ヴァージニア州がタバコの名産地の理由2009・10・22
煙草は、アメリカインディアンが吸っていて、植民地になって以降世界に広まりました。西部劇でも、ジョン・ウェインがインディアン酋長と一本のキセルで煙草を回し飲みするのが、友好の儀式です。
鳩山首相のいう友愛も、一緒に煙草を飲むことと定義すると分かり易いですね?
イギリス人が、初めてアメリカに定住した、ヴァージニア州ジェームスタウンでも煙草が栽培されそれを輸出したと思っていましたが、初めからそうは行かず歴史があるのには感心しました。
当時人気のあった煙草は、中南米スペイン植民地で生産されるものでした。
ジェームスタウン周辺で栽培される煙草はイギリス人好みでなく、イギリスに輸出しても全く売れないし、植民者自身がスペイン植民地産のものを吸っていました。
スペインは煙草を独占し、大生産地となり、あのカルメンやドン・ホセの働く大きな煙草工場があったのもうなずけます。
スペインは、煙草のタネをスペイン領以外に売ったものは死刑とし、たばこ産業を保護していました。
イギリスは、良い煙草のタネを手に入れようとしますが出来ません。
ジョン・ロルフという男が妻と2人の子供を連れてヴァージニアに向けての第3回目の補給船シーベンチャー号に乗り込み、ジェームスタウンに向かいました。
その航海は嵐に遭遇し、浸水し船長サマーズはバーミューダ諸島の環礁に避難しました。ここで遭難者は1年を過ごすことになり、サマーズ諸島と名付けられました。1年の間にロルフの奥さんも子供たちは亡くなりましたが、ロルフは142人の仲間とジェームスタウンに到着しました。
ジョン・ロルフは、遭難中助けを求め付近の島を回りましたが、その途中で「ニコチアナ・タバカム」と呼ばれる甘い煙草のタネを手に入れていたのです。
この甘いタバコの輸出は1612年に始まり、バージニア植民地を利益の上がる事業にすることに貢献しました。ロルフはこのバージニアで栽培したタバコに「オリノコ」と名付けた。これはおそらくタバコを普及させたウォルター・ローリー卿が伝説の黄金の都市エル・ドラードを求めてガイアナのオリノコ川を遡った1580年の遠征の栄誉を称えたものと見られている。オリノコ・タバコの特徴は甘い香りとニコチンの含有量で、イギリス社交界で珍重されましたた。
スペイン煙草はオリノコたばこに駆逐され、ロルフたちはプランテーションを広げヴァージニア州ジェームスタウンは煙草の大産地になったのです。
1614年、ロルフは地元のインディアン部族指導者、ポウハタン酋長の娘ポカホンタスと結婚しました。ポウハタン酋長はジェームズタウンからはジェームズ川を挟んで対岸に小さなレンガ造りの家を含む資産を新婚の2人に与え、この家はロルフとポカホンタスの新居として使われました。今日その場所はスミス砦と呼ばれ、サリー郡に入っているそうです。
ポカホンタスは、インディアンとして最初に英国に渡り、女王に拝謁し社交界デビューもしました。そういうことからポカホンタスはアメリカの英雄となり現在でも映画になったりしています。
アメリカ開拓の英雄というと、デビー・クロケットを思い出しますが、新大陸に渡って産業を興し、大儲けし植民地の成功者になったジョン・ロルフを憧れて海を渡った若者も多かったことと思います。
グーグルで、関係する項目を検索すると、映画に出てきた人物や地名に出会い楽しくなります。
フロンティアのあった時代、自分自身だけで冒険出来た時代はいいなぁ。
若い人たちにこんな話を聞かせ、夢を見せてやりたいと感じます。
南洋・インドネシア・ベトナムなどには、フロンティアがまだありますよ。
煙草は、アメリカインディアンが吸っていて、植民地になって以降世界に広まりました。西部劇でも、ジョン・ウェインがインディアン酋長と一本のキセルで煙草を回し飲みするのが、友好の儀式です。
鳩山首相のいう友愛も、一緒に煙草を飲むことと定義すると分かり易いですね?
イギリス人が、初めてアメリカに定住した、ヴァージニア州ジェームスタウンでも煙草が栽培されそれを輸出したと思っていましたが、初めからそうは行かず歴史があるのには感心しました。
当時人気のあった煙草は、中南米スペイン植民地で生産されるものでした。
ジェームスタウン周辺で栽培される煙草はイギリス人好みでなく、イギリスに輸出しても全く売れないし、植民者自身がスペイン植民地産のものを吸っていました。
スペインは煙草を独占し、大生産地となり、あのカルメンやドン・ホセの働く大きな煙草工場があったのもうなずけます。
スペインは、煙草のタネをスペイン領以外に売ったものは死刑とし、たばこ産業を保護していました。
イギリスは、良い煙草のタネを手に入れようとしますが出来ません。
ジョン・ロルフという男が妻と2人の子供を連れてヴァージニアに向けての第3回目の補給船シーベンチャー号に乗り込み、ジェームスタウンに向かいました。
その航海は嵐に遭遇し、浸水し船長サマーズはバーミューダ諸島の環礁に避難しました。ここで遭難者は1年を過ごすことになり、サマーズ諸島と名付けられました。1年の間にロルフの奥さんも子供たちは亡くなりましたが、ロルフは142人の仲間とジェームスタウンに到着しました。
ジョン・ロルフは、遭難中助けを求め付近の島を回りましたが、その途中で「ニコチアナ・タバカム」と呼ばれる甘い煙草のタネを手に入れていたのです。
この甘いタバコの輸出は1612年に始まり、バージニア植民地を利益の上がる事業にすることに貢献しました。ロルフはこのバージニアで栽培したタバコに「オリノコ」と名付けた。これはおそらくタバコを普及させたウォルター・ローリー卿が伝説の黄金の都市エル・ドラードを求めてガイアナのオリノコ川を遡った1580年の遠征の栄誉を称えたものと見られている。オリノコ・タバコの特徴は甘い香りとニコチンの含有量で、イギリス社交界で珍重されましたた。
スペイン煙草はオリノコたばこに駆逐され、ロルフたちはプランテーションを広げヴァージニア州ジェームスタウンは煙草の大産地になったのです。
1614年、ロルフは地元のインディアン部族指導者、ポウハタン酋長の娘ポカホンタスと結婚しました。ポウハタン酋長はジェームズタウンからはジェームズ川を挟んで対岸に小さなレンガ造りの家を含む資産を新婚の2人に与え、この家はロルフとポカホンタスの新居として使われました。今日その場所はスミス砦と呼ばれ、サリー郡に入っているそうです。
ポカホンタスは、インディアンとして最初に英国に渡り、女王に拝謁し社交界デビューもしました。そういうことからポカホンタスはアメリカの英雄となり現在でも映画になったりしています。
アメリカ開拓の英雄というと、デビー・クロケットを思い出しますが、新大陸に渡って産業を興し、大儲けし植民地の成功者になったジョン・ロルフを憧れて海を渡った若者も多かったことと思います。
グーグルで、関係する項目を検索すると、映画に出てきた人物や地名に出会い楽しくなります。
フロンティアのあった時代、自分自身だけで冒険出来た時代はいいなぁ。
若い人たちにこんな話を聞かせ、夢を見せてやりたいと感じます。
南洋・インドネシア・ベトナムなどには、フロンティアがまだありますよ。