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赤穂浪士

2015-12-17 09:49:25 | 日記
松の廊下で刀を抜き、無抵抗の吉良上野介を切ったのは浅野であり、それは傷害罪もしくは殺人未遂の犯罪であって、処罰されるのは当然のことである。上野介は単なる被害者に過ぎないのだから、無罪放免はあたりまえ、また翌年の吉良邸討ち入りは集団テロだ。上野介はテロに殺されたわけだ。 という、『忠臣蔵』についての解釈があって、これは吉良の地元では多くの人に語られているそうだが、私にその話をしてくれたA先輩も、やはり上野介の肩を持っていて、そのことになると多弁になった。
文藝春秋の12月号の伊集院静さんの連載のページに、大石内蔵助が討ち入りの前日に書いた手紙が紹介されている。 宛先は赤穂の寺の和尚達。達筆に過ぎて私には内容は読み取れないが、二月十三日という日付と、内蔵助の署名と花押ははっきりとわかる。これだけ誤字も失筆もないのは、内蔵助という人物が、頭脳明晰、沈着冷静であったことの証と書いているが、写真を見る限り、その通りだと頷ける。
今日は12月14日。兵庫県赤穂市では、義士祭が行われているだろう。この300年前の出来事については、多くの作者が書いているが、いちばんおもしろいのは大仏次郎さんの『赤穂浪士』で、それについては以前に述べた。

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