他人は敵だ
2014/07/31
北九州市では、暴力団関係の事件が時々あります。すると、小学校の登下校が危険であるとされ、集団登下校をせよと、司令が出ています。
小学校児童を対象にした事件があると、「知らない人が話しかけて来たら相手にせず逃げろ」と指導します。
犯罪の起こる確率は、物凄く低いと考えられますが、原子力発電所の事故と同じで、もし事故があったらどうする、被害の責任はどうする、などと極論に進み、事件の無いように他人は敵と思えと、指導するのが現在の方針です。
子供の頃から、そんな教育を受けていたら、大人になっても、他人を信じられなくなるでしょう? 現在の市民運動は、政府のいうことを信じるなということが根本にあると感じます。市民運動の若い世代は、政府に反対することが正義のように考えているように感じます。それらは、「他人を信じるな」という現代小学校教育に原因はないでしょうか?
世界の中で日本は犯罪の一番少ない国だとされていますが、その国の教育方針が「他人を信じるな」では、他の国の模範にはなれませんね?
道徳教育・倫理教育・宗教教育など、日本の義務教育にはありません。。
日教組では、政府の思想教育になる、信教の自由に反する、などと言って「教育勅語」にも反対しています。
未来の日本人の道徳はどうなるだろうと心配にもなります。
サッカーの観客がゴミ片付けをした。災害時日本人はパニックにならず、順番を守ったと、日本人の行動を褒め称える記事もありますが、眼に見えない日本人の本質は「他人を信じない。政府は悪だ」とは寂しい事です。
確率的に無限小の犯罪など、「運が悪かった」と諦めると、「他人を信じることは良い事だ」と教えられると感じます。
損得のみで判断し、児童の事件があれば、教師に責任を負わせ、賠償金を払わせるのが、現代の風潮であり、司法判断です。
「他人を信じよ」という教育が、行われることは、悪でしょうか?
確率的な被害が自分に降りかかったら、それも誰かの責任でしょうか?
地震の時の、交通マヒに、日本人は、自分の足で歩き、交通機関の復旧を怒らず待ちました。他人を信じなければ出来ない行動です。次の世代の日本人は、交通マヒは鉄道会社の責任だと、賠償を請求しそうです?
他人を信じる事を教育に取り込みたいですね。振り込め詐欺は他人を信じて起こったことではありません。事故を起こしたと言う息子に罰を受けさせないと言う損得勘定から起きた事です。事故を起こしたら法律的罰は必要です。
2014/07/31
北九州市では、暴力団関係の事件が時々あります。すると、小学校の登下校が危険であるとされ、集団登下校をせよと、司令が出ています。
小学校児童を対象にした事件があると、「知らない人が話しかけて来たら相手にせず逃げろ」と指導します。
犯罪の起こる確率は、物凄く低いと考えられますが、原子力発電所の事故と同じで、もし事故があったらどうする、被害の責任はどうする、などと極論に進み、事件の無いように他人は敵と思えと、指導するのが現在の方針です。
子供の頃から、そんな教育を受けていたら、大人になっても、他人を信じられなくなるでしょう? 現在の市民運動は、政府のいうことを信じるなということが根本にあると感じます。市民運動の若い世代は、政府に反対することが正義のように考えているように感じます。それらは、「他人を信じるな」という現代小学校教育に原因はないでしょうか?
世界の中で日本は犯罪の一番少ない国だとされていますが、その国の教育方針が「他人を信じるな」では、他の国の模範にはなれませんね?
道徳教育・倫理教育・宗教教育など、日本の義務教育にはありません。。
日教組では、政府の思想教育になる、信教の自由に反する、などと言って「教育勅語」にも反対しています。
未来の日本人の道徳はどうなるだろうと心配にもなります。
サッカーの観客がゴミ片付けをした。災害時日本人はパニックにならず、順番を守ったと、日本人の行動を褒め称える記事もありますが、眼に見えない日本人の本質は「他人を信じない。政府は悪だ」とは寂しい事です。
確率的に無限小の犯罪など、「運が悪かった」と諦めると、「他人を信じることは良い事だ」と教えられると感じます。
損得のみで判断し、児童の事件があれば、教師に責任を負わせ、賠償金を払わせるのが、現代の風潮であり、司法判断です。
「他人を信じよ」という教育が、行われることは、悪でしょうか?
確率的な被害が自分に降りかかったら、それも誰かの責任でしょうか?
地震の時の、交通マヒに、日本人は、自分の足で歩き、交通機関の復旧を怒らず待ちました。他人を信じなければ出来ない行動です。次の世代の日本人は、交通マヒは鉄道会社の責任だと、賠償を請求しそうです?
他人を信じる事を教育に取り込みたいですね。振り込め詐欺は他人を信じて起こったことではありません。事故を起こしたと言う息子に罰を受けさせないと言う損得勘定から起きた事です。事故を起こしたら法律的罰は必要です。