ふたつの手の思い出

2018-09-13 00:22:38 | 森山良子
ふたつの手の思い出 森山良子 1967


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ふたつの手を握りあい
 肩よせて歩いた
 すみれいろの夕暮れも
 いつか消えていった
 星をかぞえて祈っていた
 幸せなふたりはどこへいったの
 ふたつの手のぬくもりが
 私をはなれない

ふたつの手はほどかれて
 風に散っていった
 並んで歩いた道を
 ひとりで歩いてく
 このさびしさがやがていつか
 私を大人にかえるということを
 ふたつの手の想い出が
 わたしに教えてる
 わたしに教えてる



「何やっている。起きろっ」。昭和45年3月、東京都内の実家では、こんな涙混じりの怒声が響いていた。2階の部屋には、1歳年上の兄、晋(しん)さんが眠るように横たわっていた。しかし、息はない。叫び続けているのは駆けつけた10人もの兄の友人たちだった。

「ただ呆然としていた。兄貴がいないという感覚が取り込めなくて」

当時は22歳。歌手デビュー4年目で、コンサートにテレビ出演…と休む間もない毎日。訃報は、そんな充実した人生のさなかに届いた。急性心不全による突然死。旅行会社に勤めていた兄は、前日まで元気だったが、翌朝布団の中で冷たくなっていたという。

小中高と同じ学校に通った兄は、何でも話ができる頼れる存在だった。死の前年には、シングル「禁じられた恋」がミリオンセラーに。多忙を極め、家族から離れていく自分に、兄が亡くなる直前、一言だけ苦言を呈したのを覚えている。「お父さんとお母さんに心配かけるなよ」。家族愛の強い兄らしい言葉。これが最後の会話となった。

1年後、大きな転機が待っていた。結婚し、長女も生まれたのだ。兄が大切さを諭してくれた「家族」を新たに持つことの喜びは大きかった。いずれは「家庭に入るため、歌はやめようと思っていた」という。

しかし、老いた父と母を見て、心境に変化が生まれた。葬儀では、あんなに気丈だった母が、一周忌の席で声を上げて泣いたのだ。それに、ジャズ・トランペッターの父は、兄の遺体に「おいっ」と叫んだ日から、片耳が聞こえなくなってしまった。そんな両親に接し、「私が面倒をみなければいけない時期がきたんだ」と自覚したという。

同時に、夫との仲もぎくしゃくし始めていた。ほどなくして別居し、実家で両親と同居する生活が始まった。子供と両親を抱え、どうすべきか。約1年間、出産前後の休みを経て出した結論は音楽活動の再開だった。

その後は一家の大黒柱として、仕事に励んだ。夫とは数年後に離婚。さらに別の男性と再婚、離婚を繰り返した。

親友や親にすら言えない悩みは、誰にも一つぐらいはあるだろう。それに生来の負けん気が邪魔をし、仕事でつらいことがあっても周囲に打ち明けることができない。そんなときは、どんな愚痴もじっと聞いてくれた兄を思った。大切な人を亡くした悲しみも、年月を重ねれば薄らぐものだ。が、兄だけは違った。時間がたつほど、存在の大きさを実感し、逆に悲しみが増していく。思い出すと、必ず涙がほほを伝った・・・・・

「大切な人の死」、・・・この思いが森山さんの歌手活動における原点かもしれません。


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