gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

12月5日

2010-12-05 21:01:23 | 日記
朝食の「籠清」のサツマアゲが旨かった。私はおでんの練り物はほとんど食べない。サツマアゲでもチーズ巻きでも、大根やコンニャクのダシの役だと思うからだ。いちばんわからないのがハンペンで、あれを、おでんに入れるのは紀文の従業員に失礼になるのではないか。 練り物はすべて、生か少し焙るかして食べるのが礼儀だろう。 次女が遊びに来て家人が元気づく。2人で通販の会話ができるからで、家人も、私や長女が相手では、「これ、いいでしょ。正価が8,000円で、いまバーゲンで3,600円!」と話しても、「そもそも、その8,000円がどうかな」となるので、次女が来ると心が弾むのだろう。 競馬はJCダートで、いかにも堅そう。1番人気のトランセンドから3連単(これ、電話のボタンを押すのが疲れる)で狙ったが、2着に入ったグロリアスノアは買えなかった。 このごろ、おもしろいニュースがない。海老蔵の酒乱ぶりを毎日観ていても飽きるし、小沢とカネも変わり映えしない。おもしろかったのが、先々週に放送された清張ドラマ『球形の荒野』で、これはニュースではないが、話題になってもいいものだった。しかし、娘は、「なんだかテンポがゆっくりしすぎていて・・・」と言う。ま、戦争を知らない子供達にはわかりにくい仕立てなのか。 アメリカの雇用統計もよくなかったので、明日からの東京株式市場も1万円を挟む展開だろうと、これもまたおもしろくなりそうにない。

ポケットウィスキー

2010-12-05 01:04:45 | 日記
残業を終え、遅い時間に帰宅すると、家人の(下の方の)妹が玄関で待っていて、「2時間ほど前に気分が悪くなり、2人で(上の方の妹と)産婦人科へ行っている」という。シマッタ、流産か・・・と私は直感した。シマッタというのは、まだ妊娠の初期だったので、通勤に1時間ほどかかる仕事(証券会社のオペレーター)を続けていたことだった。医院に着いたとき、家人は疲れた顔でベッドに横たわっていて、すべてが終わっていた。その夜は私も医院に泊めてもらい、翌日の昼近くに2人で家に帰った。あまり会話をしなかったのは、ドクターの説明を聞いていて、子供を持つことを諦めなければならないのではないかという不安が2人にあったからだ。 途中でタクシーをとめて酒屋に寄って、サントリーホワイトのポケット壜を買った。2月26日だったから、ニイニイロク事件だと冗談を言いたかったが、黙って酒を呑んだ。そんな場合なのに、冷たいウィスキーが妙に旨かった。  2年経って、家人が再び妊娠する。家人は仕事をやめていたが、住居は公団住宅の4階にある。なるべく下階へ降りないで済むように、私もゴミ捨てぐらいは手伝ったが、何よりもありがたかったのが、前記の2人の義妹の存在だった。 そして、その道(流産対策とでも言うのか)の大家である森山豊博士のおられる東芝中央病院へ月に二度通って指導を受けた。そうやって、長女が誕生したとき、私は、家人の努力とドクターや義妹達の協力・・・あれやこれやを考えて、こういうのも難産というのではないかと思ったりした。 東芝中央病院に近い市ながら区役所へ出生届を出しに行くと、「おめでとうございます」と応接間のような部屋でコーヒーとお菓子で祝ってくれた。 娘が生まれたのが2月8日で、その2日後に、明治何年以来という大雪が東京に降った。退院の日も寒く、粉雪がハイヤーの窓を打った。市役所では酒は出なかったが、もちろん私はポケットウィスキーをポケットの中に用意していた。