故郷(ふるさと)
2012/03/30
昨年の同期会で、「校歌・応援歌だけでは硬い、童謡なども合唱しよう」という意見があり、「故郷」「赤とんぼ」を歌うことになりました。
歌詞をプログラムの裏に印刷しましたが、この歌の情景は、私にはなじみのないもので、私の子供時代(昭和20年)にはないものでした。
兎(うさぎ)追いし かの山 小鮒(こぶな)釣りし かの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき ふるさと
如何(いか)にいます 父母 恙(つつが) 無しや友垣(ともがき) 雨に風につけても 思い出ずる ふるさと
志(こころざし)を 果たして いつの日にか 帰(かえ)らん 山は青きふるさと 水は清き ふるさと
屁理屈でこだわるようですが、子供の頃、山に兎などいませんでした。小倉の川に小鮒などいませんでした。何か大正時代か万葉集の時代の情景に思えます。今も生まれ故郷にいる私は、この歌に歌われるようなエリートではなく、都会から、父母を思い出すことも無く、友人を心配することもありません。上京した友人たちも故郷に錦を飾るという気持ちを持っているだろうか?
こう考えていると、日本人らしいタテマエの世界だ。こういう歌が潜在意識に残っているから、東北大震災を忘れるな。絆を大切にしよう。と言いながら被災地の瓦礫を自分の住んでいる町で処理してはいけないと運動をするのです。
夏祭りの打ち上げ花火で、福島県で製造した花火を使ってはいけないと言う運動もありました。京都の大文字山の篝火に、福島県の材木を使うことに反対する運動もありました。
北九州市では、市議会が東北瓦礫を北九州で処理する決議をしましたが、市民運動家と称する人々は、公聴会を開き市民の意見を聴けと市長に談判しています。こんな時日教組が「東北被害を我が物として、受け入れよう」などと言えば、市民に受け入れられるのに、と思いますが、彼らはやはり受け入れに反対しこの「故郷」の歌など歌って故郷を大切にしようなどと言うのでしょうね?
「赤とんぼ」にしても、現代の現実とは似ても似つかぬ光景です。
ねえやがお里から来て子守をし、15才で嫁に行く時代です。赤とんぼは儚い当時の人々を弱弱しく表現しているように思えてしょうがありません。
昔、歌って懐かしい気分は分かりますが、あまり良い歌とは思えません。
2012/03/30
昨年の同期会で、「校歌・応援歌だけでは硬い、童謡なども合唱しよう」という意見があり、「故郷」「赤とんぼ」を歌うことになりました。
歌詞をプログラムの裏に印刷しましたが、この歌の情景は、私にはなじみのないもので、私の子供時代(昭和20年)にはないものでした。
兎(うさぎ)追いし かの山 小鮒(こぶな)釣りし かの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき ふるさと
如何(いか)にいます 父母 恙(つつが) 無しや友垣(ともがき) 雨に風につけても 思い出ずる ふるさと
志(こころざし)を 果たして いつの日にか 帰(かえ)らん 山は青きふるさと 水は清き ふるさと
屁理屈でこだわるようですが、子供の頃、山に兎などいませんでした。小倉の川に小鮒などいませんでした。何か大正時代か万葉集の時代の情景に思えます。今も生まれ故郷にいる私は、この歌に歌われるようなエリートではなく、都会から、父母を思い出すことも無く、友人を心配することもありません。上京した友人たちも故郷に錦を飾るという気持ちを持っているだろうか?
こう考えていると、日本人らしいタテマエの世界だ。こういう歌が潜在意識に残っているから、東北大震災を忘れるな。絆を大切にしよう。と言いながら被災地の瓦礫を自分の住んでいる町で処理してはいけないと運動をするのです。
夏祭りの打ち上げ花火で、福島県で製造した花火を使ってはいけないと言う運動もありました。京都の大文字山の篝火に、福島県の材木を使うことに反対する運動もありました。
北九州市では、市議会が東北瓦礫を北九州で処理する決議をしましたが、市民運動家と称する人々は、公聴会を開き市民の意見を聴けと市長に談判しています。こんな時日教組が「東北被害を我が物として、受け入れよう」などと言えば、市民に受け入れられるのに、と思いますが、彼らはやはり受け入れに反対しこの「故郷」の歌など歌って故郷を大切にしようなどと言うのでしょうね?
「赤とんぼ」にしても、現代の現実とは似ても似つかぬ光景です。
ねえやがお里から来て子守をし、15才で嫁に行く時代です。赤とんぼは儚い当時の人々を弱弱しく表現しているように思えてしょうがありません。
昔、歌って懐かしい気分は分かりますが、あまり良い歌とは思えません。