Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

アバター見た

2010-02-04 04:52:56 | 映画鑑賞

「タイタニック」を抜き、今年(まだ始まったばかりだが)1番の評判の「アバター」。同僚が「見ろ見ろ」というので、見てきた。3D字幕バージョン。結論は、まあ、単純なストーリーなので3時間近く一気に見られるが、あちこちにアラがあり、映画の水準としては褒められるものではない。嫌らしい、あざとい設定やメッセージがあちこちにあるな、と見ながら不快になるところも少なくなかった。

これはCGで作った、中国の張家界の写真を借りた“美しい”風景に心癒されたり、3Dの効果にびっくりして、「将来3Dテレビ買おう!」と購買欲を触発するように仕向ける映画だ。所詮、張家界だったり、一部は黄山かな。滝がいくつも並んでいるさまは九寨溝を彷彿とさせるし。つまりは“美しい風景”というものを、まったく想像の中からCGを使って描く能力はキャメロン監督にはなく、多くの米国人にとって未知に近い中国の絶景を拝借して、ちょっとCGでいじった程度のお手軽な手法なのだ。中国の本物の絶景を見ている身としては「だからどうした」といった感じ。本物は当然CGに勝る。
3Dは、予告編やアニメの効果のときはなるほど、と思ったが、大したことなかった。時々メガネを外してみたが、つまり、ずっと3Dになっているのは「字幕」だけで、“美しい”風景はほとんど2Dだ。メガネが重くて時々ずり落ちる。

まあ、話のタネのため、一応見ておいたらどうですか。テレビ放映やDVDでは、3D効果などはまだ楽しめないのだろうから。

ここからはネタバレあり。ご注意。

ストーリーはつまり、アメリカ先住民族(インディアン)との戦いと交流を描いたかつての西部劇。設定は「エヴァンゲリオン」、スタジオ・ジブリ作品、特に「ナウシカ」「もののけ姫」といったもののパクリ。自分は寝ていて別の身体に意識を移して行動する、というのは、映画館で予告編しか見ていないが昨年の映画「サロゲート」から設定を借りてきたのだろう。いろんなおいしい要素をつなぎ合わせて、それなりに見飽きない物語を作ったのは評価すべきか。まあお金をかけてたくさんのスタッフに仕事をさせたことによるものかもしれないが、つまりは大衆娯楽作品。

異星人「ナヴィ」はもろ、アメリカ先住民族(インディアン)や、台湾の原住民。主人公のジェイクが成人儀式を受け、身体にペインティングする様子や長い髪、かけ声はインディアンそのものじゃないか。彼らに英語を教えたり、学校を作ったり、とかも。もう少し、違うアレンジは出来なかったのか。「アメリカ先住民族と共存しましょう。彼らの文明を壊滅させたことを後悔、反省しましょう」との露骨なメッセージが受け取れる。興ざめ、不愉快。

DNAを合成して「ナヴィ」の人造人間を作り、それに人間の意識だけを憑依させて意のままに操る、というのは「エヴァ」の設定のパクリでは。エヴァは操縦者がエヴァの体内に入るが、外の機械の中から意識を飛ばしてコントロールする、というのは、代理ロボットに危険な外の行為を代行させて、それを意識上でヴァーチャル体験するという「サロゲート」そのものではないか。

動物と共存したり、森を守ろうとしたり、触覚が伸びてきて命の再生を手助けするなどは、ナウシカが倒れ、オームの触角が伸びて生き返るシーンと同じだろう。動物を飼いならして上に乗ったり、最後に「ナヴィ」に動物たちも加勢して地球人と戦うのはもののけ姫か。

地球人とナヴィの戦いで登場する地球人の武器・火器は、宇宙旅行ができたりナヴィの人造人間を作れるほどの科学力を持っているなら、ちょっと前時代的過ぎるのでは。というより、20世紀風だ。つまりは火炎放射器で森を焼く、ベトナム戦争そのもののように見える。指揮官のステレオタイプな性格設定や、鉱物資源を獲得するためにナヴィの文化や風習も省みず、手段を選ばず武力を行使しようと試みるのも、ベトナムやイラク戦争そのものじゃないか。その時代の兵器そのままじゃないか。帰還兵たちのストレスを発散させるための設定なのだろう。あの戦闘シーンを見ると、ベトナム帰還兵たちは当時の思い出がよみがえり、映画にアイデンティファイ(同一化)できるのでは。あざとい。不快だ。

負傷して下半身不随になってしまったのに、別の身体でヴァーチャルに生活を享受できる、というのは身障者や身体が不自由になってきた高齢者に対するメッセージなのかもしれない。

アバターがストーリーや設定で拝借した、現実の世の中で発生した様々な出来事やネタ元をまったく知らず、一切の予備知識を持たず、目の前のスクリーンで描かれていることのみを楽しむことが出来る無知な観客、なるほど中国でヒットするわけだ。アバターを心から楽しむことができるのは、こういう大衆なのだろう。