パーシー・フェイス

2023-04-15 07:07:11 | イージーリスニング(easy listening)
Percy Faith



パーシー・フェイス(Percy Faith, 1908年4月7日 - 1976年2月9日)は、カナダ・トロント生まれでアメリカ合衆国出身の作曲家、編曲家、指揮者、音楽プロデューサー。

イージーリスニングやムード音楽分野において著名な人物です。

1908年、8人兄弟の長男として生まれ、幼少期より音楽に親しみ、ヴァイオリンやピアノを演奏しクラシック音楽のピアニストを目指していまし。

ところが、18歳の時、マッチから妹の洋服に燃え移った火を手で消火したことにより両手に大火傷を負い、ピアニストになることを断念します。

その後作曲家へ転向し、編曲手法も学び頭角を現すのです。

当初はトロントでホテルオーケストラなどを指揮し、1933年に専属の編曲兼指揮者としてカナダ放送協会と契約。担当番組「ミュージック・バイ・フェイス」は好評で7年間続きました。

1940年にアメリカへ招聘されて「カーネーション・コンテンティッド・アワー」指揮者の急死による代役を3週間務め、好評により契約を延長してアメリカに留まり約2年後にアメリカの市民権を得ています。

1944年から録音作品の制作を開始し、後年デッカのA&Rとして活動しますが、1950年にミッチ・ミラーに請われてアメリカのコロムビアレコードへ移籍して東部担当ミュージカルディレクターとして活動。

自身も1975年までムード・ミュージック・オーケストラの指揮者として活動し、「デリカード(英語版)」、「ムーラン・ルージュの歌」、「夏の日の恋」の3曲が全米ヒットチャートで1位になりました。

「夏の日の恋」はマントヴァーニらのムード・ミュージックと流行中のロックンロールを融合させたスタイルで演奏され、1960年に全米ヒットチャートで9週連続1位になり同年のグラミー賞を受賞。

日本との縁は、1960年に単身で初めて訪問したえで、国内のオーケストラを指揮・演奏したことに始まります。

自身が率いるオーケストラによる来日公演は1966年、1971年、1973年、1974年、1975年の5回で、1966年公演はNHKが総合テレビとFMラジオで放送しました。

1974年公演については、ライブ音源を収録したLPレコードがCBSソニー(当時)から発売されています。

ちなみに、当時アメリカのブラスロックバンド、シカゴのジェームス・パンコウの曲を編曲した「Mongonucleosis」(モンゴヌークレオシイス)は、1977年4月から1年半にわたってフジテレビのニュース番組(『FNNニュース』や『FNNニュースレポート』シリーズ)のテーマソングに使われていました。

1928年にメアリーと結婚、マリリンとピーター二人の子を儲けた。1976年2月9日、カリフォルニア州エンシノでがんにより67歳で死去。

同州カルバーシティヒルサイド記念公園墓地に埋葬されているそうです。



























































































































































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