朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

「ジオス」の倒産

2010-04-30 11:04:39 | 21世紀
英会話学校また倒産2010/04/30
 NOVAが倒産して1年、今回は英会話学校大手「ジオス」が倒産だそうです。
 英会話学校は成立しない業種になったようです。
① 昔に比べて、英会話を習う人が減った。
② 英会話出来る人が尊敬されなくなった。
③ 進駐軍も居なくなって、英語で商売する必要がなくなった。
④ 外人が日本語で話して呉れる。
⑤ 英会話CDが、石川遼の宣伝で売れる。

 「聞き流すだけで、英語で考えられるようになり、英語が口から出てくる」
 と宣伝していますが本当でしょうか?

 他の各種学校は、どんな調子でしょう?
 日本語学校は、密入国の手段として存在価値があるようです。
 建設専門学校など、建設業が不況でもうだめでしょう。
 読売新聞社は、新聞配達の若者を建設専門学校を作って通わせていましたが、北九州市では廃校になりました。賢いことです。
 家の娘は、ホテル学科という科の専門学校に2年通いましたが、まともな就職先もなくラーメン屋・菓子屋の店員をしています。存在価値はあるのでしょうか?
 正規の大学を卒業しても、就職出来ない人の多い現在、専門学校の在り方も変化しなくてはいけない気がします。

 高校無償化・子供手当てなどと、お金を使うより、実用になる英会話学校や外人のための日本語教育に補助金を出すのが、役立つ税金の使い道と感じます。
 フィリピンやインドネシアから、介護看護婦を入れ、3年以内に日本人看護婦と同じ試験に受からないと帰国させる制度となっていますが、日本政府の費用で、外国人看護学校で2~3年教育を受けさせるべきだとも思います。

 英会話教育は商売であって、国が補助するのは不都合だなどと言わず、教育は教育なのですから、日本の国の為になるとして援助してやりましょう!

第一次世界大戦

2010-04-09 15:09:45 | 21世紀
第一次大戦の兵隊たちアルベール・カーンの写真4
 よみがえる100年まえの世界4「塹壕の中から見たヨーロッパ」をNHKで観ました。
 第一次大戦中のフランス軍の写真です。
 戦闘場面はなく、従軍した兵士の日常生活を写したものが大半のようです。
 悲惨な場面・負傷兵・戦死者は、政府から禁止されていたそうで、塹壕の様子・最新兵器などが眼を惹きました。
 塹壕の中は、短期戦のつもりで便所などなく、どこでも排便していたようで不潔で新しく来たアメリカ兵はあきれていたそうです。
 フランス軍は、農民の召集兵が多く、ドイツ軍のほうが優勢でした。アルジェリア等アフリカ植民地から黒人兵をつれてきて戦わせたそうですが、ドイツ兵は黒人兵にたいしては弱かったようです。
 戦意高揚のため、フランス女性に慰問の手紙を出すことが奨励され、これがきっかけで結婚になるカップルもあったと解説していました。
 長い対峙で戦死・負傷も多くなり、アメリカの参戦を機会に停戦協定が結ばれました。
 誇りにも栄光にも何にも良い成果がないまま、戦争は終わり、お互い疲弊しただけでした。
 第二次大戦は、一方的な負けで、ドイツ・日本は領土を減らしゼロからのスタートとなりましたが、第一次大戦は、休戦からの話し合いですから、古い秩序はそのまま残ったようで、再度の大戦が必要となりました。

 写真で見る限り、牧歌的な戦争で、2枚羽根の飛行機や、運河の中をパトロールする軍艦、大砲のないタンク、黒人兵の格闘用短剣などが写されていました。

 この戦争を機に、フランス語の統一、人員の移動が行われ、中央集権が確立したようです。

 ナポレオンのような英雄もいず、官僚的な、時間がただ経っていくお祭り騒ぎのない押しつけられる時代のように感じました。
 戦争は、海軍や空軍が華やかでいいですね。陸軍の歩きまわる戦争は花がないですね。
 

民族浄化

2010-04-08 12:28:25 | 21世紀
民族浄化アルベール・カーンの写真3
 よみがえる100年まえの世界3をNHKで観ました。
 東ヨーロッパの1913年をカラー写真で写しています。
 マケドニアのサロニカという港町です。ギリシャ人・セルビア人・トルコ人・ユダヤ人達が入り混じって住んでいます。ギリシャ・セルビア連合軍と支配者オスマントルコ軍が戦争しギリシャ連合軍が勝ちます。トルコ人は難民となってトルコに帰るべく港に向かって逃げています。ユダヤ人はスペインを追い出された難民の居ついたものですが、スペイン風習の生活している有力者が多いようでした。ユダヤ人もマケドニアに居られなくなり難民となって他所に行きます。
 モザイク模様に住むという表現がありますが、それ以上の混合状態で何百年も過ごしていたのですが、トラブルはなかったようです。オスマントルコは、宗教毎に税金を取るだけで、民族についてはお構いなしだったそうです。
 フランスでもイタリアでも、人々がそんなに移動をしないので方言が発達し、同じ民族でも50kmも離れると話の通じないバベルの塔状態だったようです。
 民族統一して、同じフランス語を話す軍隊を作ろうとし始め、各国同じように単一民族になる方針が強まり、民族浄化が時代の特徴になったのです。
 バルカン半島は、民族が入り混じっているだけ紛争も多くなったのです。
 2010年の現在でも、セルビアだ、クロアチアだ、アルバニアだと揉めていますが、私達日本人には訳のわからない対立です。
 日本だって、韓国だ、北朝鮮だ、アイヌだ、熊襲だ、とトラブルはありましたが内乱状態にはなりません。室町時代・安土桃山時代・江戸時代と大名が転封したりして混合が進んだのでしょう。

 アルベール・カーンの写真で見ると、民族統一や民族のアイデンティティなど無くなるまでトルコの力を削がないのがよかったように感じます。
 とにかく、平和共存など更々無い緊張しまくりの時代のようで、私ども甘ちゃんなどすぐ淘汰されてしまうでしょう。
 100年前のヨーロッパは西も東も住みにくいところだと感じました。
 
 雨も降り、太陽もサンサンと照らし、春夏秋冬のある日本では、ヨーロッパより作物も沢山採れ、生活も余裕があったようです。ヨーロッパが人口抑制出来ていたら20世紀は戦争の時代ではなかったのではないか?人口が増えすぎると色々トラブルがでます。
 イスラムやアフリカの20年先を心配します。日本は安心ですね。

100年前の生活

2010-04-08 10:27:02 | 21世紀
アルベール・カーンよみがえる100年前の世界
2010/04/08
 100年前のフランスの銀行家で大富豪のアルベール・カーンは、発明されたばかりのオートクロームというカラー写真に魅入られ、世界中にカメラマンを派遣し、20世紀になって失われる前の庶民生活等の写真を撮らせた。
 アルベール・カーンはアルサスロレーン地方のユダヤ人で、ドイツ人・フランス人どちらにもなれたが、フランス人になりパリで投機者として活躍し、南アフリカのダイア鉱山に投資し財をなしたそうだ。生涯妻帯せず、庭園・芸術に財産を使い、死ぬ時は無一文だったそうだが、膨大なカラー写真を残したのです。明治の日本にも来て、日本のために投資もして、渋沢栄一の仲間でもありました。
 NHKのBS放送で、5回に亘り彼の残したコレクションが放映されます。

 その第1回を昨夜観ました。アイルランドのケルトとしての生活、時代に流され消えて行く姿を女性カメラマンの撮ったものだそうでした。
 写真はキレイで、ケルトの赤い上っ張りが印象的でした。
 しかし、写っている人の表情は暗く、生活苦に打ちのめされている雰囲気でした。
 生活苦に追われ、アメリカへ移民し廃墟になっている家も沢山写っています。
 映画や小説にあるようなロマンチックなノスタルジーは、まったくありません。こんなところに住みたくないの感を抱きます。
 歴史では、貴族の生活や芸術を強調され、良い時代と憧れをもっていましたが、私達庶民には動物一歩前の生活のようです。
 100年前ですから1910年頃ですけれど、ローマ時代のポンペイより遅れています。水道も下水もない藁屋根の家で、楽しみは着飾って教会に行く位のようです。
日本の江戸時代・明治時代の庶民生活が数倍優れていると、気付きます。
 まして、現在の日本と比べれば天国と地獄のようです。
 イザベラ・バードの日本紀行などで、江戸末期の日本はベタ誉めですが、当時のヨーロッパの庶民生活を基準に観察すればそうなるでしょう!
 キリスト教は、庶民の生活向上など考えもしなかったと感じます。だからフランス革命で、自由・平等・博愛などとスローガンを掲げている。そんなものは当時のヨーロッパには無かった概念だ。だから歴史に残っているのだと感じます。 日本に生まれて良かった。現代日本で良かった。民主党がいなければもっと良いけれど!「立ち上がれニッポン」を応援しよう!

足を強く保とう

2010-04-07 14:51:59 | 21世紀
杖を突いて歩いています2010/04/07
 腰の裏側の筋肉が、神経痛で、歩けなくなりました。
 骨に巻いた老廃物で、骨盤が開き、その結果呼吸が少なくなり、ガニ股が定着していると言われ、リンパマッサージ(ロルフィング・ボディワーク)で人体改造をしています。
 初めはアキレス腱、次にフクラハギ、太股と順次痛みを感じ痙攣をおこしていましたが、最後の仕上げが腰のようで、膝や腰を伸ばすと痛みが走ります。
 あと1週と我慢していましたが、とうとう歩けなくなりました。
 これが過ぎれば、あとは万々歳と思いながらも、歳のせいか?糖尿病のせいかと疑心暗鬼になっています。

 老人向けの杖を買いました。杖を突いて膝・腰を伸ばしていますと、痛みは薄れます。
 自分が杖を使うようになったら、杖を突いている人が結構居ることに気付きました。
 糖尿病のかかり付けの杉本クリニックでは、傘立てならぬステッキ立てがあり、5~6人の人が杖を置いています。
 昔のミズーリ号の降伏調印式で、重光葵外相が杖を突いている姿を思い出し、背筋を伸ばし、貫録あるように一歩一歩、歩いています。
 やはり昔のことですが、三江工業の江崎社長も足が不自由で、杖を2本、スキーのストックのように使って上手に階段を下りて、地下のスナックに飲みにいったことを思い出しました。
 一緒に仕事をした曽根製作所の古川工場長も杖でしたが、最後は車椅子になりました。
 おしっこ行きたくなっても、走って行けず、もらしそうになります。尿意を感じると早めに行く習慣になりました。
 
 私の買った杖の袋には、「この杖を使ってはいけない人」として「杖に体重を掛けないと歩けない人」と書いてありました。私はこの杖を使ってはいけない人なのです。

 事務の山下さんは、おばあちゃんが使っていた手押し車を持ってきてくれました。押して歩いていると、がばいばあちゃんになった気分です。