平成23年9月19日(月・祝)富岡製糸場東繭倉庫で世界遺産大学が行われました。3倍の倍率の抽選を通過した幸せの人たちが聴講しました。
(講演から心の記憶に残ったことなどのメモ)
第1部
「絹とファッション」森 英恵先生
どのようにしてファッション界におはいりになり、どのようにしてパリでご活躍なされるようになったかのお話の中で大切なことを色々とお聞きしました。
◎ルーツのない人間はどこへ行っても馬鹿にされる←森先生はアメリカで仕事を始める前に3年間日本文化の勉強をしてアメリカに渡った。
◎ルーツは大切に 日本人は自分のルーツを持つことが必要!絹→日本のもの
ファッションショーは花を生けるように美しいと思ったのが、ファッション界に入るけっかけになった。
ココ・シャネルの作るシャネルスーツを買い求め、それを着ることで着る物の基本を学んだ。
日本人としての自分の黒い髪、真っ直ぐな髪の特色を知り、それを活かした美の追求が必要との思いを持つようになった。
(質問から)
物静かな人から、あのような熱い作品がどうして生まれるのか?
作品を手で作り上げていくことが大切。現在、造花にしても、翅の職人にしても後継ぎがいない、手を使った仕事をしていきたい。
◎皇后さまのご養蚕を知り、胸が熱くなった。絹は私たちに大切なもの。絹に磨きをかけて世界の注目を集めたい。絹の文化を大切にしたい。 第2部 未知の夢「先端技術の苦闘と感動」川口淳一郎先生 「はやぶさ」はサンプルリターンを達成することが、使命だった。
小惑星探査機「はやぶさ」の快挙はアメリカから「 フォン・ブラウン賞」を受賞した。サイエンス誌で2度も表紙を飾った。
「はやぶさ」←群馬県との関係
糸川英夫博士はかつて中島知久平の中島飛行機で「隼」野設計に関係していた。戦後、ペンシル型ロケットの生みの親である。
糸川博士の名前が小惑星について「いとかわ」となった。
糸川英夫とフォン・ブラウン←ペンシル型ロケット
「はやぶさ」を製造したのは株式会社IHIエアロスペース エンジニアリング ( 群馬県富岡市藤木)
「はやぶさ」への取り組み”他の国がやらないことをやる”
「やれない理由を探す」文化でなく、「こうすればできる」という文化(糸川先生)
「はやぶさ」の成功は”技術より根性”で生まれた。
ディスプレイだけで仕事をしてはいけない。現場に行くことが大切。
日本は「製造の国から創造の国」にならなければならない。
富岡製糸場を世界遺産として残すことは、大切な現場を残すこと。
上毛新聞記事(世界遺産劇場・世界遺産大学)
http://www.raijin.com/news/a/2011/09/20/news01.htm