青春Ⅱ 松山千春

2017-12-31 02:30:24 | 松山千春
松山千春 青春Ⅱ




この胸の中 かけぬけて行く
思い出たちが 優しすぎます
背中を向けた 貴方をつつむ
淡い日ざしが まぶしすぎます
人は皆 つかの間の 幸せを信じて
貴方と生きた 青春の日よ
愛に全てを かけた日々

涙がほほを ひとすじつたう
これ程貴方を 愛したのですね
幾度季節を 見送ろうとも
忘れたくない 思い出がある
人は皆 つかの間の 幸せを信じて
貴方と生きた 青春の日よ
愛に全てを かけた日々

人は皆 つかの間の 幸せを信じて
貴方と生きた 青春の日よ
愛に全てを かけた日々





青春の思い出は この胸の中で いつまでも 燃え尽きぬ 若き炎
移りゆく人の世を むなしいとうらみ 過ぎ去った昔を 恋しいと悔やむ
あぁ 僕の青春

流れ来る川面には 大人びた顔の 自分を映して すましてる
戻らない春の日を 呼びとめてみては 大声で叫びながら 追いかけて みゆる
あぁ 僕の青春


この胸の中 かけぬけて行く
思い出たちが 優しすぎます
背中を向けた 貴方をつつむ
淡い日ざしが まぶしすぎます


ところで、「思い出」ってなんでしょう。

改めて考えるために、まず「思い出」を広辞苑(第五版)で調べてみました。

①前にあった事柄で深く心に残っていることが思い出されること。また、その事柄。また、そのきっかけとなるもの。
②後々まで思い出しても楽しくなること。また、そのさま。

さすがは、広辞苑です。
いつも分かったような分からんような解説です。(笑)
でも、特に②については意外に感じました。

②の定義によれば、思い出とは、後々まで思い出しても楽しくなること、ということですから、つまりは思い出は、楽しい思い出のことを指すのでしょうか。

どちらかというと、いままでは、過去に経験したことの記憶に、喜怒哀楽の感情が加わったものが、思い出になるのだという認識がありました。

だから、思い出というものには、もちろん楽しい思い出もあれば、悲しい思い出もあり、辛い思い出もあるはずと思っていました。

考えてみれば、思い出たちが優しすぎるということは、その思い出たちが、楽しい、嬉しい、幸せな思い出たちだけだった、ということになるのでしょうか。

ところで、ある調査によれば、人に思い出を列挙させてみると、楽しい思い出が5割~6割くらい、悲しく辛い思い出が2割~3割くらいとなり、残りがどちらでもない思い出となるそうです。

この比率についても、多少、意外かもしれません。

そして、その思い出たちが、最近のものが多いほど、悲しく辛い思い出の比率が高いのですが、その逆に、その思い出たちが昔のときのものが多いほど、楽しい思い出の比率が高まってくるというのです。

よく考えてみると、思い出が、過去に経験したことの記憶ならば、その記憶というのは、時間の経過に伴って、必ず、忘れていく、薄れていくものです。

楽しい、嬉しい、幸せな思い出は、思い出すことが苦痛ではない分、いや快楽ともいえる分、なんども思い出しては、記憶の強化を図ります。

一方、悲しい思い出は、思い出すことが辛い分だけ、できれば思い出さないようにするはずです。

そうすることにより、時間の経過により、楽しい思い出たちの記憶は強化保存されて、悲しい思い出たちの記憶は減退消失されて、結果的に、楽しい思い出たちが残っていくものです。

だから、思い出とは、楽しい思い出であるというのも、あながち楽天家の戯言(たわごと)と、一概にはいえないのかもしれません。

でも、残念ながら、ひとは悲しみにとらわれると、ネガティブになり、暗く否定的な考え方、消極的な行動しかとれなくなることが多いと言われています。

そして、悲しい思い出たちの記憶を強めて、再生産していき、これがいわゆるマイナス思考へとつながっていきます。

涙がほほを ひとすじつたう
これほど貴方を 愛したのですね
幾たび季節を 見送ろうとも
忘れたくない思い出がある


しかし、よく考えてみてください。
悲しい思い出となるできごとがあったとしても、そのすべてが、悲しいできごとだったのでしょうか。

たとえば、ある人と別れたとします。
そして、もう会えないということになります。

それは、悲しく辛いできごとに違いないでしょう。
かならず悲しい思い出になるでしょう。

そして、それはそれでいいのです。
悲しみは悲しみと受け入れてください。

意地を張って無理することはありません。

でも、その人と別れたということを、改めて見つめ直してみてください。
別れたのは、その人と、出会えたからなのです。
出会えたからこそ、別れがあったのです。

そして、その人と過ごした時間があったのです。
そんな中でのできごとのひとつひとつまでもが、悲しく辛いできごとばかりでは、なかったはずです。

思い出して楽しくなるようなできごともあったはず。
幸せな気持ちになるようできごともあったはず。

その記憶を呼び起こし、その思い出たちを大切にしていけば、楽しい思い出の数は変わらなくとも、比重は増していくはずです。

そう、それがプラス思考です。

そうすれば、いつかきっと、ポジティブになって、明るく肯定的な考え方、積極的な前向きな行動がとれるはずです。

そして、それがまた、忘れたくない思い出たちに、つながっていくものなのです。

人は皆 つかの間の幸せを信じて
貴方と生きた 青春の日よ
愛にすべてをかけた日々


マスター(ふうちゃん)が、この「みゅーじっくふうちゃんねる」というタイトルでブログを始めたのは2007年(平成19年)5月の妻の死がきっかけでした。

49歳、早すぎる旅立ちでした。

遅咲きの桜が散る頃・・・幾たび季節を見送ろうとも、忘れたくない思い出とするならば、忘れられないようなものを作ってみよう。

青春時代の曲たちと、いつでも出会えるサイト。

そう、それが「みゅーじっくふうちゃんねる」の原点でした。

この胸の中 かけぬけて行く

思い出たちが 優しすぎます

放課後の校庭を走る君がいた

遠くで僕はいつでも 君を探してた


かけぬけて行った優しい思い出たち、思い出たちという名の君を探しに、青春音楽館のセカンドステージをまた走ろうと思います。

それが、マスター(ふうちゃん)の「青春Ⅱ」

どこまで走れるか、それは分かりません。
歩くより遅い走りかもしれません。(笑)

しかし、その思い出たちが手を振ってくれる限り…。
そして、その思い出たちが、ここに来るみんなを優しく包み込んでくれる限り…。

もちろん、ぼちぼちと…ですけど。(笑)



























































































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