![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/58/4b17dd0a858f7326e75fa23fef01d3ce.jpg)
(関蝉丸神社下社の碑)
(大津宿 7)
関蝉丸神社の蝉丸は、百人一首の中の一人で、ボクは子供の頃、
坊主めくりで(トランプのババ抜きのような遊び)、
この蝉丸が坊主であった。
百人一首にある歌は、
「これやこの ゆくもかえるも わかれては
しるもしらぬも 逢坂の関」である。
謡曲「蝉丸」では、
(幼少から盲目の延喜帝(醍醐天皇885~930)第四皇子 蝉丸の宮を、
延喜帝は侍臣に頼み、僧形にして逢坂山にお捨てになった。
この世で前世の罪業の償いをする事が、
未来への助けになるとあきらめた宮も、
孤独の身の上を琵琶で慰めていた。
一方、延喜帝第三皇女 逆髪の宮も、
前世の業因強く、遠くの果てまで歩き回る狂人となって、
逢坂山まで来てしまった。
美しい琵琶の音色に引かれて、偶然にも弟の宮 蝉丸と再会し、
二人は互いの定めなき運命を宿縁の因果と嘆きあい、
姉宮は心を残しながら別れていく、
という今昔物語を出典とした名曲が謡曲「蝉丸」である。
蝉丸宮を関明神祠と合祀のことは定かではないが、
冷泉天皇の頃、日本国中の音曲芸道の神と勅し、
当神社の免許を受けることとされていたと伝えられる。)
(謡曲史跡保存会)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/74/44d7d5f3c195be74585107f399532000.jpg)
(「これやこの・・・」の歌碑)
境内には、紀貫之の歌碑がある。
「逢坂の 関の
しみずに影
見えて
いまやひくらむ
望月の駒」
貫之
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/05/d851552b2d57f78505951dc17b18270b.jpg)
(紀貫之の歌碑)
蝉丸神社の本殿左横には、国の重要文化財「時雨灯籠」がある。
石灯篭については、
(時雨燈篭の名称で知られる六角形の石燈篭です。
六角形の基礎には単弁の蓮華座を彫り、
その上に立つ竿の中ほどに蓮華と珠紋帯をつくり、
六角形の中台には花入単弁の蓮華が彫られています。
六角形の火袋は簡素なもので、火口を一ヶ所と小さな丸窓を設け、
壁面も上部にだけ蓮子(れんじ)を彫っています。
六角形の笠もうすく、蕨手(わらびて)はよく古式を留めています。
最上部の宝珠と請花は後補。――後略)よある。(大津市教育委員会)
鎌倉時代の特色を持った石燈篭として貴重なものらしい。
鎌倉市の寺院へ行ったらよく見てみよう、と思った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/f4/09fa06a1b80408b255816ac86fe99b0a.jpg)
(蝉丸神社の本殿)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/f9/dd184f4f2ccea692fef5ac95cecefc21.jpg)
(本殿左横にある石灯篭)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/85/5c04df5d98d08e98cce356e45c3a8fa7.jpg)
(時雨灯篭)
勿論、蝉丸の歌碑もある。
蝉丸神社下社を出て、旧東海道を進むと、踏切を越える。
右手に見える安養寺を過ぎて、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/74/44d7d5f3c195be74585107f399532000.jpg)
(「これやこの・・・」の歌碑)
境内には、紀貫之の歌碑がある。
「逢坂の 関の
しみずに影
見えて
いまやひくらむ
望月の駒」
貫之
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/05/d851552b2d57f78505951dc17b18270b.jpg)
(紀貫之の歌碑)
蝉丸神社の本殿左横には、国の重要文化財「時雨灯籠」がある。
石灯篭については、
(時雨燈篭の名称で知られる六角形の石燈篭です。
六角形の基礎には単弁の蓮華座を彫り、
その上に立つ竿の中ほどに蓮華と珠紋帯をつくり、
六角形の中台には花入単弁の蓮華が彫られています。
六角形の火袋は簡素なもので、火口を一ヶ所と小さな丸窓を設け、
壁面も上部にだけ蓮子(れんじ)を彫っています。
六角形の笠もうすく、蕨手(わらびて)はよく古式を留めています。
最上部の宝珠と請花は後補。――後略)よある。(大津市教育委員会)
鎌倉時代の特色を持った石燈篭として貴重なものらしい。
鎌倉市の寺院へ行ったらよく見てみよう、と思った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/f4/09fa06a1b80408b255816ac86fe99b0a.jpg)
(蝉丸神社の本殿)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/f9/dd184f4f2ccea692fef5ac95cecefc21.jpg)
(本殿左横にある石灯篭)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/85/5c04df5d98d08e98cce356e45c3a8fa7.jpg)
(時雨灯篭)
勿論、蝉丸の歌碑もある。
蝉丸神社下社を出て、旧東海道を進むと、踏切を越える。
右手に見える安養寺を過ぎて、
道路は上り坂を国道一号線と合流する。
交通量はここから格段に増えるので、充分注意が必要である。
合流地点に信号があるので、進行方向の道路右側に行く。
次の蝉丸神社上社が道路右側にあることになっているからだ。
左側には狭いながらも、歩道が付いているが、
右側には、歩行者用の白線で仕切られているだけで、
少し歩くのに恐ろしく感じる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/61/d172421bf0775d7260c1362fe6650fd6.jpg)
(旧街道をまた踏み切り)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/ff/9bcd603adf581a4230298197bb6a1ed7.jpg)
(安養寺)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/b7/f09d92b3502bae1b8970cf73082b7bdf.jpg)
(合流直後の1号線、白線で囲まれた恐怖の歩道)
車におびえながら歩くと程なく蝉丸神社上社が右側にある。
階段を上がった所に本殿はある。
次に同じく右側に、(逢坂山 弘法太子堂)がある。
この先には歩道が確保されていて、すこし歩きやすくなるが、
すれ違う車の量が減る事は無い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/10/7900e509229ae7556114637589e56e72.jpg)
(関蝉丸神社上社)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/af/7eb39e07d311c78e301498572f4adda3.jpg)
(上社の神殿)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/a4/d9205d32361377b0f729b32c426ea970.jpg)
(太子堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/38/b86b14a395784350fc404af5c1117991.jpg)
(太子堂本殿)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/75/d6da02e6b358daf11ecbf7e212933db8.jpg)
(この先歩道が確保されいくらか安心)
交通量はここから格段に増えるので、充分注意が必要である。
合流地点に信号があるので、進行方向の道路右側に行く。
次の蝉丸神社上社が道路右側にあることになっているからだ。
左側には狭いながらも、歩道が付いているが、
右側には、歩行者用の白線で仕切られているだけで、
少し歩くのに恐ろしく感じる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/61/d172421bf0775d7260c1362fe6650fd6.jpg)
(旧街道をまた踏み切り)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/ff/9bcd603adf581a4230298197bb6a1ed7.jpg)
(安養寺)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/b7/f09d92b3502bae1b8970cf73082b7bdf.jpg)
(合流直後の1号線、白線で囲まれた恐怖の歩道)
車におびえながら歩くと程なく蝉丸神社上社が右側にある。
階段を上がった所に本殿はある。
次に同じく右側に、(逢坂山 弘法太子堂)がある。
この先には歩道が確保されていて、すこし歩きやすくなるが、
すれ違う車の量が減る事は無い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/10/7900e509229ae7556114637589e56e72.jpg)
(関蝉丸神社上社)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/af/7eb39e07d311c78e301498572f4adda3.jpg)
(上社の神殿)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/a4/d9205d32361377b0f729b32c426ea970.jpg)
(太子堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/38/b86b14a395784350fc404af5c1117991.jpg)
(太子堂本殿)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/75/d6da02e6b358daf11ecbf7e212933db8.jpg)
(この先歩道が確保されいくらか安心)
やがて信号にでて、国道1号線の道路は左へ、
そして旧東海道は右への脇道に分かれる。
分かれ道の右角に、「逢坂山関跡」の碑と「
分かれ道の右角に、「逢坂山関跡」の碑と「
逢坂常夜灯」が並んで建っている。
蝉丸の歌にある「逢坂の関」である。
ここは小公園になっていて、トイレも用意してある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/96/6778698717c756d48e64940a46c0ba6b.jpg)
(逢坂の関と常夜灯)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/e5/04821ea8855ad829c924e5d51f7648aa.jpg)
(逢坂の関の小公園)
逢坂の関については、京の都を守る重要な関所である三関
(鈴鹿の関、不破の関、逢坂の関)の一つとして、
弘仁元年(810)以降、重要な役割をしてきましたが、
平安後期からは徐々に形骸化されその形を失ってきました。
逢坂の関の位置については、現在の関蝉丸神社上社の周辺にあったと、
言われていますが、いまだその位置は明らかになっていない。
また、百人一首では、蝉丸の和歌のほかに、清少納言の
「夜をこめて 鳥(とり)の空音(そらね)は はかるとも
よに逢坂の 関はゆるさじ」(後拾遺集)
蝉丸の歌にある「逢坂の関」である。
ここは小公園になっていて、トイレも用意してある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/96/6778698717c756d48e64940a46c0ba6b.jpg)
(逢坂の関と常夜灯)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/e5/04821ea8855ad829c924e5d51f7648aa.jpg)
(逢坂の関の小公園)
逢坂の関については、京の都を守る重要な関所である三関
(鈴鹿の関、不破の関、逢坂の関)の一つとして、
弘仁元年(810)以降、重要な役割をしてきましたが、
平安後期からは徐々に形骸化されその形を失ってきました。
逢坂の関の位置については、現在の関蝉丸神社上社の周辺にあったと、
言われていますが、いまだその位置は明らかになっていない。
また、百人一首では、蝉丸の和歌のほかに、清少納言の
「夜をこめて 鳥(とり)の空音(そらね)は はかるとも
よに逢坂の 関はゆるさじ」(後拾遺集)
があるそうだが、昔の人は難しい歌を詠むものだ。
浅学のボクには意味がよく解らない。
清少納言は「枕草子」を著わした才媛で、知識が豊富すぎて、
故事などを織り込んで歌を詠むから、
ボクのような凡才には、とても理解に苦しむ。
歌の意味は、
(夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴きまねをして、人をだまそうとしても、
函谷関(かんこくかん)ならともかく、逢坂の関は決して開きませんよ。
=だまそうとしても、決して私はあなたに逢いませんよ。)という意味。
(*)鶏鳴狗盗の故事:(史記にある故事):
猛嘗君が秦国を脱出するに当たって、
函谷関を通ろうとしたが、鶏が朝を告げるまで関を開かないので、
家来に鶏の鳴き声を真似させ、だまして関を開かせた。)
妙なところへ脱線してしまった。
国道一号線から分かれて、脇道に入るが右手に逢坂の関跡を見て、
坂を下っていくと右手にもう一つの蝉丸神社があり、
左手に京阪電車の大谷駅がある。
蝉丸神社は右手の石段を4~50段登った所にある。
石段下には、三条まで続いたという車石の花崗岩が展示してある。
少し行くと左手に京阪電車の大谷駅(無人駅)の改札かある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/fd/a1d3fedf97b321f50487cf676aae685c.jpg)
(国道1号線と別れた旧東海道の脇道)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/69/86ae1eefc26d05963dd85f0ed5692106.jpg)
(蝉丸神社)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/b0/8ea06d2af691bae9e74b7b8e4691dd7c.jpg)
(階段を登った所に本殿はある)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/dc/3b22b1e3a001263b8bff58609ca94edb.jpg)
(展示してある車石)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/7a/c9de6b31e51befbf120b642d4e816385.jpg)
(京阪電車「大谷駅」)
時間はPM14時のため、本日はこれで帰京する事にした。
家に着いたのは21:10であった。
本日の歩行数48516歩=約30kmであった。
意味を読むと、案外早く覚えられました。
懐かしい~~~。
コメント有難うございます。
百人一首を良く覚えていらっしゃいますね。
ボクは蝉丸と小野小町しか覚えておりません。
また一つ勉強する事が増えましたが、
若い時にサボったつけが回ってきたのですね。
百人一首の中に清少納言が入っている事すら知りませんでした。
いつもありがとうございます。みなりん拝
コメント有難うございます。
清少納言の歌は調べて調べて、良く理解しましたが、違う歌が出てくるとまた理解に苦しみます。
まあ、死ぬまで勉強ですね。人間は・・・