中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

別荘地「軽井沢」(旧中山道を歩く 110)

2007年07月16日 08時10分45秒 | 4信濃(長野県)の.旧中山道を歩く(110~1

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(熊野神社前の餅屋さん)

(軽井沢宿)
熊野神社の階段を下り、 元祖力餅の「しげのや」を出ると、
中山道は信濃の国(長野県)に入り、峠を下った軽井沢が最初の宿場となる。

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(見晴台入り口)

道路は、すぐ旧中山道の案内看板に出会う。
見晴らし台方向に向かうと立派な門があり、その左手奥に、お手洗いがある。
ずいぶん立派なお手洗いである。
また右手の道路は見晴台に向かうが、すぐ左側に中部北陸自然遊歩道を示す案内看板があるので、
案内通り看板の正面を右折して、山の小道を軽井沢に向かって歩く。
これが旧中山道である。

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(良く整備された山道)

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(谷にかかる木橋)

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(歩道橋)

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(つり橋)

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(洒落た別荘、さすが軽井沢)

道路は一人しか通れない細い山道であるが、よく整備され苦も無く歩ける。
山下りであるが、軽井沢駅を16時代に出る汽車に間に合わせるには、時間が迫っており急ぐ。
谷沿いの細い道をどんどん降りていく。途中谷越えの小さな木橋を何度か越え、
舗装道路をまたぐ歩道橋を越え、やがて、つり橋に差し掛かるころから、辺りに別荘が見えてくる。
樹林の間を抜けると広い道路に出るが、下っている方向に歩く。
やがて橋があり「二手橋」とある。

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(軽井沢が近いと思わせる広い道路)

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(二手橋)

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(ショウの胸像と教会)

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(軽井沢の別荘第一号となったショウ・ハウス)

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(ショウの記念碑)

すこし先に、軽井沢を別荘地にした最初の外国人ショーの銅像やキリスト教会、
ショー記念碑、ショーハウスなどが道路右側にある。
さらにすぐ先の左側に芭蕉の句碑がある。

「アレクサンダー・クロフト・ショー(英国人)は明治19年キリスト教布教の途上この地を通り、
軽井沢の美しい自然と気候がスコットランドに似ているのに感銘し、
その後家族・友人と共に避暑に訪れた。
翌年も夏をすごして、ますます気に入り、保健と勉学の適地として推奨し、
翌明治21年旧軽井沢大塚山に簡素な別荘を建てる。
これが軽井沢別荘の最初のもので、今風の観光・保養地軽井沢をつくる基となった。」(軽井沢町)

日本の代表的な避暑地になる前の軽井沢は、
「寒きことはなはだしくて五穀生ぜず、ただ稗、蕎麦のみ多し」(木曽路名所絵図)あるように、
荒涼とした寒村であったらしい。

歌川広重描く浮世絵、木曽海道六十九次乃内 「軽井沢」は、
(漆黒の闇に覆われる時刻の景色で、月は見えない。
立ち昇る二つの焚き火の煙が印象的である。
焚き火から煙草の火を拝借したり、馬子とキセルの火のやり取りをしたり、
のんびりしたものである。馬の横腹のちょうちんの光が、
顔の辺りをポッと照らし出している)(中山道広重美術館)

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(蕨宿の「軽井沢」浮世絵タイル)

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(歌川広重描く浮世絵、木曽海道69次の内「軽井沢」)

地球の未開地の開拓には、宗教の布教が先駆者になっている例が目立つ。
たとえば、アフリカの探検家として知られるリビングストーンはキリスト教の布教に、
中央アジアの開拓者 リュブリックもフランシスコ会の修道士であり、
玄奘は仏教の教えを求めて未知の世界を旅している。
同じようにショーもキリスト教の布教で日本を訪ねて、軽井沢に故郷スコットランドを偲び避暑地とした。
未開地の開拓には尽きない好奇心が無ければならないが、
それ以上に困難と闘う強靭な精神力が必要になると思われる。
神や仏(ほとけ)に仕えるという信仰心が精神力を支えているのではないだろうか。
そうでなければ異国に一人で来て、開拓をすすめる困難に立ち向かうには、
かなりの覚悟が必要に思われる。

今ボクが一人で旧中山道を歩いているが、
言葉が通じ、
食べ物にも不自由なくどこででも求められることが解っていても、自分では初めての体験であり、
道が無いかもしれない、
道に迷い山中で遭難したらどうする、
体調は大丈夫だろうか、
暑さ、寒さの気温に負けないだろうか、
歩いているうちに倒れて最期になることは無かろうか、
などなど考える。
自国に居てさえこれだけの心配があるのに、
外国での活動は並大抵のものではあるまい。

話がそれてしまった、
(アレクサンダー・クロフト・ショーは軽井沢に礼拝堂を設け、
天地創造の神を賛美し、清想、祈祷、聖書読修の場としてここを訪れる人々に広く開放している。
また、東隣には西洋風別荘を立て、軽井沢別荘の第1号を作り、
現在もショーハウスとして建物は残っている。)(軽井沢町)

芭蕉句碑には、

馬さへ ながむる 雪のあした哉   (芭蕉)

(芭蕉「野ざらし紀行」中の一句。
雪ふりしきる朝方 往来を眺めていると、多くの旅人がさまざま風をして通っていく。
人ばかりでない駄馬などまで普段と違って面白い格好で通っていくよ。
碑は天保14年(1843)当地の俳人によって建てられた。)(軽井沢町)とある。

芭蕉は、旧中山道上に沢山の句碑を残している。

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(芭蕉句碑)

芭蕉句碑の先に、軽井沢では、有名な「つるや」旅館がちょうちんに灯を入れて旅人を迎えている。
この先はレンガの石畳が続き、旧軽井沢銀座といわれる繁華街が続く。
途中右側に、神宮寺があり、樹齢350年のしだれ桜が健在である。
旧軽井沢銀座の終点(レンガ道路の終り)辺りに本陣があったようであるが、
今は何も確認できない。

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(つるや旅館)

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(ご存知の旧軽井沢銀座が先に続く)

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(神宮寺入り口)

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(樹齢350年のしだれ桜)

この先左に行けば軽井沢駅、斜め右に進むのが旧中山道で、
正面に道路の案内看板があるので判りやすい。

この先で沓掛宿(今は中軽井沢)に入る。

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(旧ロータリー、白い車の方向へ直進するのが旧中山道)

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(正面の案内看板、沓掛は今では中軽井沢)



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