朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

荒木正夫先生ご逝去

2016-03-24 00:21:49 | 21世紀
荒木正夫先生ご逝去
2016/03/23
 九州大学土木科でお世話になった担任の先生、荒木正夫先生が亡くなられました。
 年賀状の返信に奥様・雅子様からいただきました。
 寒中お見舞い申し上げます。
 昨年12月に夫荒木正夫(享年九十一歳)が逝去いたしたため新年のご挨拶はご遠慮申し上げました。
 謹んでご報告いたしますと共に皆様のご健勝を心よりお祈りいたします。
           平成二十八年一月
 尚 故人の遺志により葬儀は家族のみで相済ませました。
 香典・供物は辞退させていただきます。

  昨年初秋、近県在住の同級生10人で、先生宅を訪問させていただきました。高齢にもかかわらず、私ども生徒の顔をはっきり認識され、私自身が忘れているエピソードをお話しになられ、こういう歳の取り方をしたいと感じました。
 私は、このブログの1ヵ月分を印刷し、毎月お送りしていますが、「どの記事に同感だ。これは、考えが違う」と几帳面に返事をいただきました。有難いことです。
 自筆で、読みやすい、筆圧の低い字で、先生の落ち着きが読み取れました。
 先生は、私達を卒業させた後、大学教授の職を捨て、水資源開発公団に転職され、有名な草木ダムを造られ、後、信州大学教授になられ、定年後北九州市門司に住まいされました。
 一つの会社に一生と言う生き方が、普通だった時代、自分の意志で、仕事や環境を変えた生き方も、土建会社勤務で転勤の多かった私には、面白く、魅力的に感じました。

 昨年、お会いした時、失礼にも先生に、「私達は先生に何を習ったのですかね?」と訊きました、本当に先生にはなじみがあるのに、その時、思いだせなかったのです。皆、「測量習ったじゃないか」と言うのですが、測量と言うと久留米での筑後川測量実習や西公園の実習などが頭に浮かび、授業の記憶や内容は浮かびませんでした。私はサボリが多かったのでしょう?
 実習の担当は、当時、助手だった徳光先生にお世話になりましたが、早く亡くなられました。大学もストレスが多いのでしょう?
 90才になられても、雰囲気・表情は、若い頃とまったくお変わりなく、少し恥ずかしそうな丸い眼で、ゆっくりお話しされるのは、50年前と変わらない。私達の方が人相が悪くなっているな? と反省しました。
 グーグルで「荒木正夫」を検索すると、水理学の教科書が、出てきます。中国語に翻訳されたものも、出版されているのです。
 息子さん、お孫さんも優秀な方の様で、訪問の折、お孫さんの表彰の話を聞きました。未来の事に心配せず逝けることは、うらやましいです。自分には、息子が居ず、渡邉家は終わりですので、将来続く家系のあることは、うらやましい限りです。
 逝く時も 生徒の見本 真似しよう     あれこれと 道を探して この道へ


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1 コメント

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荒木先生の思い出 (櫻井 孝仁)
2017-05-10 21:58:50
私は、信州大学在学中に荒木先生に御指導を受けた学生の一人です。
恥ずかしながら、先生の御逝去を今頃知りました。
学生時代、ひもじい思いをしていた研究室のメンバーをご自宅にお招き頂き、奥様の手料理で、おもてなし頂いたことを思い出します。
先生は、確か、大正のお生まれだったと記憶しています。もう、91歳になられたのですね。
私も、間もなく、清水建設を定年退職になります。月日の経つのは、夢のうちです。
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