大木昌の雑記帳

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佐々木朗希投手の「物語」(1)―悲劇と悲運を背負うヒーロー―

2022-04-15 05:41:14 | スポーツ
佐々木朗希投手の「物語」(1)―悲劇と悲運を背負うヒーロー―


佐々木朗希 2001年11月3日 生まれ 岩手県陸前高田市出身20才
千葉ロッテマリーンズ所属。身長190センチ。右投げ右打ち。プロ入り前の高校生
で160キロ台の球を投げ「令和の怪物」とも呼ばれた。

4月10日という日は、日本のプロ野球界にとって、特別な日となることは間違いあ
りません。

なぜなら、ロッテの佐々木朗希投手が、
①プロ野球史上16人目、28年振りとなる完全試合を達成し、
②13人連続三振記録(これまでの記録は65年前の9奪三振)、
③1試合19奪三振(27年ぶりの対記録)
という、信じがたい大記録を20才5カ月という若さで、打ち立てたからです。

これらの記録、一つ一つは、すでにほかの選手が過去に達成していますが、3つの記
録を一人が一試合で達成した例はありません。まさに前人未到の記録です。

おそらく、これらの記録は破られることはないでしょう。

普段は冷静な『東京新聞』(2022年4月12日)も“105球 常識ぶっ壊した”
と、いう見出しでこの驚くべき大記録を報じています。

最近、こうした常人では考えられないような記録を達成してしまう才能を発揮する
若者が他の分野でも見られます。

将棋界では、19才で5冠を達成して将棋界の頂点に立った藤井聡太さん、囲碁界
では10才で初段プロ入り(「英才枠」第一号)した天才少女の仲邑菫さん(とい
うより“董ちゃん”という表現の方がぴったりくる)などの“とんでもない”逸材が出現
しています。

藤井さんに対しては、畏敬の念をこめて“宇宙人”、つまり地球人では考えられないす
ごい手を打つ、という表現がしばしば使われます。

プロの解説者もしばしば、“ここは「地球人なら」こう打つでしょう”と言います。し
かしいその裏には、“しかし藤井さんは宇宙人だから、どんな手を打ってくるから分
からない”という意味が込められています。

ところで、佐々木朗希も、藤井聡太や仲邑董(以下、敬称略)と同様に、”宇宙人“の
ような並外れた才能をもっていますが、彼らにはない、特別な要素があります。

まず、将棋や囲碁における“天才”は、何よりも頭脳的な能力、とくに先を読む力と、
決断力、冷静さを保つメンタルの強さが並外れています。

これに対して佐々木朗希の場合は、身体能力が問われるアスリートで、たとえ天賦
の才能があったにしても、日々鍛えてゆかなければ、その能力を発揮することはで
きません。

しかも、個人が、いくら超人的な能力をもっていても、野球はチームプレーであり、
その選手の置かれたチームの環境や他の選手との兼ね合い、球団の選手起用の方針な
ど、自分自身ではどうにもならない問題がいくつもあります。

もう一つ、私が佐々木朗希という一人のスポーツ選手に惹かれるのは、たんに彼が
前人未到の記録を打ち立てたヒーロー、というだけではありません。

藤井聡太や仲邑董は、登場してから今日まで、ずっとスポットライトを浴びてきてお
り、その過程には悲劇や悲運といった影はまったく感じられません。

これに対して佐々木朗希には“悲劇”“悲運”という暗い過去の物語があり、そのことが今
回の活躍に一層強烈な輝きを与えてのだと思います。

まず、最初の”悲劇“は、2011年の東日本大地震、いわゆる「3・11」で、当時9歳だ
った朗希少年は、父功太さん(享年37)と祖父母を亡くし、住んでいた家も流されて
しまいました。

朗希は子どものころから父親に練習の相手をしてもらうほど、仲の良い関係でした。

もし父親が生きていたら、今回の記録達成をどれほど喜び誇らしく思っただろうか、
また朗希自身も、どれほど父と喜びを分かち合っただろうか、など、個人的な感傷を
抱いてしまいました。

スポーツ紙の記者とのインタビューで震災のことを聞かれて、彼は次のように答えてい
います。

    悲しいことではあったんですけれど、すごく今に生きているなと。当たり前が
    当たり前じゃないとか、今あるものがいつまでもあるわけじゃないとか、そう
    いうのを思い知らされました。

静かに語った朗希の言葉には、胸の奥に秘められた、大切な人や物を失った深い悲しみと、
それでも悲しみを乗り越え、今を大切に生きようと立ち上がった、若者の“けなげ”さがに
じみ出ています。

朗希が答えた言葉に、インタビューをした記者はつぎのようにコメントしています。
    そう思えるまで、どれほどの時間がかかったことだろう。大津波は、朗希少年か
    ら多くを奪った。父、祖父母、仲良く過ごした家や街。大人であっても、簡単に
    気持ちを切り変えられる出来事ではない。それでも「今あるものがいつまでもあ
    るわけじゃない」と後悔しないよう、一生懸命生きてきた(注1)。

二つ目の”悲劇“は、大船渡高校三年生の岩手県の代表を決める準決勝で完封勝ちを収め、い
よいよ甲子園への切符をかけた花巻東高と決勝戦で、國保洋平監督が「故障予防のため」
という理由で、佐々木朗希の出場を回避したことです。

この時の監督の采配にたいして大船渡高校への抗議の電話が殺到し、テレビやSNSで野
球関係者などの間で議論が起こりました。

この時、國保監督は、当時の朝の練習を見て、佐々木朗希の身体は、高校三年間で最も壊
れやすい、と感じたからと説明していました。

この時の朗希の苦渋と悔しさに満ちた顔は、未だに私の脳裏に焼き付いています。

もしこの時監督が連投を指示していたら、朗希は間違いなく精一杯投げたでしょう。しか
し、その結果、朗希は本当に体を壊してしまっていたかも知れません。

実は、中学最後の夏の大会で朗希はこれと似たような経験をしています。この時は主力選手
で、彼が投げていれば勝ち進んでゆくことが想定されたのに、当時彼が抱えていた成長痛の
ため、医者と監督に出場を止められてしまいました。

この時の、悔しさで顔をくしゃくしゃにして泣く彼の映像がyoutubeに残っています(注2)。

今から思えば、中学生と高校生の時に監督が出場回避させたことは、今日の朗希の活躍にと
って非常に重要な決断であったといえるかもしれません。

朗希は高校3年生でU-18代表に選出され、2019年8月、研修合宿の紅白戦で、非公式ではあ
りますが、高校生史上最速の163キロを記録しました。

朗希は高校2年生の時に157キロを記録しており、当時から注目されていましたが、この
紅白戦でのスピードは彼にたいする注目を一気に高めました。

こうして、佐々木朗希は高校卒業と同時にロッテに入団し、今年4月10日の快挙となるの
ですが
入団から現在までの軌跡については次回に書きたいと思います。


(注1)『日刊スポーツ』デジタル版 https://www.nikkansports.com/baseball/news/202003100000642.html (2020年3月11日6時1分])
(注2)https://www.youtube.com/watch?v=VjF5YGGGXhk



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