結婚前(バイト時代)は叔母に背広を作ってもらっていた。当時の誂え製服は1万2千円で、叔母は4回の月賦で年に3着をプレゼントしてくれていた。 バイトとはいえ、収入は私の方が上だったから、おおいなる甘えであるが、叔母と私の間ではそれが自然だった。叔母は8人同胞(きょうだい)の末っ子で、その長子が私の父だった。父は17歳下の叔母をとても可愛がっていたそうで、どこかへ出かけたときなど、他の弟妹達よりずっとハイクラスのみやげを買って来てくれたそうだ。 我が家の2人の娘をわが子の如く可愛がったのが義妹(家人の妹)だった。夫と2人で医院を経営していることもあって、ブロジョアだから、成人式のときなど、着衣からアクセサリー、お宮詣でからビデオ撮影、その後の宴会まで、すべてを義妹が取り仕切った。 長女が姪と甥(次女の子供)が可愛くて仕方がないようだ。独身貴族ということもあるが、ハワイへ連れて行ったり、あれこれのプレゼントをすることを愉しんでいる。 親に言っても拒否されるがAちゃんならOKと言ってくれるのではないかと、そういうAちゃんの存在が、たいていの人に(特に幼い頃に)あるのではないだろうか。 この人に可愛がられている、この人に甘えているというのは、横から見れば、あるときは私の背広のように幼稚に見えるが、当人同士ではごく自然であることが多いように思う。 そして、その甘えたときがやがて懐かしく、感謝の2文字をおもう日が来る。 私も、84歳で一人暮らしをしている叔母にどの程度の恩返しが出来ているのか。家人や娘の力を借りてそれなりに・・・とは思っているのだが。
6月に2週間、8月から9月にかけて3週間の入院生活を送った。前者は個室だったので自分で室温を調整したが、昼間は25.5度、夕方から朝までは26.5度に設定した。後者は終わりの11日間、4人部屋にいた。看護婦さんが1日に2,3回、室温について訊きに来たが、私が注文することはなく、他の3人の意見のままにしていた。私が遠慮したのは、自分がいちばん健康だったからである。妙な言い方だが、病気(あるいは手術)の大きさから言えば、私が最も重い患者であった(とにかく死の何センチか前まで行ったのだから)。しかし、回復(退院)がいちばん早いのが自分であることが(毎日の回診の様子からみて)わかっていたからだ。 今夏は猛暑であったようだが、室温は26度前後に保たれている日が多かったと思う。 もう30年も前、正月に家族旅行にでかけ、宿泊先のホテルで一晩中ヒーターがまわっていて、翌日目覚めると唇がカサカサに乾いていて、粘膜が剥がれ、ヒドイ目に遭った経験があるので、以後、夜の暖房は一切使わないことにしている。いま、ヒーターをつけるのは私が1回目に目覚めだときで、だいたいは5時過ぎ。次の目覚めは7時近くだが、充分に暖まっている。 これまた設定は26度。 冷房の26度と暖房の26度の涼しさと暖かさがなぜこれほど異なるのかについて、誰かに説明してもらった記憶があるが、よくわからなかった(水のことで考えれば、26度の温水と26度の冷水があるのか)。私は、一度訊いてわからなかったことは、二度訊いてもわからない頭脳構造なので、このことは、永遠の謎という袋の中に入るが、私の中にあるその袋は、かなり膨らんできている。