Takepuのブログ

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台湾地位未定論

2009-12-02 00:40:06 | 時事
 日本の台湾との窓口機関である交流協会台北事務所の斎藤正樹代表が、辞表を提出したと報じられた。今年5月に台湾中部・嘉義県の大学でいわゆる「台湾地位未定論」をテーマに講演。台湾当局から抗議を受けていたことに対する引責辞任と見られる。
 交流協会とは外交関係を断絶した日本と台湾の間で、ビザ発給など事実上の大使館業務を行う機関で、代表は大使に相当する。外交関係がないため、外務省職員らは外務省の籍をはずれ、民間人として台湾に赴任する。

 台湾地位未定論とは、日本が1951年のサンフランシスコ講話条約で戦争状態を終結させ国際社会に復帰する際、条項に「日本国は台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄する」とされたが、台湾・澎湖(以後台湾と表記)をどこに返還するのかは明記されていなかったことから、台湾の帰属が定まっていないとする考え方。1945年のポツダム宣言で、「日本は台湾及び澎湖諸島を中華民国に返還する」としたカイロ宣言(43年)を履行する、とされていた。しかし、カイロ宣言は参加各国首脳の署名がなされたものでなく、日本も参加していないことから有効性が疑わしい、との見方がある。
 このことから、台湾は中華民国に返したわけではなく、ましてやこの当時外交関係を持っていなかった北京の中華人民共和国に返すわけがない。台湾の帰属は未定のまま中ぶらりんになっている、との考え方だ。斎藤代表も講演でこのような内容をしゃべったらしい。

 陳水扁総統時の民進党政権は、台湾独立を標ぼうする立場から、この地位未定論を肯定的にとらえており、台湾が独立状態にある一つの根拠にしている。

 サンフランシスコ講和条約が締結された当時、中国共産党との内戦に敗れ、台湾に逃れた蔣介石による国民党政権(国民政府=中華民国)が国連の議席を得ており、日本は52年に日華平和条約を締結した。しかしここでも日本が放棄した台湾の主権がどこに返還されたかは書かれていなかった。ただ中華民国(台湾当局)の一般的な見解は、①カイロ宣言を踏襲②中華民国はサンフランシスコ講和条約に署名していない--などの観点から台湾は中華民国に返還された、との立場を取る。
 これに対して中華人民共和国は、1949年の北京政権成立に伴い、中華民国は消滅、中華人民共和国がその権利を継承したとの立場から、現在台湾は中華人民共和国の一部との立場だ。
 ただ、中華人民共和国を承認、台湾と断絶した日本や米国は、台湾を自領土だと認めよと迫る中華人民共和国当局に対し、台湾の主権(国際的生存権)に配慮したため「十分理解し尊重する」(日本)、「認識している」(米国)との見解にとどまっている。
 中国との関係改善を進めている馬英九政権は、地位未定論を完全否定している。
 斎藤代表も、中台接近のこの時期につまらない事を言ったものだ。日本政府は公式見解として、もちろん未定論など主張していない。斎藤代表も直ちに台湾当局に謝罪した。ただ、馬政権の日本への不信感は払しょくできず、中国接近を助長することになってしまった。代表の首をすげ替えることで、日台関係を良好に戻そうとするとは思われるが、経済的にも中国大陸への依存を深める台湾にとって、日本の重要度が今後低下していく可能性がある。


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