陸奥記念館は私たち二人だけで借り切り状態でした。
ひまそうな管理人のおじさんに「陸奥と大和はどちらが大きいですか?」と訊きました。
「大和は7万t 陸奥は4万t、比べられないくらい大和が大きいですよ!」とあまり陸奥を誇りに思っていない感じで、しかもそんな事も知らないのか!、いい年してという意味をこめた返事でした。
海を見たくなって5月28日柳井の先の大島に行ったのです。海水浴にも早いし観光客のいない過疎の島で、ゆっくりドライブを楽しめました。
記念館の展示で「へぇー」と感じたのは、この船は一度も戦争したことのないまま、沈んだそうです。1924年(大正10年)竣工・1943年(昭和18年)沈没。 19年の生涯処女・童貞のままの死は哀れです。
戦艦大和は1941年(昭和16年)竣工・1945年(昭和20年)沈没。 たった5年の生涯です。寂しいものですね。
戦艦大和の建造費は、当時の国家予算の3%に当たるそうで、東海道新幹線をまるまる造れる金額だそうです。そんな船を片道燃料で沖縄へ特攻作戦につかうのですから、日本の死に場所ときめて出撃したのでしょう。
映画「地上最大の作戦」でノルマンジーの海岸は無数の艦船で埋め尽くされドイツ軍の兵隊はあっけにとられていました。
そんな場面に味方の戦艦大和が現れれば圧倒的に有利になります。
沖縄上陸作戦に対抗する良い作戦とも思いますが、沖縄に行き着く前に航空母艦からの艦載機の攻撃の餌食になってしまいました。
「戦争とは無駄なことだなあ!あの映画【戦場に架ける橋】と同じだ」と無責任に60年後の私は感じていますが、当事者の方々の分っていてもやらねばならぬ気持、絶望感を感じなくては申し訳ないと展示品を見ながら思いました。
陸奥の引き上げられた船体の鉄材 は特殊な用途に役立てられたそうです。
現代の製鉄所・溶鉱炉の耐火煉瓦にはコバルトが入っているそうです。
そこで造られた鉄にはコバルト60が極微量含まれており、僅かですが放射能をおびているそうです。
放射線を測定する機器には、現代日本製の鉄では、そのため使えなくて困っていたところ、この陸奥のスクラップは昔流の作り方ですから放射能がまったくなく、これらの測定機器およびそれらの遮蔽容器に重宝されたそうです。
瀬戸内の海は,大小の島がいいアクセントになり、人間が生きている海、魚が沢山いる海という感じがします。 水平線だけの海・堀江健一さんや今来礼さんたちヨット人の好きな海とは同じものとは思えません。
こういう箱庭のような海も日本人の性格を作った環境だ。こんなきれいな海は世界にもなかろう。 エーゲ海の青い海白い砂 カリブ海の珊瑚礁など、いい景色の海はあっても皆ドライな感じで生活の匂いがない。そこでは日本人は育たない.
この複雑な海・変化に富んだ小島・潮の流れ、瀬戸内海こそ日本の母と言えるように思えました。
こういう島で、釣り糸をたれ、波がザザー・ザザーと打ち返す音を聞いていると、世界が止まったようにも見えるでしょう。
七福神が乗る福船はここにぴったりです。カリブやエーゲの海では海賊船にメチャメチャにされそうです。
遠くに大きな貨物船がいます。瀬戸内海は深いのです。
陸奥の沈んだ海域は水深40m以上で、サルベージは当時の最高技術を要したそうです。
海が深いから、おおきな鯛もいます。
津軽海峡も瀬戸内海もこんなに深いのに、関門海峡の浅さは何故だと不思議です。本州と九州は一体の地質でたまたま低いところに水が流れ込んだと思えます。 もし水が浅く船が通れないとするとうれしいですね
そうだったら、スエズやパナマのような運河を日本人が最初に掘っただろうなと想像します。
そんな運河の経験があれば、マレー半島クラ地峡の運河も明治時代に出来ただろうし、現代もめている有明海の海水浄化についても、諫早地峡に運河を作ろうと発案・検討されるだろう。そして戦艦陸奥や大和を作るより日本の国益に叶うなど 小泉さんも言いそうですね!
ゆっくり海をみていますと色々考えが浮かびますが、私に浮かびますのは以上の様な事で、文学的なこと ロマンチックなことはありません。
何か偏り(かたより)があるようで寂しいですね?
ひまそうな管理人のおじさんに「陸奥と大和はどちらが大きいですか?」と訊きました。
「大和は7万t 陸奥は4万t、比べられないくらい大和が大きいですよ!」とあまり陸奥を誇りに思っていない感じで、しかもそんな事も知らないのか!、いい年してという意味をこめた返事でした。
海を見たくなって5月28日柳井の先の大島に行ったのです。海水浴にも早いし観光客のいない過疎の島で、ゆっくりドライブを楽しめました。
記念館の展示で「へぇー」と感じたのは、この船は一度も戦争したことのないまま、沈んだそうです。1924年(大正10年)竣工・1943年(昭和18年)沈没。 19年の生涯処女・童貞のままの死は哀れです。
戦艦大和は1941年(昭和16年)竣工・1945年(昭和20年)沈没。 たった5年の生涯です。寂しいものですね。
戦艦大和の建造費は、当時の国家予算の3%に当たるそうで、東海道新幹線をまるまる造れる金額だそうです。そんな船を片道燃料で沖縄へ特攻作戦につかうのですから、日本の死に場所ときめて出撃したのでしょう。
映画「地上最大の作戦」でノルマンジーの海岸は無数の艦船で埋め尽くされドイツ軍の兵隊はあっけにとられていました。
そんな場面に味方の戦艦大和が現れれば圧倒的に有利になります。
沖縄上陸作戦に対抗する良い作戦とも思いますが、沖縄に行き着く前に航空母艦からの艦載機の攻撃の餌食になってしまいました。
「戦争とは無駄なことだなあ!あの映画【戦場に架ける橋】と同じだ」と無責任に60年後の私は感じていますが、当事者の方々の分っていてもやらねばならぬ気持、絶望感を感じなくては申し訳ないと展示品を見ながら思いました。
陸奥の引き上げられた船体の鉄材 は特殊な用途に役立てられたそうです。
現代の製鉄所・溶鉱炉の耐火煉瓦にはコバルトが入っているそうです。
そこで造られた鉄にはコバルト60が極微量含まれており、僅かですが放射能をおびているそうです。
放射線を測定する機器には、現代日本製の鉄では、そのため使えなくて困っていたところ、この陸奥のスクラップは昔流の作り方ですから放射能がまったくなく、これらの測定機器およびそれらの遮蔽容器に重宝されたそうです。
瀬戸内の海は,大小の島がいいアクセントになり、人間が生きている海、魚が沢山いる海という感じがします。 水平線だけの海・堀江健一さんや今来礼さんたちヨット人の好きな海とは同じものとは思えません。
こういう箱庭のような海も日本人の性格を作った環境だ。こんなきれいな海は世界にもなかろう。 エーゲ海の青い海白い砂 カリブ海の珊瑚礁など、いい景色の海はあっても皆ドライな感じで生活の匂いがない。そこでは日本人は育たない.
この複雑な海・変化に富んだ小島・潮の流れ、瀬戸内海こそ日本の母と言えるように思えました。
こういう島で、釣り糸をたれ、波がザザー・ザザーと打ち返す音を聞いていると、世界が止まったようにも見えるでしょう。
七福神が乗る福船はここにぴったりです。カリブやエーゲの海では海賊船にメチャメチャにされそうです。
遠くに大きな貨物船がいます。瀬戸内海は深いのです。
陸奥の沈んだ海域は水深40m以上で、サルベージは当時の最高技術を要したそうです。
海が深いから、おおきな鯛もいます。
津軽海峡も瀬戸内海もこんなに深いのに、関門海峡の浅さは何故だと不思議です。本州と九州は一体の地質でたまたま低いところに水が流れ込んだと思えます。 もし水が浅く船が通れないとするとうれしいですね
そうだったら、スエズやパナマのような運河を日本人が最初に掘っただろうなと想像します。
そんな運河の経験があれば、マレー半島クラ地峡の運河も明治時代に出来ただろうし、現代もめている有明海の海水浄化についても、諫早地峡に運河を作ろうと発案・検討されるだろう。そして戦艦陸奥や大和を作るより日本の国益に叶うなど 小泉さんも言いそうですね!
ゆっくり海をみていますと色々考えが浮かびますが、私に浮かびますのは以上の様な事で、文学的なこと ロマンチックなことはありません。
何か偏り(かたより)があるようで寂しいですね?