昨日は、近づいた姉の引っ越しの「荷造り」を手伝うために有休を取っていた。
数日前の休日にも、自宅で昼食を摂った後にバスに乗って行き、手伝ったばかり。
およそひと月も前から準備を進めているのに、着いてみると殆ど手つかず状態に見えた。
自分の決して多いと言えない引っ越しの記憶をたどると、29歳の時の引っ越しでは、末っ
子を妊娠中だった。
それでも夫だった人は片付けができない人だったので、ほぼ一人で荷造りした。
これ以前の引っ越し経験から、自分で「To Do リスト」を作成し、それに添って数日で荷
造りを終えたと記憶している。
その最中に思いついて、手持ちの白木チェストにニス塗りまでしたのだから、一体子供たち
がその間どうしていたのかさえ思い出せない(笑)母はまだ勤めていた筈だし、よくも身体
が動いたなぁと自分でも不思議に思う。
年令的には既に老境に入った姉だから仕方ないのかもしれないけれど、準備の進まない原因は
行ってみて初めて判った。
姉は、玄関横にある籐のチェストの前に座り込み、雑然と仕舞われていた書類や小物の一つ一つ
を手に取り、いちいち眺めてはひとしきり迷って、捨てずにほぼそのまま段ボールへと放り込ん
でいた。
ずっと使わずにしまったままの封筒やティッシュなどと一緒に、何処のかも判らない鍵の束と
か、写真とか薬などがひとつの段ボールに混在していた。
モノの、定位置を決めずにいると、こんなことになるのだなぁと改めて知ることに;
そういう状態なので、私が横槍を入れるしかなく、ひとつずつ「コレはどうする?」と訊くと、
姉は「とりあえず段ボールに入れといて」と言うので、「使わないモノはこの際処分しようよ」
と提案すれば「捨てるのはいつだって出来るから」と言う。「ダメだよ。いつは今なんだから」
とやや強気で言いながら、それからは姉を促すよりも姉が迷いそうなモノを手に取り、捨てて
よいもかどうかを勝手に判断してゴミ袋に入れ始めた。
何しろモノが多い。いちいち迷っていたら何カ月あっても終わりそうにない。
埃をかぶったドライフラワーとか、壁が見えない程に飾られた細々とした雑貨類もほぼ捨てさせ
てもらったが、姉は使えそうなものを見つけるたびに「誰か要る人がいるかも」等と言っている
ので、「今は貰い手を探してる場合じゃないよ」と言ってみたり。
恐らく二つ前の日記の「洗剤」も、こんな感じで持ってきてくれたのだろう。
経理の仕事ではあんなにテキパキと瞬時に判断し、家の行事でも何かと姉妹の音頭取りをしてく
れたし、姉妹の誰よりも長く働いていたのに。
でも、基本若い時から家事よりも外に出て動く方が好きだった姉には、こういう判断が最も苦手
であることを、この時改めて知ることになった。
ただ、母の物に関しては、手に取り、二人して暫し母の思い出に浸ってしまうことも。
古いシッカロールの缶の中には手製の針山が。料理やオヤツなど沢山のレシピがスクラップブックに
そういったものを画像に撮り、「お母さんご免ね」と二人で涙しながら捨てさせてもらった。
もう姉だって母が亡くなった年令まであと10年もないのだから、きっと母も許してくれると
信じている。 モノを片づけるということは体力と精神力を奪うものだなぁと再認識。
こんな思いをしながら物に向き合うのでは、作業が滞るのも解る・・。
帰宅して、また白目の奥が出血しているように真っ赤になっていて、翌日(仕事日)まで消え
ず。
昨日は結局、すぐ上の姉が行って手伝ってくれたようだったので、私は一日家で休ませてもら
うことにした。
数日前の休日にも、自宅で昼食を摂った後にバスに乗って行き、手伝ったばかり。
およそひと月も前から準備を進めているのに、着いてみると殆ど手つかず状態に見えた。
自分の決して多いと言えない引っ越しの記憶をたどると、29歳の時の引っ越しでは、末っ
子を妊娠中だった。
それでも夫だった人は片付けができない人だったので、ほぼ一人で荷造りした。
これ以前の引っ越し経験から、自分で「To Do リスト」を作成し、それに添って数日で荷
造りを終えたと記憶している。
その最中に思いついて、手持ちの白木チェストにニス塗りまでしたのだから、一体子供たち
がその間どうしていたのかさえ思い出せない(笑)母はまだ勤めていた筈だし、よくも身体
が動いたなぁと自分でも不思議に思う。
年令的には既に老境に入った姉だから仕方ないのかもしれないけれど、準備の進まない原因は
行ってみて初めて判った。
姉は、玄関横にある籐のチェストの前に座り込み、雑然と仕舞われていた書類や小物の一つ一つ
を手に取り、いちいち眺めてはひとしきり迷って、捨てずにほぼそのまま段ボールへと放り込ん
でいた。
ずっと使わずにしまったままの封筒やティッシュなどと一緒に、何処のかも判らない鍵の束と
か、写真とか薬などがひとつの段ボールに混在していた。
モノの、定位置を決めずにいると、こんなことになるのだなぁと改めて知ることに;
そういう状態なので、私が横槍を入れるしかなく、ひとつずつ「コレはどうする?」と訊くと、
姉は「とりあえず段ボールに入れといて」と言うので、「使わないモノはこの際処分しようよ」
と提案すれば「捨てるのはいつだって出来るから」と言う。「ダメだよ。いつは今なんだから」
とやや強気で言いながら、それからは姉を促すよりも姉が迷いそうなモノを手に取り、捨てて
よいもかどうかを勝手に判断してゴミ袋に入れ始めた。
何しろモノが多い。いちいち迷っていたら何カ月あっても終わりそうにない。
埃をかぶったドライフラワーとか、壁が見えない程に飾られた細々とした雑貨類もほぼ捨てさせ
てもらったが、姉は使えそうなものを見つけるたびに「誰か要る人がいるかも」等と言っている
ので、「今は貰い手を探してる場合じゃないよ」と言ってみたり。
恐らく二つ前の日記の「洗剤」も、こんな感じで持ってきてくれたのだろう。
経理の仕事ではあんなにテキパキと瞬時に判断し、家の行事でも何かと姉妹の音頭取りをしてく
れたし、姉妹の誰よりも長く働いていたのに。
でも、基本若い時から家事よりも外に出て動く方が好きだった姉には、こういう判断が最も苦手
であることを、この時改めて知ることになった。
ただ、母の物に関しては、手に取り、二人して暫し母の思い出に浸ってしまうことも。
古いシッカロールの缶の中には手製の針山が。料理やオヤツなど沢山のレシピがスクラップブックに
そういったものを画像に撮り、「お母さんご免ね」と二人で涙しながら捨てさせてもらった。
もう姉だって母が亡くなった年令まであと10年もないのだから、きっと母も許してくれると
信じている。 モノを片づけるということは体力と精神力を奪うものだなぁと再認識。
こんな思いをしながら物に向き合うのでは、作業が滞るのも解る・・。
帰宅して、また白目の奥が出血しているように真っ赤になっていて、翌日(仕事日)まで消え
ず。
昨日は結局、すぐ上の姉が行って手伝ってくれたようだったので、私は一日家で休ませてもら
うことにした。