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ひとりの男

2021-03-10 08:32:44 | 日記
高校1年生のときに1年間だけ学んだ茨城の竜ヶ崎一高は野球の伝統校だった。中等野球で最初の県代表となった初期の頃から、野球の町というような土地柄もあった。戦後になっても、町内野球大会(もちろん軟式)など、オトナから子供まで野球、野球の感じがあった。しかし、私達の時代は、もう県のベスト4に入るのも難しくなっていた。だから昭和40年に久しぶりに竜ヶ崎一高校が夏の甲子園に出たときはうれしかった。しかも、沖縄代表相手に一勝した。2回戦で報徳学園に大敗したが、それでも満足だった。茨城のレベルでは甲子園で一勝は収穫と言えた。

その茨城の取手二高が昭和40年代になって甲子園を沸かせることになろうとは誰も予想できなかった。私のいた竜ヶ崎と砦はバスで30分とかからない距離だ。そこに取手一高があるのは知っていたが二高があるのは知らなかった。その名を聞くこともなかった。それがなんと茨城代表なるどころか甲子園で大活躍する。しかも、夏の大会で、あの清原和博、桑田真澄が3年生だったときのPL学園という最強チームと決勝戦で相対し、勝ってしまうのである。取手にはスタープレーヤーはいない。いたのは、名将だ。監督の木内幸男さんである。

木内さんはのちに常総学園に移り、その学校もまた甲子園の常連校となる。たったひとりの男が茨城の高校野球を変えてしまった。この考え方には反対する人も多い。茨城の私の友人にもいる。PLに勝ったのは偶然だと言う。むろんその勝利はたまたまだったかもしれない。しかし、その前の、準決勝、準々決勝、いや県代表になったのもフロックなのか?そんなに何度も偶然があり、奇跡が起きることはない。実力なのだ。その実力を作り上げたのが、木内幸男というひとりの男だと私は思っている。

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