中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

遊行柳(芭蕉の道を歩く 33)

2012年12月23日 10時53分24秒 | 芭蕉の道を歩く
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(遊行柳)
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(那須・芦野)
国道294号線は一面の田畑の中を行くが、
芦野に入ってすぐ左側に、空に向って一握りの柳の塊あるのが見える。
「遊行柳」云われるもので、芭蕉は「清水流るるの柳」といっている。
「清水流るるの柳」は、思慕する西行の歌、

・ 道の辺に 清水流るる柳蔭 しばしとてこそ 立ちどまりつれ

から取ったものだ。

(西行法師の歌碑)
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一方で「遊行柳」は謡曲「遊行柳」から出たものといい、
謡曲史跡保存会によると、
(その昔、諸国巡歴の遊行上人が、奥州白河の関のあたりで、
老翁に呼び止められ、「道のべに清水流るる柳かげ」と西行法師が詠じた、
銘木の柳の前に案内され、
そのあまりに古びた様子に、上人が十念(念仏)を授けると老翁は消え去った。
念仏を唱え回向を続ける上人の前に、夜更け頃、
烏帽子狩衣の老翁が現れて、
「遊行上人の十念(念仏)を得て、非情の草木ながら極楽往生が出来ました」と喜び、
幽玄の舞を通して、念仏のご利益を見せる名曲。
-中略―
星移って遊行十九代尊皓上人巡化の折、
老翁姿の柳の精が出現して、
上人を案内したとのいわれから、
やがて「遊行柳」と呼ばれるようになったと言う。
柳は以来何代にも渡って植え継がれてきた。)
とある。

国道294号線を行くと、左手に「遊行庵」があり、
無料休憩所、駐車場も完備されているので、ここに車を止め、
200mほど田んぼの中を歩く。
「那須町指定史跡 遊行柳」の標柱がある。

(遊行庵)
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(遊行柳への道案内)
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(田圃の中の道の標柱)
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「おくのほそ道」の原文には、
(芦野の里にありて、田の畦に残る。このところの郡守戸部某(なにがし)の、
「この柳みせばや」など、折々にの給ひ聞こえ給ふを、・・・)

とあるように、今でも田の中の畦道を行く。
柳は石の鳥居に沿って植えられており、
鳥居は奥に見える大銀杏の木に囲まれた
温泉神社の参道に植えられたものである。

(石の鳥居の向こうにある温泉神社の大銀杏)
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この原文にある「この所の郡守戸部某」は、
この地域を所領にしていた領主、
19代芦野民部資俊(あしのみんぶすけとし)を指しており、
芦野氏の菩提寺である建中寺は遊行柳の近くにあり、
山上の立派なお寺の墓地に、石垣に囲まれ苔むしたお墓が現存している。

(建中寺の本堂)
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(建中寺の鐘楼)
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(芦野民部資俊の墓がある丘の紅葉)
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(芦野民部資俊の墓)
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また、この柳の下に芭蕉句碑、

・田一枚 植えて立ち去る 柳かな  芭蕉

があり、
その反対側に西行法師の「道の辺に清水流れる・・・」の歌碑がある。
そして、この歌碑の背後には与謝蕪村の漢詩仕立ての句碑

・柳散清水涸石処々(やなぎちり しみずかれいし ところどころ)の俳句がある。

(芭蕉の句碑)
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(与謝蕪村の漢詩風の句碑)
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車を停めた遊行庵にもどり、家路に付いた。
PM15:30で帰京したのが18時であった。

(墓地のある芦野の丘の紅葉)
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・招かれし 芦野の丘に 落ち葉かな    hide-san


(*)この後、東北は雪のため、「芭蕉の道を歩く」のは、2013年春の雪解けを待って再開したいと思います。