ステーション

2023-08-03 16:58:51 | ふきのとう
ふきのとう  ステーション 



何故あんなに 好きだったのに
離れ離れに なったんだろう
哀しいほどに よみがえるのは
君と僕との 出会いの風景

雨の降るステーション 雨宿りの君に
傘をさしだしたのは僕 季節はずれの雨
ひとつの傘で 何も言わず
バスターミナルで 君の名前を

やがて僕らは 夏の初めに
約束事みたいに 一緒に暮らした
君を愛してた どんな人よりも君を
神様の引き合わせなんだと あの日の雨を
ひとつの傘で 秋を見送り
木枯らしの中 冬を迎えた

いつまでも待ってた 君が帰らない夜
いつも待ち合わせたステーション 季節はずれの雨

君の名前を 聞いた場面で
雨は静かに 雪に変わってた

君と僕との 出会いと別れを
 遠くで見ていた 雪のステーション





夕暮れ時って、なぜ、さみしく、もの悲しく、感じるんでしょうか。

日が沈みゆく空は、晴れた日ならば、そして明日も晴れるならば、夕焼け空が広がります。

西の方の地平線や水平線の近くの空が、赤く染まっていきます。

夕陽の色は、たいてい赤や橙、黄色などのいわゆる暖色系です。

暖色というのは、文字通り、暖かみを感じさせる色のことで、優しく包み込むような色。

だから、さみしさや悲しさを感じさせるのは、色のせいではなさそうです。

では、なぜ、夕暮れ時はさみしそうなんでしょうか。

最近の医学的な研究として、夕方のころには、気分や感情に影響を与える、セロトニンという神経伝達物質が減少してきて、活性が悪くなり、

不安やうつ的な症状が出やすくなるために、たそがれ時に、さみしさやもの悲しさを、強く感じさせるのだという見解があるようです。

現代人の生活習慣では、セロトニンが減少傾向にあるとされていますので、このセロトニンを増やすサプリメントもあるようですし、また心療内科等での

処方薬もあるようですから、この対処療法を施せば、夕暮れ時もさみしくない、夕やけもこわくない、なんてことになるのでしょうか。

私見としては、安易に、これらのサプリメントの多用や薬剤への依存は避けるべきだと思います。

もちろん、心身に顕著な症状が出ているときには、素人判断ではなく、医師等の専門家にゆだねて治療するのは当然のことで、

治療や薬剤の使用を否定するものではありません。

でも、こう考えることはできないのでしょうか。

夕暮れ時はさみしいのがあたりまえなのです。

それは私たちが生まれるずっと前から、人の営みが始まったころからのことであり、古今東西、むかしも今も、夕暮れ時はさみしそうだったのです。

だからこそ、そのさみしさゆえに、人として交わり、人と関わりあいながら、ずっと生きてきたのです。

そう、さみしく、もの悲しいのは、人との関わりを求める人の本性なんです。

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、人間は社会的動物であるといったといいます。

鎌倉時代の新古今和歌集には、秋の夕暮れを詠んだ三夕(さんせき)の和歌もあります。

夕暮れに、さみしがっているのは、あなたひとりじゃないはずです。

もっとも、そうはいっても、そもそも、夕暮れ時に、そばで見つめている人に気遣うこともなく、じっと海を見ている人と、一緒にいることは、

さみしいことだと思います。

また、禁煙化が進む以前の話であったとしても、目の前の人のことを考えず、沈む太陽の残光で煙草に火を点けているように見える人といることこそ、

寒色系の風景なのかもしれません。

そして、さらには、その人の興味なり、関心なり、意識が、目の前の自分に向けられていないことに気が付くとき、木枯しよりも冷たい風が心の中に吹きあれて、

さみしさが募ります。

ひとりでいるときより、ふたりでいるときの孤独感・・・。

おそらくは、この曲のストーリーにおける過ってのふたりは、友だち以上の関係でありながら、しかし、恋人とはいえない、というような雰囲気の

関係であったのかもしれません。

ふたりのあいだにあった、空気のような、和んだ関係ゆえに、ふたりのあいだに、少しよどんだような、風が止んだ、夕凪のような雰囲気になってきたのかも

しれません。

そして、どこからか、風が吹いてきた。

そして、それは、向い風。

ひとつのまとまりと見えていたものが、単に断片の集まりであったことに気がつき、やがて、流れて、風に吹かれて、風まかせに、ちぎれて離れていく雲たち。

向い風に押し戻されながらも、また風に逆らって、孤独だけが待つ空に帰る二羽の鳥。

その鳥たちのように生きるのも、ひとつの生き方かもしれない。

それもひとつの倖せなのかもしれない。

でも、いまのままでいるのも、ひとつの倖せかもしれない。

どれが正解という答えはない。

必ず間違いという選択肢もない。

人が不幸と思っても、自分が倖せと感じるのなら。

決めるのは、あくまで自分の心。

倖せの形くらい、私に決めさせて。

遠くで見ているステーション・・・・・





















































































































































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