Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

春節食べまくり

2010-02-14 23:59:06 | 飲食
恭喜発財、万事如意!
きょうは春節。昼も夜も食べまくったーっ。
昼は南翔饅頭店。まず、黒豚小籠包。間違いないです。

そして蟹味噌小籠包。今回は前回みたいにスープに苦味が出るようなことはなかった。ただ店の人は、スープが少なかったようだ、調査します、と言っていた。誠実だ。顔がすごい真剣でビビッた。

三角のは、蟹味噌春巻き。硬くて滑って箸でつかみにくかった。結構サクサクで歯ごたえあり。悪くない。

中身はこんな感じ。マヨネーズのような味。ちょっと蟹味噌の風味を消しちゃうかな。味はいい。



で、昼も夜も中華はいかがなものか、ということで成り行き上、夜は久しぶりにタイ料理。まず、ご存知生春巻き。ナンプラーの塩味も合うし、中には香菜。上に載っているミントの葉がいいアクセントになってさっぱり。

青パパイヤと干し海老のサラダは、初めて青パパイヤを食べたときには、見た感じ大根みたいで油断したら、実際すごーく辛い。タイ料理恐るべし、という感じだった。ここのは干し海老のうまみが辛さを消す感じもあった。レタスに包んで食べると合うなあ。健康的! 口の中に辛さは残る。

鶏肉(ガイヤーン)はうまし。タレの味が肉の中までしみこんでいて、表面は香ばしくて頼んでよかったーって感じ。つけダレはマヨネーズみたいなカレー味と、ナンプラー系の2種類あって、別々の味が楽しめる。もちろん何もつけなくてもおいしいけど。

最後はレンコ鯛の蒸し物。中華ならさしずめ「清蒸鯛魚」だ。中華ならタレは紹興酒に醤油、オイスターソースだが(自分で作れるもんね)、これはキノコやネギ、キャベツなどが入ってココナッツミルクのような甘さもある。濃厚。


ビールはタイのシンハーとベトナムのバーバーバー(333)。料理にはさっぱり辛いシンハーかな。味わうなら濃厚なバーバーバーか。

あ、満腹になってしまって、デザート頼むの忘れた。痛恨。甘いものは別腹なのに。

で、サッカーの東アジア選手権。中国に盆と正月が一緒に来たというか、きょうは旧正月だ。で、まぐれの優勝。日本は予想通り韓国に1-3と完敗で3位。点が取れないのは重症だね。闘莉王と中沢のセンターバックが欠けたら、サブはどうするとは思ってたけど、僕は阿部がいいとおもうが、闘莉王退場で岡田はやっぱり岩政を使ってた。何をやってもダメだな。ご愁傷様。

趙紫陽回想録

2010-02-14 02:45:00 | 時事

恥ずかしながら、昨年夏前に香港に行って中文版を買う予定だったが、そのときは「豚インフル」のおかげでチケットをキャンセル。キャンセルのためだけに2万円取られた。で、忙しさにかまけてそのままになっていたら翻訳が出た。遅まきながら、読み出したら止まらない。一気に読み切った。
サブタイトルには「天安門事件『大弾圧』の舞台裏」とあるが、89年から失脚に向けてはいろいろな資料が出ているので、あまり新鮮味はない。日本人に目を引かせるためには、六四がいいんだろうな。

最も興味深かったのは、84年の「経済体制改革に関する決定」前後の趙紫陽総理による経済改革のプロセスが理路整然と描写されていること。広東省、四川省での実験から中央に引き立てられ、農業の請負制導入にお墨付きをつける。最大の難関は価格体系改革。不合理な価格体系を是正して、膨らみ続け国家財政を圧迫する財政赤字を解消させたいという考えは小平も理解しており、趙紫陽の仕事を支持していたという。結局、価格改革は途中で断念する。趙紫陽が主張した預金金利の引き上げを李鵬と姚依林が徹底的に妨害、骨抜きにし、中国経済はインフレを招く。私事ながら学生時代の研究テーマ、というか卒論テーマだったし、その考え方が間違っていなかった、と今更ながらうれしくなった。この時期、この過熱の状態を最も正確に分析していたのは日本だと趙紫陽が認識していたのも面白い。

もうひとつは、胡耀邦について。87年1月に失脚するが、小平との確執は80年代初頭から始まり、86年夏には決着がついていたという。趙紫陽との仲も実はそれほどよくなくて、ある意味、政治改革について理由もよくわからず突出していた胡耀邦に対して、趙紫陽は極めて慎重なアプローチを目指したこと。ただ、経済改革を貫徹するためには、次第に深刻になる腐敗を防止するためにも、法制改革、政治改革が不可欠だと自覚していたこと。
これに対して、小平の政治改革に対する考え方は、あくまでも一党独裁を手放さず行政改革どまりだったと推察していたこと。
胡耀邦失脚以後進められた反ブルジョワ自由化政策も、経済改革を停止させず維持していくための趙紫陽の決死の努力だったと明かす。なるほどと思った。

江沢民時代以降の経済改革も、事実上「趙紫陽なき趙紫陽路線」といわれるほど、趙紫陽時代の改革の考え方は継続して進められていた。ただ、六四以降、政治改革についてはまったく手をつけられず、官僚腐敗や貧富の差が激しくなっているのは周知のとおりだ。もし、趙紫陽が健在だったら、もう少し暮らしやすい中国になっていたのに、と重ね重ね残念だ。

趙紫陽が陳雲の考え方を尊重、尊敬していたことも興味深い。いうまでもなく「計画経済を主として、市場経済を従とする」「経済は鳥と同じで、自由にさせすぎるとどこかに飛んでいってしまい、締め付けると死んでしまう。籠の中で飼っておくのがちょうどいい(鳥籠経済論)」と、改革開放には否定的で、小平の最大のライバルと言われた陳雲は、確かに解放直後の第一次五カ年計画で中国経済を立て直し評価された。ただ、そこまでだったというのがこれまでの評価だ。趙紫陽に言わせると、その後の三面紅旗政策は陳雲の望むところではなく、小平よりよほど経済対策の効果について熟知しており、趙紫陽の政策にも理解を示し、趙紫陽は当初、陳雲と小平の橋渡しをしていた、というのは意外な感じもした。

趙紫陽は、李鵬、姚依林を露骨に嫌い、王震、宋平にも文句を言っている。余秋里も寝返った、と批判している。姚依林や余秋里は有能な経済官僚だと思っていたが、この本を読んで考えが変わった。宋平は今の胡錦濤を抜擢した胡錦濤にとっての恩人だが、そうすると、「趙紫陽なき趙紫陽改革路線」に対して、胡錦濤はあまりよい印象を持っていないのかもしれない。

最後に、趙紫陽が最終的に西側の議会制民主主義が現段階ではもっとも進んだ政治システムだとの結論に至ったことも興味深い。西側社会によって作られたような結論にも思えるが、失脚後、十数年間も思索の日々を送っていた趙紫陽にとって、全国人民代表方式でなく、議会制民主主義を選択するとは。共産党の指導のもどで民主諸党派と合議して政治を進める「政治協商」方式に注目していたのも納得できる。毛沢東の新民主主義論、連合政府論が注目された時期もあったが、まさに中国の政治改革のベースになるのではないか、と考える。

まだ書きたいことは山ほどあるけど、こんな開明的な指導者が、晩年は「日々是犬の世話」などと見出しをつけられて揶揄されたり、ボケてしまった、と写真が流出したり、中国にとって悲劇だ。命を懸けて録音テープを持ち出し、文字にしてくれた努力に感謝したい。