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沼津の刺身

2010-12-24 21:00:33 | 日記
これもサラリーマン時代の話だが、鋲螺(びょうら)を納入してくれている商社の営業マンから「ぜひ、沼津にあるウチの下請工場の見学を~」と誘われた。沼津という町は初めてだったが、畑の広がる中に建つその工場は、私の勤め先のある蒲田周辺とは違って、のびのびとした空気と清潔感があった。 見学を終えて、夕方、鮨屋に案内された。マグロ、シマアジ、イカなど、それは、それまでに私が口にした魚とは比較にならぬ旨さだった。そして、それ以後、私は、そのとき以上の美味の魚と出会ったことがない。 この話をすると、家人などは、「まだ若かったし、食欲も旺盛だったから、特別に美味しかったのでは?」という言い方をするが、味覚とは、そういうものではなく、年齢(経験)を重ねても、あのときの味がBESTと、舌が憶えているものなのだ。 私における沼津の刺身のような、忘れえぬ味はどなたにもあるだろうが、そういう話をするのは、酒呑みに多い気がする。

12月23日

2010-12-24 10:48:08 | 日記
「鳴った鳴ったサイレン、サイレン、皇太子殿下がお生まれになった~」、もう、この歌を知っている人は多くはないだろう。昭和8年12月23日、今上天皇がお生まれになった。 陛下が皇太子時代に着ておられたセーターを賜ったのは、私が小学校1年のときで、政治家だった母方の祖父が宮内省(現在の宮内庁)に知り合いでもいたのか、送られて来た。 色はグリーンで、衿元をスナップでとめる形のものだった。当時はそういう品を御下賜というか、そういった習慣があったのだと思う。  昭和10年12月23日、東京・青山の日赤産院で私が生まれた(前述のセーターを賜ったことが、誕生の月日と関係があるのかどうかはわからない)。 母の話では、私が生まれるのには長い時間がかかったそうで、あとになって、私が朝寝坊の遅刻王になるのも、そのこと(いちばん夜の長い日)と関係するのかも知れぬ。 平成16年12月23日。 家人の姪の子Tちゃんが、予定より1週間も遅れて誕生する。そのときも母親は(時間がかかって)大変な苦しみを味わったそうで、Tちゃんもまた寝坊人間になるのだろうか。 平成22年12月23日。最近はどうしても、そっちの方へ話がいくが、もし私が確率通りに8月24日に大動脈瘤破裂であちらに行っていれば、「今日はパパの誕生日だから、仏前にバーボンの水割りを供えようか」と、娘がボトルとグラスを用意していたのかと思ったりする。