森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

マイケルの誕生日と、「凪ちゃん」のその後

2019-08-30 | 映画ドラマ
昨日はマイケルの誕生日。
もう数えることもしなくなった彼の年齢だけど、生きていれば61歳。
きっと素敵なロマンスグレーの紳士になっていたと思う。

例年の「お約束」で、この日は友人とマイケルを語りながら食事をすることに
している。
昨年はカラオケを始めたばかりで「マイケルソング」を歌いつつ、そこで食事
という形をとった。

彼の歌を伴奏つきで歌うのは新鮮で楽しかった。けれどもそこのご飯はあまり・・;
で、今年は食事は別の所でという話になったけど、自由時間の少ない友人には
それでは時間が足りないからということで、再度カラオケ屋での食事会になった。

マイケルの曲はどんなに頑張ってもせいぜい90点を少し超えるくらいしか歌えない。
あれほど聴き倒しているのに、声はひっくり返るわ、出だしは遅れるわで(笑)
そもそも彼の歌を上手に歌おうなんて、とんでもないことなのだ!!と思い知る。
(それでもこの日に歌ったんだという記念に、彼の曲を二曲、録音して帰ったけど)

昨日までは、九州が丸ごと洪水に飲みこまれるかと思うくらいの大雨が続いた。
それでも出来る限り「誕生日」なので出かける予定にしていたが、家を出られる
のかもアヤシイほどの雨に少したじろいでいたところに、長姉からの電話。

「どうしようか迷っている」旨を告げると、長姉は「絶対に止めり!(やめなさい)」
と怒鳴るほどの勢いで繰り返す。長姉が心配して言ってくれているのは判るけれど、
その押しの強さにいつも閉口してしまう私は、ついに言った。

「〇〇姉ちゃん、私だっていい大人なんだから、そんなことは自分で決めるよ」と。
私はいつもちゃんと自分で判断してきたつもりだった。特に子供たち三人を抱えて
それぞれの大事な決断を、私はひとり親として決めなければならなかったのだから。

長姉はその頃も度々介入してきて自分の考えを私や子供に押し付けようとした。
その度に母から窘められていた。「〇ちゃんが決めることやから」と。
生前の母と長姉はあまりうまくいってなかったのはそういうことが多くあったから
で、度々私の子供たちとも姉は衝突していた。

長女として育った姉は、子供時代に母から何かと注意を受けていたという。
それに反発していた姿を度々私たちは目にしていた。けれども母が亡くなり、あの頃
の姉の勢いは、私たちを守ろうという強い思いに変わったのだろう。折々で姉妹や家
族の助けになってくれた。ただ時々、行き過ぎてしまうだけなのだ・・。

その経験から、私は子育ての時に自分の決め事として守ってきたことがある。
それは子供に「~しなさい!」と言わないこと。何か注意しなければならない時も
言うのは二度までと。二度言ってしないなら、絶対に効かないのは判っていたから。
その代りそれによって失敗しても、自分で「後始末」をつけることだけは厳しく言っ
たつもり。

ドラマ「凪のお暇」の凪ちゃんはやはり期待通り、失敗を積み重ねながら成長した。
バーのオーナーや元彼から「他人に関心がない」と思いもよらぬ指摘をされて気付き
始めた。自分は周りに合わせて、自分を犠牲にして生きてきたつもりでいたのに。

こういう人は日本社会にはとても多い気がする。誰にも関心がない代わりに、自分の
考えを持てず、差し障りのないことしか言わないから話しても面白みのカケラもなか
ったりする。だから、むしろシンジのような変な人の方が私には好ましかったりする。
(だから「変な人ホイホイ」になってしまうのかも・笑)

そういう意味では長姉は「他人に関心があり過ぎる」ほどだ。だから「好かれるか嫌
われるか」極端だったりするのだけれど。

今、凪ちゃんは自分と関わる人に思いを至らせ、自分に何ができるかを考える人にな
ろうとしている。(元々、彼女の中にあるそれを、押し込めていたのかもしれない)
そして、自分の足で歩こうとしている。
先週のセリフ「空気は読むものではなくて、吸って吐くモノです・・」は「よく言った」
と心の中で拍手。そして今日は金曜。その後の展開はいかに?☆




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