Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

満蒙開拓団

2009-08-20 03:32:33 | 映画鑑賞
 映画「嗚呼 満蒙開拓団」を見た。自身、大連生まれの羽田澄子監督によるドキュメンタリー。残留孤児が生まれるような絶望的な逃避行を、満州最南端の大連では思いもしなかったのだという。映画では実際に軍属や官僚とその家族を優先的に列車に乗せ、駅にたむろする逃げ惑う開拓民には何の関心も払わなかったことに、当時何も違和感も感じなかったという憲兵隊や鉄道局職員もいた。

 満州のソ連との国境付近から逃げ出した開拓民たちは、関東軍の物資補給基地があると聞いた方正に大挙終結し始める。ところが関東軍はすでに逃げ出していて(棄民)もぬけの殻。多くの日本人が飢えと寒さと発疹チフスなどで亡くなり、2度にわたって遺体を焼いた。日本帰国を諦め、途中で中国人に嫁いだ残留夫人の松田ちゑさんが戦後、食糧増産をはかろうと荒地を開墾していた際にたくさんの遺骨を掘り出し、なんとか埋葬したい、整理のために日本人墓地を作ろうと県政府に請願した。最終的に国務院総理の周恩来の決裁で1963年、方正県に日本人公墓が中国人によって建てられた。
 松田さんは、文化大革命の時、紅衛兵によって拘束され、死刑を求刑されたという。外国人の刑事処分については中央に上げる必要があったため、この死刑許可申請は周恩来総理の眼にするところとなり、周総理が「日本人公墓はよいことだ。ただちに無罪放免にせよ」と指示したことで、危うく死刑を免れたという。
 残留孤児の運命を見ても、養父母がりっぱでやさしい人で、学校に行かせてくれたり日本人の肉親の証拠の品を大事に保管しておいてくれ日本行きにも賛成してくれるなどした人と、暴力をふるい学ぶ機会も与えてもらえない人では、絶望的に異なった運命になってしまった。
 映画館には中国語で話すお年寄りが何人も来ていたが、やはり残留孤児らだったのかな?

 映画を見終わり、また性懲りもなく小籠包を食べた。そのあと埼玉西武ライオンズが福岡ドームに来ていたので見る。おかわりくんこと中村剛也が先制2ラン、片岡易之も3ランを放つなど9点とり、先発・石井一久も8回途中までがんばった。グラマンの後釜も考えられる途中入団のベイリス、阪神からシーズン途中に入った藤田太陽も登板、まあまあだった。

 1回、デッドボールで出塁した片岡は、次打者・栗山の初球に盗塁。リードからスタート、スライディングに至る動作をビデオに撮ることができた。ラッキー。



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