欧米の100年前の本
最新刊の本でなく、いわゆる古典でもない欧米の本が、日本語に訳されて出版されています。
面白いですよ。翻訳が上手なのか、時代の差を感じさせなく読ませます。
中国や日本の古典は、数百~数千年前のもので、時代の背景と単語の解説がないと理解出来ないことが多いです。これは、例え話や実話で、著者の考えを説明しているからだと思いました。
私が今読んでいる、100年前の本は、唯心論の考えや、道徳、心理学を、短い文章で随筆風に書いたもので、違和感なく読めます。丁度、ロシュフーコーの箴言集を、現代風に書いてあるように思えます。
●バルタザール・グラシアン著 「賢人の知恵」ディスカバー発行 1700円
17世紀のスペインのイエスズ会の修道士の書いた、人付き合いのコツという内容ですが、知性的な気持の良い付き合い方を、昔の人も求めていたのだなぁ、現在より洗練された社会だったのだなぁ と感じました。
●チャールス・F・ハァネル著 「ザ・マスターキー」河出書房新社1400円
生長の家「生命の実相」のエッセンスを、功利的・実学的に書いてある本です。
1917年の出版ですが、教会の思想に合わないという理由で1933年発禁処分となったものだそうです。
●マクスウェル・モルツ著 「あなたは成功するようにできている」(サイコ・サイバネティックス) きこ書房 1500円
1960年の発行です。50年前ですから、現在と変わらないと言えますが、前向きで明るい雰囲気は、現在とは少し違うようです。
日本の、精神的な事柄を書いた本は、偉い人が若い人を指導するとか、宗教的教訓を押し付けるたぐいのものが多いですが、今回読んでいる本は「偉そうな感じ」を抱かせません。
著者が理論を構築し、こう考えたらどうだろう と提案しているように感じます。
提案される考え方は、100年経っていても、日本における仏教や儒教のように広く教育として語られるものではなく、世界眞光文明教程度のマイナーなもののようです。
しかし、読んでいて「これは真実だ。こういう考えで私も進もう」と思わせます。
彼らの本には、他人を非難するところがありません。
自分の内面を追求していき、内面で設計されたものに気付いたとき、それは外部に実現されるという考えを広げていきます。
「人生は積み重ねていくものではなく、展開していくものです。外の世界で手に入れるものは、内面世界で既に持っているものです」と言います。
69才の私は、「過去の経験・知識は、積み重なったものだ、そして、あるキーワードにより連想が働き、過去の積み重なった経験知識を串刺しにし、そのことに対する理解が深くなるものだ」と考えていましたが、この著者は「そんな積み重ねは価値がない。考えて実現しないものは価値がない。頭の中で考えて、それが実行され実現されるのが人生である」と言い切ります。
生長の家や光明思想は、私は好きで愛読しましたが、自分の身につかなかったのは、「考えたものは現れる」という言葉を「そんな考え方もある」という程度で読み飛ばしていたのだなぁと今になって反省しています。
そしてこれらの翻訳本を読みながら「人間は変わっていないものだなぁ」「私も年寄りの部類に入るけど、新しい人生を始められるし、現在の年令にならなければ、これらの本も身に沁みなかっただろう」と思いうれしくなるのです。
いいものが、いい時に来るものだ!
アマゾンで探すと英語のペーパーバックがありました。
辞書引きながら、読めばまた感じも、深まるだろうと、早速注文しましたが、続くだろうかなぁ?
最新刊の本でなく、いわゆる古典でもない欧米の本が、日本語に訳されて出版されています。
面白いですよ。翻訳が上手なのか、時代の差を感じさせなく読ませます。
中国や日本の古典は、数百~数千年前のもので、時代の背景と単語の解説がないと理解出来ないことが多いです。これは、例え話や実話で、著者の考えを説明しているからだと思いました。
私が今読んでいる、100年前の本は、唯心論の考えや、道徳、心理学を、短い文章で随筆風に書いたもので、違和感なく読めます。丁度、ロシュフーコーの箴言集を、現代風に書いてあるように思えます。
●バルタザール・グラシアン著 「賢人の知恵」ディスカバー発行 1700円
17世紀のスペインのイエスズ会の修道士の書いた、人付き合いのコツという内容ですが、知性的な気持の良い付き合い方を、昔の人も求めていたのだなぁ、現在より洗練された社会だったのだなぁ と感じました。
●チャールス・F・ハァネル著 「ザ・マスターキー」河出書房新社1400円
生長の家「生命の実相」のエッセンスを、功利的・実学的に書いてある本です。
1917年の出版ですが、教会の思想に合わないという理由で1933年発禁処分となったものだそうです。
●マクスウェル・モルツ著 「あなたは成功するようにできている」(サイコ・サイバネティックス) きこ書房 1500円
1960年の発行です。50年前ですから、現在と変わらないと言えますが、前向きで明るい雰囲気は、現在とは少し違うようです。
日本の、精神的な事柄を書いた本は、偉い人が若い人を指導するとか、宗教的教訓を押し付けるたぐいのものが多いですが、今回読んでいる本は「偉そうな感じ」を抱かせません。
著者が理論を構築し、こう考えたらどうだろう と提案しているように感じます。
提案される考え方は、100年経っていても、日本における仏教や儒教のように広く教育として語られるものではなく、世界眞光文明教程度のマイナーなもののようです。
しかし、読んでいて「これは真実だ。こういう考えで私も進もう」と思わせます。
彼らの本には、他人を非難するところがありません。
自分の内面を追求していき、内面で設計されたものに気付いたとき、それは外部に実現されるという考えを広げていきます。
「人生は積み重ねていくものではなく、展開していくものです。外の世界で手に入れるものは、内面世界で既に持っているものです」と言います。
69才の私は、「過去の経験・知識は、積み重なったものだ、そして、あるキーワードにより連想が働き、過去の積み重なった経験知識を串刺しにし、そのことに対する理解が深くなるものだ」と考えていましたが、この著者は「そんな積み重ねは価値がない。考えて実現しないものは価値がない。頭の中で考えて、それが実行され実現されるのが人生である」と言い切ります。
生長の家や光明思想は、私は好きで愛読しましたが、自分の身につかなかったのは、「考えたものは現れる」という言葉を「そんな考え方もある」という程度で読み飛ばしていたのだなぁと今になって反省しています。
そしてこれらの翻訳本を読みながら「人間は変わっていないものだなぁ」「私も年寄りの部類に入るけど、新しい人生を始められるし、現在の年令にならなければ、これらの本も身に沁みなかっただろう」と思いうれしくなるのです。
いいものが、いい時に来るものだ!
アマゾンで探すと英語のペーパーバックがありました。
辞書引きながら、読めばまた感じも、深まるだろうと、早速注文しましたが、続くだろうかなぁ?