中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

高久角左衛門と高福寺(芭蕉の道を歩く 32)

2012年12月19日 09時50分23秒 | 芭蕉の道を歩く
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(芭蕉が二泊した高久)
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(那須・高久)
黒羽の城代浄法寺図書邸から家来の角左衛門への紹介状を携え、
芭蕉は那須の「殺生石」を見ようと出かけた。
途中、雨のため、紹介された高久の角左衛門家に二泊している。
角左衛門は高久の地にあって、名主であった。

現在、4号線旧道に沿って「芭蕉二宿の地」の石柱があり、
三軒ばかりの民家が建っている。
南隣に小さな公民館があるので、その空き地に車を駐車させてもらう。
公民館から歩いて「芭蕉二宿の地」を通り越して、北へ数十メートル先に、
(那須町史跡 芭蕉翁塚 「杜鵑の墓」)の白い標柱と説明案内が建っている。
奥をのぞくと、階段の先に芭蕉翁塚の上に覆いがある。
(*)杜鵑はトケンと読み、ホトトギスの中国名。

(芭蕉翁塚の標柱)
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那須町教育委員会の案内を要約すると、
(黒羽の桃翠宅からきた芭蕉は、雨で高久に二泊し、
「殺生石」を見るために那須湯元に向ったのを記念して、
角左衛門の孫青楓が、芭蕉の碑を建て、「杜鵑の墓」と称した。
「落ちくるやたかくの宿の時鳥 芭蕉」の句を、角左衛門に授けた。)とある。

標柱の場所から小高い所の奥に「芭蕉庵桃青君碑」の碑が建っている。
ずいぶん古い碑のようで碑文が漢文で書かれているようであるが、
判読できないと、旅のガイドブックにあるが、
正面の「芭蕉庵桃青君碑」以外は、左右背面には何も文字らしきものは、
見当たらなかった。立て替えられたものかも知れない。

(芭蕉翁塚、奥に碑が見える)
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(芭蕉庵桃青君碑を撮っているボクの影が映っている)
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芭蕉翁塚の場所より、南へおよそ1kmの左に、
高久家の菩提寺 高野山 高福寺があるが、
参道を入った本堂手前の広場に、松の木がある根元に句碑がある。

(高福寺参道中央の松)
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「高く村庄屋が
 家に宿りて
 落来るやたかくの
  宿のほととぎす
 一と間をしのぐ  ミじか夜の雨 曾良
」とある。

(松の木の根元にある句碑)
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曾良の俳諧書留によると、
芭蕉が角左衛門に授けた句文は、

(殺生石見んと急ぎ侍るほどに、
雨降り出ければ、先、此処にとどまり候。
・落ちくるやたかくの宿の時鳥  翁
   木の間をのぞく短夜の雨  曾良


であり、碑文が間違っている事がわかる。

このあと、芭蕉は「清水流るるの柳」(遊行柳)を観るために、
那須町芦野に出かけている。


・二泊せる 高久の里に かかる月    hide-san