たしかなこと

2024-05-13 07:39:20 | フォーク&ニュー・ミュージック
小田和正(Covered By 和佳奈)



雨上がりの空を見ていた 通り過ぎてゆく人の中で
哀しみは絶えないから 小さな幸せに 気づかないんだろ

時を越えて君を愛せるか ほんとうに君を守れるか
空を見て考えてた 君のために 今何ができるか

※忘れないで どんな時も きっとそばにいるから
そのために僕らは この場所で
同じ風に吹かれて 同じ時を生きてるんだ※

自分のこと大切にして 誰かのこと そっと想うみたいに
切ないとき ひとりでいないで 遠く 遠く離れていかないで

疑うより信じていたい たとえ心の傷は消えなくても
なくしたもの探しにいこう いつか いつの日か見つかるはず

△いちばん大切なことは 特別なことではなく
ありふれた日々の中で 君を
今の気持ちのまゝで 見つめていること△

君にまだ 言葉にして 伝えてないことがあるんだ
それは ずっと出会った日から 君を愛しているということ

君は空を見てるか 風の音を聞いてるか
もう二度とこゝへは戻れない
でもそれを哀しいと 決して思わないで

(△くり返し)
(※くり返し)

どんな時も きっとそばにいるから





泣き疲れるという言葉があります。

泣いて、泣いて、泣き疲れるということでしょうか。

乳幼児が泣き止まず、泣き疲れてようやく眠ってくれた、なんて、遠い昔の子育てのころのことを、懐かしく思い出した人も多いかもしれません。

あるいは自己体験として、泣き疲れたことがあるのかもしれません。

涙を流し、疲れるほど泣いた、・・・遠いあのころのこと。

人は悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ、という有名な心理学者の説があります。

が、どんな理屈にせよ、いずれにしろ、悲しいのも、泣くのも、事実は事実なのです。

もちろん、悲しいときだけでなく、感動したときにも、涙は流れます。

自分のことや親しい人のことではなくとも、見ず知らずの赤の他人のことでも、あるいは作り話という、うその話でさえも、感動すれば、泣くことができます。

泣いたあとは、すっきりして、ストレスから解放されるという、医学的、生理学的な理論もあって、これらの作用を利用して、積極的に、泣ける話を読んだり、

聞いたり、見たりして、大いに泣こうといういうことが流行にもなっているようです。

もちろん、流行に関わらず、加齢とともに、涙もろくなったと実感する人も多いでしょう。

もっとも、加齢による涙腺機能の低下というよりは、加齢にいたる年月に積み重なった過去の体験や経験、学習から、人の話などにも、共感や同情がしやすく、

つまりは感情移入することにより、情動的に涙が出るからとも考えられています。

もちろん、青春時代も、ちょっとしたことで、悩み苦しみ、嘆き悲しむことがありました。

めそめそとしたことがありました。

女々しくて情けなくなることもありました。

だから、一概に、加齢によるものともいえないようです。

いわゆる、意見には個人差があります、ですね。

いずれにしろ、泣き疲れて、静かに眠る。

睡眠薬を使うよりも、泣き疲れて、疲れ果てて、眠ることくらい強力な睡眠導入剤はありません。

そしてそれが一番良い良薬でしょう。

でも良薬は口に苦し…、でも苦い薬が、良薬であるとも限りませんけど。

しかし、涙が止まらないときには、無理に止めようとせず、また、傷口に塩を塗り付けるように、過去にこだわり、今を嘆き、未来に絶望するような処方だけは

止めましょう。

サディスティックにすることがストレス解消になるような体質の方、泣いている自分が好きなナルシストのタイプの方は、一概に当てはまらないかも知れません。

いわゆる、意見には個人差があります、ですね。(笑)

一般的には、しばしまどろんで、時の経過を持つ、いわゆる時間薬が有効です。

さあ、静かに眠りましょう。

そこで良い夢が見れたら良いですけどね。

もちろん夢なら目覚めたら覚めるものです。

そして、目覚めたら、やはり現実は現実です。

落ちた成績が上がっていることもなく、不合格が合格となっているわけはありません。

降格が昇進に変わっているわけもなく、下がった給料が上がっていることはありません。

振られたことが間違いでもなく、去って行った人が戻ってくることもありません。

そして、燃え尽きた命が、再び不死鳥のように蘇ってくることもありません。

そう、昨日に戻るような今日はありません。

そして、今日から続く明日があるのみです。

夢は必ず叶うものではなく、多くの夢は、夢のうちに覚めていくものです。

人の夢と書いて、儚い(はかない)と読ませる所以なのかも知れません。

しかし、また、一瞬のまどろみの夢に、しばしの癒しを感じることも多いものです。

そして、しばしの癒しを積み重ねれば、いずれ治癒されることがあるのかも知れません。

心の傷を癒すのは、やはり時の経過に勝るものはないのでしょう。

いわゆる時間薬というものの薬理的な説明になるのかも知れません。

   生きてることに疲れたとき どこへも行かずに
   走っておいでよ真直ぐに すべてを忘れて。 (アリス 走っておいで恋人よ)

生きてることに疲れたら、じたばたせずに、右往左往せずに、しかし立ち止まらずに、一直線に、まっすぐに、走るだけ走ってみるのも、一案なのかもしれません。

走ったあとに待ち受けているのは何だろうか、そんなことは考えずに、ともかく、一所懸命に。











































































































































































































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