿元をスナップでとめる形のものだった。当時はそういう品を御下賜というか、そういった習慣があったのだと思う。  昭和10年12月23日、東京・青山の日赤産院で私が生まれた(前述のセーターを賜ったことが、誕生の月日と関係があるのかどうかはわからない)。 母の話では、私が生まれるのには長い時間がかかったそうで、あとになって、私が朝寝坊の遅刻王になるのも、そのこと(いちばん夜の長い日)と関係するのかも知れぬ。 平成16年12月23日。 家人の姪の子Tちゃんが、予定より1週間も遅れて誕生する。そのときも母親は(時間がかかって)大変な苦しみを味わったそうで、Tちゃんもまた寝坊人間になるのだろうか。 平成22年12月23日。最近はどうしても、そっちの方へ話がいくが、もし私が確率通りに8月24日に大動脈瘤破裂であちらに行っていれば、「今日はパパの誕生日だから、仏前にバーボンの水割りを供えようか」と、娘がボトルとグラスを用意していたのかと思ったりする。

可愛がる

2010-12-22 21:08:44 | 日記
結婚前(バイト時代)は叔母に背広を作ってもらっていた。当時の誂え製服は1万2千円で、叔母は4回の月賦で年に3着をプレゼントしてくれていた。 バイトとはいえ、収入は私の方が上だったから、おおいなる甘えであるが、叔母と私の間ではそれが自然だった。叔母は8人同胞(きょうだい)の末っ子で、その長子が私の父だった。父は17歳下の叔母をとても可愛がっていたそうで、どこかへ出かけたときなど、他の弟妹達よりずっとハイクラスのみやげを買って来てくれたそうだ。  我が家の2人の娘をわが子の如く可愛がったのが義妹(家人の妹)だった。夫と2人で医院を経営していることもあって、ブロジョアだから、成人式のときなど、着衣からアクセサリー、お宮詣でからビデオ撮影、その後の宴会まで、すべてを義妹が取り仕切った。 長女が姪と甥(次女の子供)が可愛くて仕方がないようだ。独身貴族ということもあるが、ハワイへ連れて行ったり、あれこれのプレゼントをすることを愉しんでいる。  親に言っても拒否されるがAちゃんならOKと言ってくれるのではないかと、そういうAちゃんの存在が、たいていの人に(特に幼い頃に)あるのではないだろうか。 この人に可愛がられている、この人に甘えているというのは、横から見れば、あるときは私の背広のように幼稚に見えるが、当人同士ではごく自然であることが多いように思う。 そして、その甘えたときがやがて懐かしく、感謝の2文字をおもう日が来る。  私も、84歳で一人暮らしをしている叔母にどの程度の恩返しが出来ているのか。家人や娘の力を借りてそれなりに・・・とは思っているのだが。