森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

「“イマジン” は生きている」

2021-01-13 | 番組
アメリカ在住の中島聡さんが、大統領選挙前からこの時点までの「米国で起きたこと」を
事実のみを抜き出し時系列順に記していますが、現地の状況が「核戦争の勃発すらあり得
るという緊迫状態」だと伝えています→コチラ
こんなことが起きないよう願っていますが、そう思わせてしまう人格なのが怖いです。

前回途中からしか見ていなかった「”イマジン”は生きている」(NHK)の再放送を観ま
した。語りは、King Gnuの井口理さん。ジョンが射殺されてから、もう40年経
ってしまったのですね。12月の命日には、「平和を願ったジョンに敬意を表して」大勢
の人々が集まり「イマジン」の大合唱になったシーンもありました。

ジョンとヨーコは、ベトナム戦争・人種差別に揺れた1970年代に「愛と平和」を訴え続
けていました。「世界中の人々は、この小さな地球に暮らす運命共同体」と語りました。
過激な反戦活動とは異なり、彼は曲に「世界中のすべての人が幸せに暮らせる」願いを
込めました。1969年11月にはワシントンで行われたベトナム反戦集会で「Give peace a
chance」を大勢の人々がピースサインをしながら歌いました。

ジョンの活動の前から、多くの国で「反戦歌」は歌われましたが、「政府や放送局など
が、体制批判や厭戦的風潮の蔓延を警戒して、反戦歌と解釈可能な楽曲の放送を禁止、
自粛するよう要求するケース」が多く見られました。(出典 wikiより)

当時、子供だった私たち世代も、ニュースなどで知っていました。(でもまさか
あのCCRの「雨を見たかい」までが反戦歌だったとは!)
戦争を正当化したい政府は、最も効果的に若者を動かす彼らの動きを排除しよう
としてきましたが、そういう「勢力」は残念ながら今も「ある」のだと感じます。

「イマジン」の歌詞は、二人が出会う二年前に出したヨーコの詩集「グレープフルーツ」
からインスパイアされたものだそうですが、「イマジンは政治的な歌だけど、子供に語り
かけるように書いたんだ。イマジンは甘い砂糖で包んであるんだ。宗教も国も政治対立も
ない世界をと歌っている。けど砂糖に包まれているから、世界中のどんな立場の人にも受
け入れてもらえるんだ」とジョン自らが語っていました。

ジョンとヨーコがニューヨークに移った3か月後、反戦活動家「シンクレア」の釈放を
求めるコンサートで、ジョンが政治批判する過激な歌詞の曲を歌った時、会場には連
邦捜査局FBIの捜査員が監視していたとのことです。

このコンサートは全米でテレビ放送され、ジョンのメッセージは人々を動かし、シン
クレアは釈放されたということでした。けれど、ジョンの監視は強化されていきまし
た。死後公開された、当時作られた「通称 レノンファイル」は、100ページを超え
る膨大な報告書で「ジョン・ウィンストン・レノン=新左翼勢力 危険人物」と結論
付けられていました。

 
 

ニクソン政権はFBIを利用して反戦運動を厳しく弾圧していましたが、あからさまに
彼らに対して「命の危険」を予告する発言まで残っていました。
平和を願う人を「左翼呼ばわりして排除する」という、何とも民主主義に反する思想
です。

ジョンにはアメリカ政府から「60日以内に出国しなければ不法移民とみなす」という
文書が届いたことは有名ですが、結局国外退去を免れアメリカ永住権を得ることが出
来ました。思えば、映画により時の政治を批判したことから「国外追放」されたチャ
プリンのように国を出ていれば、ジョンは殺されずに済んだかもしれません・・。

マイケルが、彼の映画で共演した「ショーン」(ジョンとヨーコの息子さん)の前で
リスペクトを込めて「Come together」を披露したシーンが印象的でした。
彼も「We are the world」を書き、「Heal the world」、「Earth song」ではより強烈
なメッセージを発信しました。そして最後にはあの「4年以内に地球温暖化を止めよう」
とハッキリと言葉にし、そしてあり得ない理由で突然亡くなりました。

Michael Jackson ~ Heal The World ~(和訳付き)


彼らは、今「反グローバリズム」を唱えている人々の言う「グローバリズム」とは全く
意味の違う「真の意味でのグローバリズム」を理想としました。共に、エゴを捨てて、
「戦いをやめ、世界中の貧しく苦しんでいる人々を助けよう」と私たちに訴えました。

彼らのメッセージを、後の世代に繋ぎたいと思う私も「夢想家」なのでしょうか・・。
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