朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

下流志向

2009-01-28 13:14:44 | 21世紀
下流志向2009/01/28
 街のスナックの常連の友達、小野さんは、郵貯銀行の課長代理でしたが、民営化に際し自分の意思で平社員に降格しました。責任が重くやっていられないそうで、そういう格下げ希望者は郵貯銀行に多いそうです。
 彼らは、時代の最先端の人たちです。
 NHKの漢語論語(1/25)で「下流志向」という題の番組がありました。

 中学校の野球部でクラブ活動している生徒がいます。クラブ仲間は「きつい練習しても、プロ選手になれる訳もない。こんなクラブ辞めよう」と次々に辞めて行きます。辞めてブラブラしているうちに、女子同級生を恐喝するようになりました。
 その子の父親のサラリーマンも、「お前は俺の子で、スポーツの才能なんかない、辞め辞め!」と言います。

 白けた子供を見るのは嫌になったところで、
 「改」「起」の漢字は「己」が走ったり、何度もやり直すことから出来た字だ。
 「己(おのれ)」がやらなければ何にも始まらない。
 と解説します。

 脚力尽くる時 山更に好し                  蘇軾
 人の老いるをおそれず 只心の老をおそる           孟子
 人自ら侮(あなど)りて 然る後人之を侮る
など古典の文章を挙げ、人間は昔から、努力のプロセスを生甲斐として来たと説明します。
 山登りで高いところまで登り、もう登れないと諦める時に、景色が一番良い。
 人生は山登りの様なものだ。最初からすべて分かった道ばかり行くのでは面白みはない。
と私たちの慣れ親しんだ人生論で終わりました。

 世界各国のアンケート調査がありました。
中学生相手のアンケートで「大きくなったら、社会の役に立つ人間になりたい。尊敬される人間になりたい」でyesと答えたのは、日本では25%程度でした。アメリカ・中国・フランスでは50%以上でした。
大人相手のアンケートで「より大きい責任のある仕事をしたい」の質問で、yesと答えたのも25%程度です。アメリカ・中国・フランスではいずれも50%以上でした。

下流志向は、日本では、現在の大人世代からの伝統のようです。
日本の義務教育では、差別はあってはいけない、競争は悪である。ゆとりをもって心豊かに生きよう、と教え込みます。
現代の大人、団塊の世代以降の日本人の根本にそんな考えが植え込まれていると、感じます。

出世しないでいい。給料がそこそこあればいい。苦労のないのがいい。妻子を養う責任は重い。結婚しようと口説くのが気が重くなる。
生活の基本の考えがそのようになると、派遣社員・フリーター・非正規社員などもそれでいい と思ってしまうのではないか?
正月に「ルーキース」の総集編、「ごくせん」の総集編を続けて見ました。
どちらの高校も、将来のため今勉強が必要とか、ともに前進しようとかの雰囲気は感じられませんでした。
学校教育もテレビ教育もマンガ・アニメの教育も社会に生きるという感覚がなく、狭い範囲の仲間が大切だ、そんな仲間に嫌われないように生きるのが、日本社会のモラルである、と教え込んでいるように感じます。

私も暇なときはテレビを観ていて、ああもうこんな時間か!とびっくりすることが多いです。
思い出してみると、私の父親や祖父はテレビをほとんど見ませんでした。
庭いじり、謡曲(うたい)、雑談、計算などに集中している姿が眼に浮かびます。
 私も生活の質を上げるべく、テレビをみるのを止めよう。
 まわりの人を喜ばせる作戦を考え、実行しよう。

 下流志向に陥るのは、他に影響力を及ぼしたくない、責任が自分に掛かるのはいやだなど考えて他人と付き合いが薄くなる生活習慣からだろうと思います。
 私の小学校の同級生の中野裕夫君は世話好きでクラス会の名幹事です。彼が同じ町内にいて、町内の世話を焼いてくれるといいなと思うほどです。
 会社で仕事をするにも、そんな世話役を志し付き合いを深めるのも、若い人が下流志向に陥らない手段かなとも思います。
身の回りにいる世話役さんを探し観察し真似しましょう。


ビジネスマインドを持とう

2009-01-22 16:39:56 | 21世紀
ビジネスマインド2009/01/22
 ジェームス・スキナーのCDを聴きました。
 仕事をどう考えるか、その捉え方を2つに分けて対比させます。
  ビジネスマインドは結果重視で考える。
  仕事マインドでは、努力重視で考える。 と言っています。

 ビジネスマインドのある人は、高収入が当たり前と思っています。自分が働き会社にこれだけ儲けさせた。それに見合う報酬を受け取る事は正当だ。結果が出せなければリストラされても文句はない。
 仕事マインドの人は、「難しい仕事を夜3時まで残業し仕上げた。この努力を評価して欲しい」と言います。 こんなに努力し会社のために尽くしているのにリストラはないだろうと文句言います。

 ジェームス・スキナーは、東京ではホテル住まいだそうです。
 予約を入れると、預けている衣服を部屋のクローゼットに入れ、備品を好みの配置にしてくれて、またホテル内で飲み物もすべてサインなしだそうです。
 ホテルとしては面倒なことですが、固定客の確保の成果があり、ビジネスマインドのある人は喜んでいます。
 仕事マインドの人は、「宿泊料金も同じ、自分の給料も同じ、何故面倒なと別扱いをするのか?」と不平そうな顔をします。

 仕事は、お客様の頭脳を心地よくすることです。
 お客様が心地よく感じ、お礼を言われるのが一番の楽しみだ。
 仕事としてサービスしている自分が、お客様の心地よさを忘れ、自分の心地よさを優先するならば企業の成長はないと、上原先生の言われる「心地よさ」を改めて感じました。

 年を取ると、何の話を聞いても、関連した昔の記憶が浮かんできます。
 まるでキーワードで検索するようです。

 40年前、私は大林組の土木屋でした。横山さんという先輩が、アメリカ留学から帰国され、お話を聞く機会がありました。
 横山さんは、学業終了後、アメリカの設計事務所に勤務されたそうです。
 五時のベルがなると帰り支度をし帰宅していました。同僚のアメリカ人は残業しています。
 「お前は、プロフェッショナルではないな!クラークだ!」と同僚は皮肉を言うそうです。
 クラークは事務屋さんで、時間から時間まで働きます。
 プロフェッショナルは、土木設計技師を指しているようでした。
 と言うのは土木技師はアメリカでは、ある工事が発注されるときに、その現場の所長役・課長役が募集され、なりたい人が応募し高給で雇われる方式なのです。その工事が終わると解職されフリーになります。
 「シビル・エンジニアリング・ニュース」という雑誌が求人誌の役割をし、土木技師はそれを見て仕事を選んでいたようです。現在はインターネットでしょうね。
  
 仕事の成果がすべての基本であり、成果を出すために時間を無視して働くのがプロフェッショナル。契約した時間のみ働くのがクラークだったのです。

 ビジネスマインドは、このプロの仕事ぶりを意味しているのだと納得しました。
 40年たっても、同じことを言って、進歩はないのかい?
 人口は、ものすごく増え、全体としての規模は比べ物のないほど大きくなりましたが、内容の一つ一つは大した進歩はない。
 共産主義だ資本主義だと世界が二つに分かれているのも同じ。
 道具や武器は進歩しているけれど、それを動かす人間は変わっていない。
 こういう風に見ていると、我々後期高齢者も出番はありそうです。

 若い人々が、責任を他者に負わせ、自分は評論家となっている現代日本では、プロフェッショナルは、育たない。
われわれ老人が老骨に鞭打って、責任持つ姿を若い仕事マインド人間に見せないといけないなとも感じます。

日本を責任ある国家に代えるには、内閣制度も廃止し、新しい将軍制度を作ろうではないか!

将軍は、大統領の如きものだが、天皇が任命する。
国会議員は昔風の名にし、評定衆などとしよう。
評定衆は、ビジネスマインドを持っていることを自ら証明すること条件に立候補というのはどうでしょう!

「相棒」

2009-01-15 16:08:11 | 21世紀
「相棒」2009/01/15
 私は水谷豊のファンです。テレビ番組「相棒」が放映される水曜日を楽しみにしています。(SBIのCMの口調です)
 昨年末、相棒の亀山警部補が依願退職し、南洋の国らしきところのNPO法人でボランティア活動を始め、杉下警部は一人で捜査する設定になりました。
 それにつれて、杉下警部の元奥さんの経営する小料理屋の場面がなくなり、男ばかりの映画になってしまいました。
 私が通販で購入する焼酎に、鹿児島・垂水の「財宝」があります。
 財宝温泉という温泉の水で作った上品な焼酎で、芋でも芋臭くありません。
 この小料理屋では、この「財宝焼酎」が飾ってあります。
 しかし、杉下警部は、日本酒を燗して飲み、焼酎を飲む場面はありません。
 ドラマの性格設定で、焼酎は杉下さんには合わない気もします。
 焼酎というと、ザックバランな外向的な人物になりますからね。
 相棒が居なくても、題名は「相棒」のままですから、新しい素敵な相棒が赴任してくるのでしょう。
 相棒が居なくなって一人残されたらどんな気分でしょう。どんな変化が出てくるでしょうか?
 その第一は、アフター5の小料理屋場面がなくなりました。
 ストレス解消なしで一人誰も居ない家への帰宅では、杉下警部の推理の冴えがかげりそうです。

 私の母はすい臓ガンで亡くなりました。父は一人残されましたが3ヶ月後病院での手術事故でなくなりました。
 小倉記念病院で心臓バイパス手術を受けたのです。
 手術終了後ICUの中で心筋梗塞発作を起こしました。私も立ち会えと呼ばれたところで、若手の先生の心臓マーサージが始まりました。
 心臓手術のため肋骨は切り取られ、手術終了後、金具で留められています。
 突然、身体に付けられていたビニールパイプが赤くなり、血が流れ出しました。先生は「金具が外れた」と言って、私を追い出し再手術にかかりました。
 金具は心臓に刺さっていました。
 残念なことですが、父も生きる気力も減っていたのだろうと感じました。

 そういう例も沢山あるようで、葬式のあと「誰誰さんも、奥さんが亡くなってあと3月でご主人も亡くなられた」と何件も聞きました。

 「幸せは一人では味わえない」という人がいます。
 相手の人が喜ぶことを意図して実行し、相手から感謝されるとき感じる気持ち・充実感が幸せの感覚だ。 人から何かをしてもらうだけでは幸せとは感じない。親から世話をしてもらいながら、引きこもりになったり暴力をふるう人は、自分から親を喜ばそうと発想すらしない。だから、幸福感などない。

 O・ヘンリーに「賢者の贈り物」という短編小説があります。
 クリスマスプレゼントを何にしようと考えている若夫婦がいました。
 御主人は奥さんの長い金髪が好きでこれに付ける髪飾りを買いました。お金がないので、大事にしている金時計を売りました。
 奥さんは、御主人へのプレゼントに大事にしている金時計に付ける金鎖を買いました。お金がないので自慢の立派な金髪をかつら屋さんに売りました。
 クリスマスの日、二人はビックリしました。
 この二人は幸せの感覚を十分味わったでしょう。相手の人が自分を犠牲にしてまで、喜ばそうとしてくれるのですから!
 
 幸福・幸せという感情は、母性愛からのデリバティブ(派生)したものかもしれません。子供がむずかり泣く理由を知り、どんな時でもそれを叶えてやる。そして子供が幸せを感じ微笑むのを見て自分が嬉しく、苦労を苦労と感じない感覚それが幸福感だと私は思います。

 学生の頃、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」を読みました。
 「愛」とは元々の日本語ではない、西洋からの翻訳語だ。日本語で「愛」は愛でる(めでる)であり、ただ好きだ と言う意味以上のことを意味しない などと考えていたからです。
 この本を読めば「愛」とは何かわかるかもと熟読しました。しかし、この本は、「愛」の教科書ではない。「愛」に関する屁理屈で何ら根拠のある説明ではない。「愛」とは非実用的なもので、ヒマ人の自己満足だ。などの感想を持ってしまい「愛」は理解出来ませんでした。
 結局、親の立場になってしかも70才になって、幸せだ愛だと少し分かった気がするのは、私は鈍い・感性が若い頃から麻痺していたのだろうと感じます。

 星新一のショート・ショートで、幸運の鍵を貰ったが使い道がわからない、死ぬまぎわになって、その鍵に合うドアを作ります。ドアを開けると女神がいて願を叶えますと言います。本人は「思い出が沢山ありこれで生きる。新たな
幸せはもういらない」と答えます。   私もそんな老人になりそうです。

ハヤテのごとく 2

2009-01-13 16:48:17 | 21世紀
「ハヤテのごとく2」2009/01/13
 正月に、同級生畑俊一君の息子さん畑健二郎さんの書いた漫画「ハヤテのごとく」をゆっくり読みました。
 白内障手術してから漫画は読みにくく敬遠していましたが、漫画好きの麻生総理に敬意を表して読みました。
 漫画の絵やギャグ・筋よりも、物語の始め方・場面の説明の仕方が古めかしく面白かったです。
 石原裕次郎の初期の映画「俺は待ってるぜ」「錆びたナイフ」の出だしのようでした。
 荒唐無稽の筋なのですが、何故そんな行動をするのかの根拠をあげて説明するのです。
 「俺は待ってるぜ」では北海道の都市の列車操車場のはずれ・寂しいところにスナックがあり裕次郎がバーテンです。何故そこに居るかというと、お兄さんとこの場所で待っていると約束しているのです。一旗揚げるために大金を持ってブラジルへ農園を買おうと出かけた兄さんから迎えの手紙の来るのを約束の場所で待っているのです。
 あまりにも手紙が遅いので、渡航ブローカーのところへ調査に行きます。
 場所は東京で、北海道とは関係ないのですがそこへ乗り込むとそれは詐欺で大金を取られ殺されていたのです。そして裕次郎の復讐活劇がはじまります。
 荒唐無稽をリアルにすべく、取って付けたような「原因と結果」が示されていました。
 同時代の裕次郎映画は皆そんな出だしで井上梅次や舛田利男監督の律儀さを感じていました。時代がそうだったのでしょう。

 「ハヤテのごとく」では、高校生の主人公が、親の借金1憶5千万円の代わりに臓器を売られていてヤクザに追われています。金を作ろうと少女誘拐をたくらみますが、ほかのヤクザがさきに誘拐し、少女を助けることになります。
 自転車で、誘拐の乗用車を追いかけ追いつきますがその自動車で轢かれてしまいました。丁度クリスマスの夜で、サンタクロースに助けられ不死身の体をもらうことになりました。少女は主人公を執事として雇い借金は弁済してやりました。
 何となく納得するような出だしでした。

 畑俊一君は、北九州で単身赴任生活でした。息子さんのために東京にマンションを買い、マンガを描く弟子を何人か抱え、奥さんに食事その他の面倒をみさせていました。
 私には出来ない息子孝行で、おそらく借金も相当な額だったのではないかとの噂でした。
 息子さんが漫画家として雑誌連載をするようになり、単行本の発行されるようになりました。単行本8冊目のころガン発病し急死されました。
 単行本をずっと送って頂いていましたのが、本棚に8冊並んでいます。

 「ハヤテ」の主人公は親の借金で自暴自棄になりながら、サンタクロースと富豪令嬢に助けられ、生き伸びていきます。
 健二郎さんの漫画に荒唐無稽ながらリアリティを感ずるのは、実生活の必死さが漫画に反映されたとも言えるかもしれません。
 若さとは、先のことも考えず現在を必死になって生存することと定義されるような主人公で、70才の父親世代には羨ましくも感じます。
 「ハヤテ」の出だしは自転車宅配便として街中を疾風の如く走りまわっている主人公が17才だと雇い主に投書され、労働基準法違反になっては困るとクビになる場面からでした。
 若い読者が、意味無い規制で締め出され、派遣切り状態を考えさせられるところです。

 別の友人森尾恵さん(サクセスプライズ福岡 代表取締役)のご長男も漫画家として、雑誌連載レヴューされました。親の援助を一切受けず、マンガ制作の専門学校で学び投稿から連載へと進まれたそうです。
 東京から北九州に帰省しても、時間を惜しんでマンガを描いていますが、自宅では描けないと深夜営業の喫茶店のテーブルを作業場にしていたそうです。
 「マンガ描くのだったら東京でなくてもいいだろう、北九州に住めよ」と勧めますが「東京と北九州とでは時間の速さが違う。北九州にいてはマンガは描けない」と東京に居られるそうです。

 うちの娘も中学生の頃から、マンガ家にあこがれ勉強せずに絵ばかり描いていました。近所に住む叔母さんが「若いのに目標があって頼もしいね」など言いますので、「他所のことと思って好い加減なこといいなさんな」「自分のところのお孫さんが、勉強もしないでゴロゴロしていても同じように頼もしいというかね」と反論しますと最後は喧嘩状態になってしまいました。

 マンガを考えていて思い浮かんだことを書きました。子供の目標を認め応援する人はえらいなぁ! 私は子供の教育について、発言する資格はありません。

「ハヤテのごとく」

2009-01-10 16:30:07 | 21世紀
「ハヤテのごとく」2009/01/10
 人気漫画「ハヤテのごとく」が8巻私の本棚に並んでいます。
 中学・高校の同級生畑俊一さんが、亡くなるまで毎回送ってくれたもので現在は18巻まで出版されています。
 作者の畑健二郎さんは、畑俊一さんの二男で漫画界の大スターになりました。
 大富豪令嬢の執事となった不死身の高校生が主人公です。

 テレビに、携帯電話のiコンセルジュのCMがよく出ます。「午後雨が降る。傘を持って行け」などと合図が出るそうで、執事のように面倒見てくれるというものらしいです。

 執事つながりで連想するのは、他人から世話して貰うのは楽しいことで、今の若い人は天皇陛下のように自分で動かず、他人に世話して貰うことを理想と考えているのではということです。

 60年代のイギリス映画には「堕ちた偶像」「第三の男」などにも執事が多く出ていました。「仕事とは言え自分の生活をすべて犠牲にし、ご主人様に仕えることに価値があるのか?」などと考えながら観ていたことを思いだしました。

 現在の若い人は、他人から世話して貰って楽しいと思っているようです。
 イギリス映画の執事は、他人の世話をして楽しいと思っているように感じられます。

 親が子供の世話をし、子供が喜ぶと世話の苦労を忘れ自分もうれしくなるとき、子供の立場が楽しいか?親の立場が楽しいか?

 毎日一人、自分のまわりに居る人が喜ぶことを計画し、実行しよう。
 それを50日続けると自分が変わるし、人が私を見る目が変わる
 ドクター・モルツのトレーニングの中の1節に書いてあります。
 これは、幸せになるトレーニングとして指導されているもので、親が子供の喜ぶ様子を見て幸福感を感ずる、親の喜びを回りの人に広げようというものと解釈しました。

 相手に対して、私がどういう行動をしたら、その人が嬉しいだろうかと真剣に考え、実行して喜んで貰えると本当に自分もうれしくなります。
 それは、子供の喜ぶ姿を見て喜ぶ親の喜びであり、幸福感の源泉であると私は思います。

 話は少し広がった感じになりますが、テレビやその他マスコミは、自分たちの感じるすべての不快感の原因は外部にある、という言い方をします。
 派遣切りは政府に原因がある。子供の自殺の責任は学校にある。サブプライム不況の原因は政府にある。中小企業の経営の苦しいのは自民党のせいだ。
 私自身は、天皇陛下のようなもので一切責任はない。私が幸福でないのは、私以外の人が私をしっかり面倒みてくれないからだ。
 民主党・みのもんた・古舘伊知郎・派遣社員・生活保護者たちは、他人から面倒みて貰う立場をよしとし他人の世話をしようという気のない人たちですから、子供の面倒を見る親のような幸福感は一切感じないでしょう。

 こちらから進んで他人の面倒を見よう、他人の喜ぶ顔を見たいと行動する人は、幸福感を感じ生き生きします。
 引きこもりの少年で、親に幸福感を感じさせたいなどと思わない子供は自身も幸福感を味わうことはありません。ですから膨れて眼を尖らせています。

 21世紀の日本人に元気がなく醜い事件が次々に起こっている原因は、日本人が自分から動いて他人を幸せに感じさせそして自分も幸福感を感じることをしないからだと思うのです。
現代のお笑い芸人ブームは、不幸な自分を楽しませるのは笑いであり、それを現代日本人が必要としていると言えるでしょう。

「原因と結果の法則」などと言われますが、原因は自分の内部にありそれの投影として結果が外部に現れると解釈すべきところを、今自分が影響を受けている事柄は結果でありその原因は外部にあるとして、他人に責任を転嫁するのが日本の教育です。

自分が不幸なのは、他人が自分を貶めるからではなく、自分が他人に幸福感を味わって貰うよう努力しないからです。他人の幸せを目的としないからです。
幸福は、お金・儲け・大きな家・人気・強さ・美貌・才能の有無と関係ありません。
 このドクター・モルツのセルフイメージトレーニングは、幸せになるトレーニングとして非常に効果があります。「ハヤテのごとく」から話は広がってしまいましたが、起承転結の結論は他人が幸せを感じるよう努力しようです。