朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

突然の過去

2006-04-25 10:00:05 | 21世紀
突然の過去 2006/04/25
小倉駅から南海タクシーに乗りました。客待ちの3台目のチケットの使える車を選んだのですが、前の車を指差す律儀な運転手さんでした。
 整理員のおじさんが来て、乗せてくれました。

 車が走り出したところで、運転手さんが話しかけてきました。
 「お客さん、もう定年されたのですか?」
 「定年のとしは過ぎたけれど、会社は早く辞めたから定年退職はしていません」「どうしてそんな事訊くのですか?」と答え訊きました。

 「LNGの現場の所長さんだったでしょう? 私もあそこで仕事をしていたのですよ」
 北九州LNGの土木工事は30年前・昭和50年頃の話です。私より少し若い60才くらいの運転手さんでした。
 乗車拒否まがいの態度もあったし、あの現場で悪い印象を持っていて私を想い出したのかと不安な感じを持ちました。

 「私は大島組に勤めていて、洞海土木の下請けとして重機を動かしていました」「所長はあの時モーターボートを現場に持ってきていましたね。私も乗せてもらいましたよ」
 「あそこはきれいな面白い現場でしたね。大林の加治屋さん覚えていますよ。
若い人で映画スターみたいに格好よい人がいましたね」
 「格好いい若い人は、川野君でしょう。結婚して玉野井に名前が変わりました」
 だんだん記憶が鮮明になってくるのでしょう。次から次に話が続きます。

 私は所長・副所長につぐ工事主任の立場でしたが、現場の人は所長と思っていたのでしょう。
 あの現場は、大林組と奥村組のJVで、どちらからもあまり束縛を受けず、思いついて良いと思ったことは自由に実行したものです。
 寄せ集めの知らない人ばかりでしたので、安全活動として面白いことをしました。
JVの職員が、下請けの休憩所に週1回昼休みどこかに行って話しをして来る。
そして皆の要望など聴いてくる。そして仲良くなってくる活動です。
 加治屋さん・玉野井さんは洞海土木の担当として親しくなっていたのでしょう。

 30年経って全然関係のない今、顔を想い出してもらえるのは、印象深かったのでしょう。
 そして、モーターボートなど変わったことをしていると、記憶に残るのだろうと思いました。

 15分の乗車時間でしたが、若がえった気がし、到着しても話を続けたことでした。ちょっと待ってもらって、私の作文集を渡しましたが読んでくれるかなぁ。

 年とった今の私の顔に30年前の顔が残っているのかな。話しかけやすい雰囲気があるのか。うれしい出来事でした。

 いろいろ変わった事をし、親密になって、30年後に想い出してもらえるような、一所懸命の生き方をしよう。
 

滅私奉公

2006-04-21 15:57:45 | 健康

真鍮の加工をしている私達に銅価の高騰という大嵐が急に襲いかかってきました。300円が500円と倍近い価格になっているのです。お客様へ転嫁しなければ倒産です。
 真鍮を沢山使っている東陶機器は変動制単価とし5%以上変動すれば購入価格を改訂するルールになっています。有難いことです。
 しかし、他のお客様にホース口金ニップルを納入しているのですが、ここは値上げの件に応じて貰えません。

 値上げのお願いをしながら感じた事です。
この人達は戦前の滅私奉公の時代を今に引きづっている。値上げをお願いする私に対する発言や表情は、「非国民だ。言う通りにしないお前は、日本人ではない。」というムードです。

 国会では自公が教育基本法で「愛国心」を教育の柱に据えようとし、野党はそれに反対しています。
 国を愛し国の言うことを聞く国民は政府としては統括し易い国民であり、父親の命令を聞き、父親を愛する息子は扱いやすい素直な子です。
 そういう中心人物に対して反抗しない国民をつくろうと意図しているように見えます。

 このお客様は私共の作った口金をホースに取り付け完成品としてメーカーに納入するのですが、そのメーカーが値上げを認めてくれないのに下請け代金の値上げをすることは出来ないと言います。

 戦争中の日本では、「欲しがりません、勝つまでは」とすべてを制限し、反抗するもの特高警察で押さえましたが、大企業の優秀なる社員が言うことは戦前の指導者と同じ考えであり、愛国心教育も実施されれば、理由なき押し付けが日本全国に蔓延するようで、怖い気もします。

 市役所、通産省、そして御用コンサルタントが言います。
日本は物づくりで発展してきたのだ。
物作りをおろそかにすれば日本は他国から負けて存在価値もなくなるだろう。
製造業は頑張れ。製造業が発展してこそ北九州工業都市も発展するのだ。


 しかし製造業の社会的地位は低く、プロジェクトXのように歯を食いしばって、他の人に理解してもらえなくても熱意をもってやるのが使命とされ、文句言わずにやれとこちらの言う事は聞いてもらえず寂しく思います。

 百姓は国の宝だ、と言われた江戸時代でも3公7民は5公5民へと年貢は増えて、殿様高級武士、大地主、大商人だけが盛えました。

 製造業に携わる者は、戦後の農民のように、自分を主張し米の値段を上げたことを見習って、値上げをあらゆる場面で企画し、値上げの認められぬ場合は廃業する心構えが要る時代と思います。

 フランスでは、ドビルバン首相の若手社員の契約社員化が否定されました。

 日本では大企業も季節工だ、契約社員だ、人材派遣業務請負だと労働者の無年金化、低賃金化が実行されています。

 一般の正社員が納めつづけている失業保険金は積立金が多く貯まりそうですが貯まりません。
大企業の季節工、契約社員の如き6ヶ月で退職しあとの6ヶ月は失業保険を使うというシステムで食いつぶされているのです。
 又、厚生労働省は外郭団体を作り、自分勝手にどんどん積立金を使っていると指摘されてもいます。

 本当に製造業が大切なら掛け声だけでなく、大切にする政策を考えて下さいよ。農林省が農民のために政策を立てたような政策を経済産業省は考えて下さいよ。
 
 銅価転嫁出来ぬイライラでこんなことを考えています。

義務教育が交通事故の遠因だ。

2006-04-20 10:40:00 | 成長
木村君の交通事故2006/04/20
  先週、木村君が早番出勤の早朝5時30分、事故を起こし入院しました。
  80km/hでスリップし道の外へ飛び出したようです。
  電柱に当たり、車は大破、本人も入院1週間だそうです。

  私が免許を取った40年前には、事故を3回しないと1人前ではないと、言われたものです。
  小出しに何度か事故を起こし、車もおしゃかにして、私は慎重な運転が出来るようになりました。機械に全幅の信頼を置くこともしなくなりました。
  今は、自分の意志で運転のすべてをコントロールすることをこころがけています。雨の日でも雨滴で見にくいのが嫌で、ガラスを拭いて始動します。

  失敗しながらそこから学んで何事も上手になるのです。
  沢山の失敗をした人ほど上手な人です。」
  沢山の事故を起こした人ほど、慎重な運転をします。

  今の日本では、100点満点でなければならない。小さな失敗をすると減点され、次のチャンスに挑戦もさせて貰えないように思えます。
  小学生の頃から、小さな失敗を避けるマニュアルで躾され、管理されています。

  決められたことを守っておれば100点をもらえるでしょうが、臨機応変とか,拙速を尊ぶとか言う実社会のノウハウは忘れられ、他人の指示がなければ動けない未熟な人間を作ることになっています。

  工場の安全や品質管理についても同じようなことです。
  小さな事故をしましょう。小さな怪我をしましょう。
  自分で失敗して懲りるのが一番身に付く教育と感じます。

  300対29対1と言う言葉があります。
  300のヒヤッとした未然の事故は、29の軽い事故を含んでおり、1の重大事故を起こしますと安全教育では言われます。
  私は300のヒヤッとした経験が29の軽事故を防ぎ、1の重大事故を防ぐ。大いに小さな事故失敗をしましょうと提案します。
  塀にぶつけたり、かすり傷を付けたりしていれば、木村君もこんな大きな事故を起こさなかったろうと感じます。

  小学校からの100点満点主義が、若者の引きこもり・不登校・他人への無関心・思いやりのなさ・非行につながり、変な大人の出現・性犯罪・理由の分からない殺人につながっているようで怖いです。

  子供を管理教育から開放しましょう。
  

サウナ欲しい

2006-04-19 10:47:23 | 健康
2006.4.19
サウナ温熱効果で血管新生
2006.4.7西日本新聞記事より


鹿児島大学鄭中和教授によると、サウナで全身に温熱を浴びることで、正常な心臓の場合送り出す血液の量は2倍以上に増える。血液が増えることで血管の内皮が刺激され、eNOsが急増。血管拡張作用のある一酸化窒素が合成され血管新生も進むという。

 足の指の壊死が進んで骨がむき出しになり、ひざより下の切断手術が決っていた重度の糖尿病患者(62才)はサウナ療法を受け、五週間で完治。痛みが完全に消えて歩けるようになった。
 中、重度の患者14人の症例では10週間の治療で痛みの大幅な軽減や歩行距離の伸び、血流増加などの効果が確認されたという。
 鄭教授は、「温熱で人間の持っている治癒力を高めることが出来る。」と話している。

以上、記事の抜書き

 一酸化窒素は、心筋梗塞の発作時に舌下錠として使用するニトログリセリンから発生するガスで、血管を軟らかく拡張させる効果があるものです。
 イグナロ博士がノーベル医学賞を貰った研究で明らかになったものです。

 安保 徹博士の免疫療法でも体温が上がれば免疫がよく働く。最近の子供は体温が36℃ないものも居て、免疫の少ないのが気掛かりという説も聞いた事があります。

 体温が上がれば代謝も良くなり脂肪の燃焼も進み、脂肪の燃焼が進めば、体温も上がるわけでスポーツ・運動の効果もここにあります。

 以前病気で入院していた時、風呂に入っていいと思っても入らせてもらえませんでした。医者は風呂に入ることは運動することと同じで、体力を消耗するから、今 衰弱している貴方は風呂に入ってはいけませんという理由でした。
 


北欧のスウェーデンでは冬の寒い時もサウナに入り、木の枝で皮膚を叩いて、鍛え、それが寒いところでする健康法で日本でもブームになったことがありました。

今、家庭用小型サウナはいくら位で売られているか知らないのですが、作り方によっては普通の家庭で実用になる安いものが出来るのではないだろうか。
全自動洗濯機が15万円程度ですから、経費を入れてもそれ位の価格設定で販売出来るのではないか。

TOTOで、セラミック遠赤外線ヒータをつけ、ユニットバスの小型(仮設トイレ以下 60cm×60cm×2m)にすれば出来ないだろうか?

健康増進、汗を出してやせる、免疫の向上、新陳代謝の増加など効能は沢山書けそうです。

付箋は役に立ちます。

2006-04-11 09:32:33 | 21世紀
付箋の活用
  100円ショップできれいな付箋やシールが売られています。
  文房具の好きな私は、喜んで買い集めています。
  そして、自分なりの使い方を考えるのが、また楽しいのです。

① 栞として使う。
その本のどこまで読んだか分かるように付箋を貼る。
厚手の黄色高級紙で大型のものがあります。単にはさむだけでなく、紙に引っ付いていますので、ここまでという区切りがハッキリ分かります。
昔は頁の耳を折り、ここまで読んだとしていましたが、それよりずいぶんお洒落です。
② 大事なところを明示する。
いつもマーカーでいいところに線を引きながら、本を読んでいます。
いい表現や考え方の部分に、小型の付箋を打ちます。
あれはどこに書いてあったかなぁ と探す時便利です。
以前は、余白に☆印や○印をつけたり書き込みしたりしていましたが探し切らない事もありました。
小さな見出し用紙のような5色カラーのものは、華やかで楽しくなります。
③ 校正に使う。
ゲラ刷を校正するとき、付箋がなければどうすれば良いのでしょうか?
④ 新聞の切り抜きに使う。
事務所では新聞を2~3人で読んでいます。
私が一番に読みますが、興味ある記事はマーカーで囲み、その頁に付箋を付けて次にまわします。
最後に読み捨てる人が切り抜いてくれます。
整理棚には「新聞切り抜き」の引き出しを作ってあり、その中に放り込んで保存します。
⑤ 回覧文書の重要事項明示
忘れず読んで欲しい場所には、赤線を引き、その頁に注意喚起に付箋をつけます。
⑥ 訂正印あるいは捺印の要る場所を明示

  以上はいつもしていた事ですが、「1人仕事術」という通信講座で「TO DO LIST」という素晴らしい付箋の使い方を学びました。
  そして実行していますと頭のなかが整理され、一つひとつの仕事が片付いて行き、仕事に取り掛かるのが遅い私はこれで自分で自分を前向きに引っ張る事が出来ると喜んでいるところです。

⑦ TO DO リスト
やらねばならぬことを思いつくままに、10字くらいに纏め付箋に書きます。
A-4の表紙のしっかりしたノートに書いた付箋を貼ります。
KJ法やブレーン・ストーミングを一人でしているようなイメージです。
そしてそれらの付箋を期限日に合わせノートに貼り付けていきます。

明日やることの付箋を選び、常用の能率手帳の右欄に貼ります。

行動の済んだ付箋はA-4ノートの最後のページに済と印して貼ります。

仕事の管理術として、明日の予定を紙に書き、重要なものから番号をふり、番号順に片付けて行くという方法があります。
それと同じと言われそうですが、付箋で整理していると、遅れているもの・自分が避けているもの などがよく見えて、自分の改造術にもなっていきます。

西田光浩さんのブログ・通信講座で勉強しているものですが、Google
で「西田光浩」を検索すれば、1番にヒットします。

独立してビジネスをしたいと言う人をターゲットにして「一人ビジネス大学」と言う講座をしています。
どういう方法で、独立するネタをみつけるか? どうその準備をすすめ開業するか? という一つのノウハウを売り物にしています。
「To Do リスト」はその中の目玉です。

色んな情報販売がネットの中にありますが、良心的な講座で私には大いに役に立ちました。

⑧ 付箋手帳術
あらゆる予定・約束・行動期限を付箋に書き、それを手帳に貼ります。
行動が終わってその付箋をはずし別のノートなどに貼りかえます。
付箋をはずした跡には、結果を日誌として書きましょう
予定変更も簡単にできるし、関連してせねばならぬことも付箋に書いていけば、計画・予定も実効あるように膨らんでいきます。

⑨ シールの活用
100円ショップで赤い丸のシールが売られています。
何かいい使い道がないかと考えて、名刺の日の出マークにしました。
赤丸の下側を切り取り、名刺の余白に貼ります。切り取った部分に海に見えるようにブルーの蛍光ペンで線を引きました。
高価なカラー印刷より、強烈な印象になりました。

人に知られたくない、予定や実行を色んなシールで表現すると、手帳が華やかにもなります。

錦帯橋でお花見  2006/04/10

2006-04-10 13:32:53 | 趣味
錦帯橋でお花見  2006/04/10
  「天気もいいし、どこかへ行こう」と妻が言う。
  「花見に行こうか」「どこにする」「車運転したくない」と話してるうち、昔見た岩国の河原の桜を想い出しました。
  少し大げさですが、新幹線に乗ることにしました。

  各駅停車の「こだま」ですから、土曜日だし乗る人も少ないだろうと考えていましたが、間違いでした。新下関・厚狭は「こだま」しか停まらない駅ですからでしょう厚狭を出る時は、乗車率90%を越えJRのダイアの組み方に感心しました。

  新岩国駅からは、乗り合いバスに乗りました。満員でした。乗車率150%です。バス停で一番前に並んでいましたので席に座りましたが、お年寄りが多く気が引けます。席を替わろうと思いましたが身動き出来ない状態であきらめました。

  行楽シーズンですから、マイカーの行列でバスは進みません。駅から錦帯橋まで普通15分ぐらいのところ1時間半も掛かりました。新幹線は1時間でバスは1・5倍ですから可笑しな話です。
  しびれをきらした若い人達は途中下車し歩き出しました。やっと動けるようになったので、おばあさんと変わることが出来ました。

  このバスは「おはんバス」と名付けられており、普通車内広告があるところに、「おはん」の作者 宇野千代 の写真・伝記が掲示されていました。
  宇野千代は18歳で同人誌に小説を書いている、おませです。30歳では東郷青児と同棲するなどと、誇らしく郷土の偉人扱いですが、当時は世を騒がせた人だったのでしょう。
  季節だからでしょう「薄墨桜」の文章も掲示されていましたが、上手とは思えませんでした。 これに比べれば、北九州の林芙美子や松本清張の方が上だと郷土自慢したくなります。

  満員の乗客には10人前後の花見客団体が3グループ居て、会話が進みます。仕事で新幹線に乗ったり、博多まで高速バスで行くとき、乗客のしようもない話が耳に付いて本を読めずイライラすることが多いのですが、このバスの中の会話は広島弁のゆっくりしたテンポでまったく気になりませんし、                      花見のちょっとうわついた華やかな気分に調和し気分が盛り上がる感じでした。 俺が俺がと言う、人と張り合う感覚がなく、相手に好意を伝える会話は、周りの人にもいい感じを与え、会話はこうあるべきだと勉強にもなりました。

  花は満開で見事なものでした。
  桜は下から見上げるのが普通ですが、錦帯橋は高く太鼓に盛り上がっていますので、花を上から眺めることが出来ます。薄ピンクの花の連なりは日に当たってまぶしいほどです。

  ここは焼肉・バーベキューが禁止されていて、いい感じです。
  小倉の森林公園などでは、近所の商店が七輪を貸し出し焼肉公認ですが、残り物をごみ場所に捨てたものが、臭く匂い、死体・屍肉を想像させ吐き気を催します。あれから小倉の花見は敬遠しています。

  岩国は基地があるからでしょうアメリカ人も沢山いました。
  日本人と比べると、体格もよくスマートで、表情もゆたかで、また子供のかわいいこと。 うらやましくなります。

  お花見弁当を買って芝生で食べ、帰りはあの交通マヒが嫌で、岩国駅に回って、山陽本線で徳山へ出て「ひかり」に乗りました。

  錦帯橋から岩国駅までは、ずっと市街地です。道も狭く、古い田舎くさい街並みをバスは行きます。一方通行の一車線の道もあり変な道だなぁと感じていましたら、明治時代の市内電車の線路跡と解説がありました。
  島耕作の作者の出身地だそうで、地元の人は誇りに思っている様子が見てとれました。

  本も携帯電話もカメラも持たずの移動は楽でゆっくりした一日を過ごしました。

  小倉に帰り足立山を見上げますと、山の中腹にはピンクのあばたが沢山あります。実も付かない桜がどうして人の行かないあんなところに生えるのだろうと不思議に思いました。