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花はおそかった

2024-04-22 10:25:59 | 青春歌謡
美樹克彦


(台詞)こんな悲しい窓の中を雲は知らないんだ
    どんなに空が晴れたって それが何になるんだ
    大嫌いだ 白い雲なんて!

かおるちゃん おそくなって ごめんね
かおるちゃん おそくなって ごめんね
花をさがしていたんだよ
君が好きだった クロッカスの花を
僕はさがしていたんだよ
かおるちゃん おそくなって ごめんね
かおるちゃん おそくなって ごめんね
君の好きな 花は 花は 花はおそかった

かおるちゃん 君の白い その手に
かおるちゃん 君の白い その手に
花を抱かせて あげようね
君と夢にみた クロッカスの想い出
花を抱かせて あげようね
かおるちゃん おそくなって ごめんね
かおるちゃん おそくなって ごめんね
君の好きな 花は 花は 花はおそかった
 
 (台詞)信じるもんか! 君がもういないなんて……
     僕の命を返してくれ 返してくれよ!
 
君の好きな 花は 花は 花はおそかった
 バカヤロー





亡くなった恋人の名を幾度も呼んで花をささげる、設定は橋幸夫「江梨子」に似ています。

ところで、、「江梨子」が恋人の墓に捧げたのは野菊でした。

野菊は野生の花、一方、クロッカスは園芸品種、主人公(語り手)は花屋をさがしまわったのでしょう。

その分、「花はおそかった」は都会的な印象がし、「こんな悲しい窓の中」も清潔な病院の病室を連想させます。(笑)
 
そしてまた、設定は「江梨子」に似て、「江梨子」以上に劇的です。

恋人の死の直後、彼女を歓ばせようと花をさがしていたがためにその臨終にわずかに遅れてしまった場面です。

その意味で、この劇的設定に匹敵するのは、死の報に接して恋人の死の床に急ぐ舟木一夫「雪国へ」でしょうか。

「雪国へ」も、その末尾で、「好きだった花をささげよう」と歌っていました。

どちらも悲劇ですが、「雪国へ」は遅れて「現場」へ急ぐもどかしい心理的サスペンス、一方「花はおそかった」は悲劇の「現場」に遅れて到着した主人公の嘆き。
 
『伊勢物語』第六段なら、「足ずりをして嘆けどかひなし」と語るところです。

久しく恋いわたった深窓の姫君をとうとう連れ出して逃げたこの主人公、夜の雷雨に遭遇して姫君を野中の無人のあばら家に隠し、自分は追手を警戒して

外で見張っていたところ、なんと鬼が出現して姫君を一口に食ってしまいます。

姫の叫びも雷鳴の轟きで男の耳には届きません。朝になって小屋に入ってみればもう手遅れ。

彼もまた、悲劇の主人公でありながら、恋人のためを思う行為によってかえって恋人の死の「現場」に遅れてしまったのでした。

男は最後に歌を詠みます。

白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを(夜の闇の底にいくつも白玉みたいに光るあれは何?、と姫君が尋ねた時、「夜露が光っているのですよ」

と答えて、露のように二人一緒に消えてしまったなら、ひとり取り残されてこんな嘆きをせずにすんだものを)もう取り返しがつかない、という嘆きを凝縮した

歌です。

(ちなみに、戦時中の坂口安吾に、『伊勢物語』のこの説話に言及した「文学のふるさと」という名エッセイがあります。)
 
ロック歌謡ともいうべきスタイルで登場した美樹克彦は、ステージ上での身体パフォーマンスを最初に解放した青春歌手でした。

デビュー曲「俺の涙は俺がふく」では指を鳴らし、「回転禁止の青春さ」では激しく踊ってみせました。

「花はおそかった」はその美樹克彦が初めて歌ったバラード調。身体表現は抑制されます。

しかし、その代わりを台詞が務めているのだ、といえるでしょう。

つまり、身体表現としてのパフォーマンスの代わりに、台詞というパフォーマンスがあるのです。

とりわけ、抑制に抑制をつづけた感情を一気に爆発させる最後の絶叫、「バカヤロー」は印象的でした。
 
美樹克彦はこの曲で年末の紅白歌合戦に出場します。

そして、これ以後、「手紙」(昭42-9)「海は青かった」(昭43-11)と情感をこめたバラード調が続くことになります。














































































































































































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さんざしの花咲けど

2024-04-13 02:07:11 | 青春歌謡
舟木一夫



さんざしの花咲けば さんざしの花に似た
あのひとのあたたかな あたたかな声がする
いつもひとり丘のうえ 雲をみてたこの僕に
ひとのやさしさを そっと教えた
あのひとのあたたかな あたたかな声がする
 
さんざしの花咲いて 春はまた来たけれど
さんざしの花に似た あのひとはかえらない
胸を張って生きている 僕の姿見せたなら
泣いて手をとって くれるだろうか
さんざしの花に似た あのひとはかえらない
 
さんざしの花びらを 手のひらにのせるとき
あのひとの横顔が 横顔が見えてくる
みんないつか別れてく これがひとのさだめだと
誰かなぐさめて くれたけれど
あのひとの横顔が 横顔が見えてくる




ひとりぽっちで苦しんでいた「僕」に「ひとのやさしさをそっと教えた」という「あのひと」がどういう人か、具体的にはわかりません。

「ひとのやさしさ」を教えてくれた「さんざしの花に似たあの人」というイメージからすると女性、それも年上の女性でしょうか。(笑)

ちなみに、さんざし(山査子)は4~5月に咲くバラ科の花で、花言葉は「希望」「ただ一つの恋」「成功を待つ」









































































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修学旅行

2024-03-27 10:13:32 | 青春歌謡
舟木一夫



二度とかえらぬ 思い出乗せて
クラス友達 肩よせあえば
ベルが鳴る鳴る プラットホーム
ラララ……
汽車はゆく 汽車はゆく
はるばると はるばると
若いぼくらの 修学旅行
 
地図をひろげて 夢見た町よ
僕のカメラで 撮した君を
思い出すだろ いついつまでも
ラララ……
汽車はゆく 汽車はゆく
ひとすじに ひとすじに
若いぼくらの 修学旅行
 
霧の港に 湖畔の宿に
名残りつきない 手と手を振れば
あとを追うよな 小鳥の群よ
ラララ……
汽車はゆく 汽車はゆく
さようなら さようなら
若いぼくらの 修学旅行




「高校三年生」に続く舟木一夫の二枚目のシングルです。

修学旅行は多くの人にとって学園生活最大の思い出でしょうが、舟木の「学園ソング」のシリーズ化がここに決定したわけです。

「汽車はゆく汽車はゆく」ですから、歌詞の語り手にして主人公である「ぼく」は、たしかに、いま、修学旅行の車中にいます。

でも、「二度と帰らぬ思い出乗せて」と歌い出します。

彼はこの現在を、ひとたび過ぎ去ったら二度と帰らぬ「思い出」になってしまうのだ、という感慨でながめているのです。

彼の身体は修学旅行のさなかにいますが、彼の意識は愉しいこの時の「終り」を先取りして、進行中の現在を「終り」から眺めているのです。

そこに痛切な愛惜の念が生じます。
 
「僕のカメラで撮した君を思い出すだろいついつまでも」と歌う二番の歌詞も同じですね。

「君」は女生徒でしょうか。

もしも「君」が「ぼく」の淡い恋心を抱く女生徒だとしたら、ここでは、いまだ始まらない恋が、始まらないままに終ってしまうであろうことさえ

予感されているのかもしれません。

恋の始まりにおいて終わりを思う、というのは終末意識に浸透された日本浪漫派(保田与重郎)の恋愛美学でした。

青春の現在を哀別の思いで歌うこと、そこに舟木一夫の青春歌謡のかすかな哀愁がにじみます。

これが、橋幸夫とも西郷輝彦とも、さらには三田明や山田太郎とも異なる、舟木一夫の青春歌謡の世界なのかも知れません。
















































































































































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星空のあいつ  

2024-03-27 01:45:33 | 青春歌謡
西郷輝彦




星空のあいつは気のいいあいつ
大きな夢をもっていた
男心のひとすじに
生きてゆこうといいながら
星をみつめて泣いていた
 
星空のあいつはすてきなあいつ
きらめく夢をもっていた
流れる星ならつかまえて
キラリかがやくペンダント
おれは作るといったやつ
 
星空のあいつはやさしいあいつ
いつもギターをひいていた
教えてくれたよこのぼくに
胸がちょっぴり痛むとき
 ひとりギターでうたう歌





西郷輝彦の友情は男同士、一対一の対関係の友情。恋愛も含めたこの一対性が西郷輝彦の歌の基本設定です。

しかも、「あいつ」はもういない。一対の相手を失った「ぼく」は一人。けれども「さびしい」とも「かなしい」とも口には出さず、

詞はただ元気だったころの「あいつ」の面影を生き生きと描き出します。
 
「あいつ」は星をみつめて泣く若者。

感情の高ぶりに涙を流すこの純情、この熱さも60年代青春歌謡ならではのものですね。




































































































































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君だけを

2024-03-26 06:44:08 | 青春歌謡
西郷輝彦




いつでも いつでも 君だけを
夢にみている ぼくなんだ
星の光を うつしてる
黒い瞳に 出合うたび
胸がふるえる ぼくなんだ

いつでも いつでも 君だけが
待っていそうな 街の角
そんな気持に させるのは
君の素敵な 黒い髪
雨に濡れてた 長い髪

いつでも いつでも 君だけと
歩きたいのさ 夜の道
ふたつ並んだ あの星も
いつも仲良く ひかってる
 君と僕との そのように






うさぎはなぜ羽で数える?

ウサギを一羽、二羽と数える理由は、仏教では本来獣肉を食べてはいけないのを、当時の人がどうしてもお肉を食べたかったから、

「ウサギは鳥だからOK!」という理由をつけたためと言われています。

 岸田総理らしく「適切な判断」と言ったかどうかは記憶の限り知りませんが。(笑)






































































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青春の鐘 

2023-11-07 02:45:28 | 青春歌謡
舟木一夫


水色の空 鳴る鳴る鐘は
花いまひらく 大地の春よ
愛のきらめき 南風
悲しみは捨てたまえ 雪崩も消える
ああ 青春に 希望(のぞみ)あり

秘かにこころ寄せあうひとも
やがては遠く 別れるひとか
声を忍んで 泣くな 君
いつの日か 懐かしの思い出となる
ああ 青春に 憂いあり

太陽の下(もと) かげろうゆれて
巣立ちの鳥も あの森越える
君は微笑む 白椿
はげまして 慰めて 旅ゆく彼方
ああ 青春に 未来あり




映画「青春の鐘」が舟木の青春映画の最後にして「総決算」だったように、歌謡曲「青春の鐘」も、舟木の青春歌謡の最後にして「総決算」だったといって

よいでしょう。

「総決算」にふさわしく作詞はデビュー曲「高校三年生」以来舟木の青春歌謡路線を確立した丘灯至夫が手がけます。

詞も、「希望」「憂い」「未来」と、舟木らしい「あはれ」を含んだ青春讃歌。
 
とりわけ、一番の「水色の空」「大地の春」「南風」には、広々と開けた大地と天空、その間を吹きわたる大気の流れ、壮大なスケール感があります。

そのスケール感を、古関裕而が、交響曲も書いた作曲家らしく見事に表現しました。
 
映画の後半の舞台・新潟県長岡市は豪雪地帯。雪国の春先の空はまさしく淡く澄んだ「水色の空」。

「雪崩も消える」は戦後青春歌謡の模範にして丘の師匠でもある西條八十作詞「青い山脈」の「雪崩は消える」の本歌取り。

もちろん本歌取りの技法は本歌へのオマージュ、鐘(ベル)の音を聴きながら旅を行くのも「青い山脈」を踏襲しています。



「万博ID」登録開始 30日から大阪万博チケット販売

2025年日本国際博覧会協会は、2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)の入場チケットの前売販売を11月30日より開始する。これに先立ち、チケット購入に必要な「万博ID」を取得するための登録サイトを11月6日に開設した。(Impress Watch)


いやぁ、本当に2025年開催出来るんるんでしょうかねぇ。

まぁ、中止は出来ないでしょうから相当のリスクを抱え開催するんでしょうが、恐らく1年延期。

しかし、開催しても万博史上最も盛り上がらない「バンパク」になることだけは確か。

最も史上最高は、「盛り上がりがない」だけではなく「かけるお金」も断トツ。(笑)

このチグハグさが今の日本を象徴しているのかも知れません。


























































































































































 

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夕焼けのあいつ

2023-10-09 02:48:24 | 青春歌謡
泉アキ


夕焼けの空に あいつが燃えている
恋のよろこび おしえてくれた
あいつは憎い
返して 私のすべてを
いますぐに
夕焼けの空に あいつが燃えている
返して!!

夕焼けの空に あいつが消えてゆく
たった一度の はげしい恋に
あいつは燃えた
ふたりの 想い出
いまはもう かえらない
夕焼けの空に あいつが消えてゆく
帰ってきて!!



「夕焼けのあいつ」、恋愛ドラマとして読めば、当然、「あいつ」は恋人の男性。
 
しかしまた、夕焼けの空に「燃えている」、夕焼けの空に「消えてゆく」、この「あいつ」は太陽そのものとも読めます。

さらにいえば、これはひと夏の恋の終り、つまり、「あいつ」は夏という「太陽の季節」に燃え盛り、夏の終わりとともに消えてゆくのだ、ゆえに「あいつ」は

夏という「恋の季節」(ピンキーとキラーズ)そのものなのだ、とさえ言えそうです。

レコード発売はなぜか真冬の2月ですが、イメージはまぎれもなく真夏。

蛇足ですが、夕焼け」は夏の季語です。 












































































































































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光る海

2023-09-18 06:10:49 | 青春歌謡
吉永小百合





激しい日もある 和(なご)む夜も
われらは若い波頭
ぶつかりあって 声あげて
歌う生命の美しさ
青春 青春 青春こそは光る海
ああ、金色(こんじき)に光る海
 
こころが痛めば 空を見る
やさしい星はいつも言う
希望を胸にがっちりと
待とう未来の朝焼けを
青春 青春 青春こそは光る海
ああ、金色に光る海
 
岸壁目がけて 打ち寄せる
火花を散らす波頭
喜びあれば哀しみも
知ってうれしい 人生だ
青春 青春 青春こそは光る海
ああ、金色に光る海




なんといっても詞がうまいですね、さすが佐伯孝夫さん。(笑)

青春は満々たる生命のエネルギーをたたえて光りかがやく海であり、一人ひとりの若者はそのエネルギーの海が個別化して立ち上がった「波頭」なのです。

だから主語は「われら」、複数形です。

主語は「青春」という集合的な年代そのものだということです。

「ぶつかり合って」は、個別化した「波頭」同士の、強く惹かれあう激しい抱擁もあれば、対立、衝突の場合もあるでしょう。

「声あげて」は歓喜の叫びもあれば泣き声もあるでしょう。

けれども、それらいっさいが「生命」をたたえる青春という「海」の「歌」だというのですね。

「激しい日」と「和む夜」の対句もうまい。「和む」という言葉はなかなか出てきません。

キムタクにも、教えてあげたい・・・(笑)































































































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兄妹の星

2023-09-10 01:36:35 | 青春歌謡
西郷輝彦・水沢有美





あの星は あの星は 兄さんの星
この星は この星は 妹の星
幼い頃に二人して 星をみつめた想い出よ
あの星は あの星は しあわせの星
兄さん 覚えて居ます
母さん恋しと泣いた夜を
それも それも それも それも
今は楽しい想い出よ
 
白い花は 白い花は 山百合の花
赤い花は 赤い花は ひなげしの花
兄さん都へ発つ朝に 涙で作った花束よ
あの花は あの花は しあわせの花
兄さん 手を振りながら
別れたあの丘あの小道
それも それも それも それも
今は楽しい想い出よ
 
あの夢も あの夢も 遠く飛び去り
この夢も この夢も はるかな昔
苦しいことや辛い日を 共にはげまし越えて来た
あの夢は あの夢は しあわせの夢
兄さん ほらご覧なさい
兄妹の星を あの星を
それも それも それも それも
 今は楽しい想い出よ




歌詞には映画音楽を数多く手がけてきた来た米山正夫らしい物語性があります。

母親を亡くしたあと、つらい境遇を励まし合って生きてきた兄と妹。

夜空にきらめく無数の星からただ一つ選んだ「あの星」は、もしかすると最初は、母親は死んで「あの星」になったのだ、

という幼い彼らの空想や願望だったのかもしれません。

 だからこそ、それは、いつも彼らを見守り、いつかは「しあわせ」が来ると励ましてくれる「しあわせの星」「兄妹の星」。
























































































































































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高原のお嬢さん

2023-06-15 13:25:23 | 青春歌謡
高原のお嬢さん



あの人に逢いたいたまらなく逢いたい
高原に風はわたり白樺はゆれていた
夏がゆけば恋も終わると
あの人はいつも言ってた
リーフ、リーフ、君に僕の恋を語ろう

つぶらなる瞳よつぶらなる瞳よ
高原の夏はすぎて別れゆく夜はきた
一人よせる夢ははてなく
残り火は赤く燃えてた
リーフ、リーフ、ぼくの恋は消えてしまった

あの人に逢いたいたまらなく逢いたい
東京の空のどこかあの人は住んでいる
せめていちど逢ってききたい
夏の日の恋は嘘かと
リーフ、リーフ、東京の秋は淋しい





この曲「高原のお嬢さん」は、1965年10月にリリースされた舟木一夫の31枚目のシングルです。

本曲は、日本コロムビア創立55周年記念として製作され発売され、夏から秋にかけての高原での恋物語がテーマになっております。

1965年、舟木は本曲で「第16回NHK紅白歌合戦」に三度目の出場、白組の先頭打者として歌唱しています。







































































































































































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十七才のこの胸に/香西かおり

2023-04-11 10:59:35 | 青春歌謡
十七才のこの胸に/香西かおり



風に吹かれた 花びらを
うかべて波は 遠ざかる
ひとりぼっちの 湖は
口笛さえも 切れ切れに
山むらさきに 夜がくる
 
空をまっかに そめながら
どこ行く夕日 ひとり旅
そっとよぼうか 思い出を
十七才の この胸に
しまっておいた 思い出を
 
夜がしずかに 訪れりゃ
湖さみし 風さみし
ひとりぼっちの ぼくだから
あてなくたどる 落葉松(からまつ)の
林の道を ただひとり




ひとり旅の若者が夕暮れの湖のほとりで旅の愁いとともに胸に去来する「思い出」を噛みしめています・・・

おや、このシチュエーションは誰かのヒット曲に似ているぞ、と思いませんか。

そうです。この設定は松島アキラのデビュー曲「湖愁」にそっくりです。

「湖愁」のひとり旅の背景は失恋、一方、「十七才のこの胸に」の背景はわかりませんが、青春の苦悩や感傷性は一緒ですよね。

また、「湖愁」が描写する細部は「湖の水」「この葉舟(木の葉舟)」「小鳩」「白樺」「泣く」「涙」「夕星」「東京」「あの峰」、

「十七才のこの胸に」は「風」「花びら」「波」「口笛」「夕陽」「落葉松の林」です。

湖の湖水を別にすれば、具体的な細部はまったく異なりますが、大きなシチュエーションは似ています。

まぁ、そことは別として、「君だけを」でデビューし、「チャペルに続く白い道」「星空のあいつ」と続いた西郷輝彦さん。

先行する橋とも舟木とも三田とも異なる西郷さん独自のテーマを見つけたようとしたのは事実です。

そして、この4枚目の「十七才のこの胸に」の「ひとり旅」が、そのスタートだったのではないでしょうか。


神奈川県知事選挙 黒岩祐治氏 4回目の当選

現職に新人3人が挑んだ神奈川県知事選挙は、自民党、公明党、国民民主党のいずれも県組織が推薦した現職の黒岩祐治氏が4回目の当選を果たしました。
(NHK)

投開票前日直前に発覚した黒岩氏の不倫問題。

それでも、投票者の70%が黒岩氏に投票するという、他県からは信じられない投票行動でした。

人がいいのか、馬鹿なのか、その県民性に不安が残ります。(笑)

もっとも、横浜市長選の時も、「市長選」ではなく「市(北)朝鮮」と思っていましたので、今回の「嫌痴事選」の結果も、あぁそうか程度でしたけど。(笑)

神奈川県民の皆様、挙って17歳に戻られたらどうでしょう。(更笑)















































































































































































































































































































































































































































































































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あゝ青春に花よ咲け

2023-04-09 12:50:26 | 青春歌謡
あゝ青春に花よ咲け  松島アキラ



流れる雲は 風に乗り
小鳥は唄う 青い空
花よ、咲け咲け
青春の
夢を彩る 赤い花
涙も甘き 恋の花

やさしき君を 一目見て
ほのかに燃えし 恋ごころ
誰に、語らん
この嘆き
君は命の花なのと
しのべどつきぬこの想い

夢見るために 夢に酔い
恋するために 恋に酔う
花よ、咲け咲け
青春の胸に火ともす 赤い花
あこがれもやす 恋の花


何といってもこの一番の歌詞。

空は青く、雲は流れ、小鳥は唄い、花は咲く。

花は夢を彩り恋を彩り涙を彩る。

これぞまさしく青春歌謡。(笑)
 
ところで、「花よ咲け咲け」と歌われるこの花は、個別のどれかの花というより、むしろどの花でもないすべての花、「花」一般です。

言い換えれば、実在の花というよりメタファーの花、イマージュ(イメージ)の花。

さらに言いますと、本質としての花、観念(イデア)としての花。
 
フランスの詩人、マラルメはエッセイ「詩の危機」で、こんな意味のことを言いました。
 
私が「花」と言うと、現実のどんな花束にもない「花」の観念そのものが立ちのぼる。
 
敢えていえば、青春歌謡の「花」もマラルメ的。
 
三番冒頭、「夢見るために夢に酔い/恋するために恋に酔う」。

夢想と陶酔は青春の本質。

その本質を見事に言い留めてみせています。
 
ただ、ちょっと残念なのは二番。

「君は命の花なのと/しのべどつきぬこの想い」
 
一目見た「やさしき君」に「恋ごころ」を燃やしながら、実ることなく嘆き偲んで想いは尽きぬ。

省略されている主語は語り手。

語り手は歌手本人と重なるので男。

文脈上からも、相手の「やさしき君」は「やさしき」からして女のイメージ。

ならば「君」に恋した語り手はやっぱり男のはず。
 
にもかかわらず、「君は命の花なの」と偲ぶのです。

「君は命の花なの」は語り手の心内語。

しかし、これはまぎれもない女口調。

たぶん曲の旋律に合わせた結果でしょうが、不自然で違和感が残ります。
 
ビクターの青春歌謡は時々こういう雑な詞を書きます。

コロムビアの青春歌謡にはこんなことはありません。

コロムビア作詞家の長老・西條八十とビクターの長老・佐伯孝夫の文学的教養や作詞姿勢の違いがこんなところにも表れています。

(歌詞へのツッコミ、人生幸朗師匠のまね)






























































































































































































 





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高校三年生

2023-03-11 19:06:14 | 青春歌謡
舟木一夫/高校三年生




赤い夕陽が校舎をそめて
ニレの木陰に弾む声
ああ 高校三年生
ぼくら 離れ離れになろうとも
クラス仲間はいつまでも

泣いた日もある 怨んだことも
思い出すだろ なつかしく
ああ 高校三年生
ぼくら フォークダンスの手をとれば
甘く匂うよ 黒髪が

残り少ない日数(ひかず)を胸に
夢がはばたく遠い空
ああ 高校三年生
ぼくら 道はそれぞれ分かれても
越えて歌おう この歌を



1963年にリリースされ、今日も歌われている超ロングヒット「高校三年生」 、「青い山脈」と並ぶ青春歌謡の代表曲です。

「青い山脈」が軍国主義から解放された喜びと廃墟からの復活を歌ったマニフェストソングだとすると、「高校三年生」は民主主義教育の喜びと国民的自信の復活を反映した、それといっていいでしょう。
 
このころから日本経済は離陸し、世界史上の奇跡とまでいわれた高度経済成長を成し遂げることになります。

ちなみに、歌詞の中に現われる赤い校舎は東京都の私立「松蔭高校」であると言われ、現在同校にも歌詞が書かれた歌碑があります。

しかし、当時、松蔭高校は女子高であり定時制も無かったことから、実際のモデルは、同じ世田谷区内にある都立松原高校であると考えられているようです。

ただ、いかに超ロングヒット曲だとしても、この曲を知っている年代は限られています。

歌碑を残すと言うことには可否があるのではないでしょうか。(笑)

勿論、こういった駄洒落にも可否はあるでしょうけど、・・・ネ。(笑)


























































































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美しい十代

2023-03-11 18:49:47 | 青春歌謡
美しい十代




白い野ばらを 捧げる僕に
君の瞳が あかるく笑う
いつも心に 二人の胸に
夢を飾ろう きれいな夢を
美しい十代 ああ十代
抱いて生きよう
幸福(しあわせ)の花

昨日(きのう)習った ノートを君に
貸してあげよう やさしい君に
つらい日もある 泣きたいことも
あるさそれでも 励ましあって
美しい十代 ああ十代
抱いて咲かそう 幸福の花

遅くなるから さよならしよう
話しあったら つきない二人
「明日またね」と 手を振りあえば
丘の木立に 夕陽が紅い
美しい十代 ああ十代
抱いて生きよう 幸福の花




1963年リリースされた、三田明さんのデビュー曲です。

デビュー当時、写真家の秋山庄太郎に「日本一の美少年」と絶賛されたと言うエピソードも。

十代にはただ可愛いだけだった三田明さんでしたが、40歳過ぎてから、とくにテレビ時代劇に出るようになってから、渋いいい味を出すようになりました。
 
男は、やはり40歳過ぎなくっちゃ、・・・かもネ。(笑)

ところで、当時は「美しい十代」というタイトルでよかった訳ですが、今は違いますよね。

18歳・19歳は法的には、もう大人。

タイトルも「美しい17歳未満」にしなければ。(笑)




























































































































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わが愛を星に祈りて

2023-02-18 02:47:12 | 青春歌謡
わが愛を星に祈りて 梶 光夫&高田美和


http://blog-imgs-76.fc2.com/t/o/s/toshiichi/201505171619425c1.mp3

 

ちいさな肩を うしろから
抱きしめたい 日もあったのに
雪どけ道で 声かけて
甘えてみたい 日もあったのに
愛を愛とも 知らないで
たゞみつめてた僕 許しておくれ
あゝ いまはひとりで 空にいる
君が淋しく ないように
わが愛をわが愛を 星に祈ろう
・・・・・

 

この曲には「大和書房刊『わが愛を星に祈りて』(佐伯浩子著)より」という注記があります。

原作本は、結核性脊椎カリエスのために二十歳で亡くなった北海道の女性の日記。

恋心を打ちあけることさえなかった高校時代の同級生への切々たる秘めた思いをつづった詩文集です。

この年、昭和40年のベストセラー第5位でした。
 
ちなみに、1位は池田大作の『人間革命1』、2位は大松博文『なせば成る』、3位は同じく大松博文『おれについてこい』、4位は山岡荘八『徳川家康』、5位が『わが愛を星に祈りて』です。
 
池田大作は言わずと知れた創価学会会長。

大松博文はスパルタ式訓練でニチボー貝塚女子バレーボールチームを「東洋の魔女」と謳われるまでに鍛え上げて東京オリンピックで金メダルに導いた監督、「なせば成る」も「おれについてこい」も流行語になりましたね。

大松の「なせば成る」は米沢藩主・上杉鷹山(ようざん)の名言(和歌)「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」から頂戴したもの。

当時はそれをさらにもじって「為せば成る、為さねばならぬ何事も、ナセルはアラブの大統領」などと言って笑っていました。

時事ネタを盛り込んだなかなか高級な言葉遊びです。

誰が流行らせたのでしょう、気づいてみれば鷹山の歌そのものがちょっと言葉遊びっぽいものなのですね。

ちなみに、ナセルはエジプトの大統領ですが、シリアと連合して「アラブ連合共和国」を作り、シリア脱退後も「アラブ連合共和国」と名乗っていました。

だから「アラブの大統領」なのです。

山岡荘八の大長編『徳川家康』は、従来の大衆歴史小説における「タヌキ親父」イメージを払拭して、苦労して天下をとり、幕府三百年の安泰の基礎を築いた偉大な「経営者」・徳川家康像を描いて、経営者の必読書とも言われました。

そうした中、この内気な少女の純愛日記が堂々たる第5位だったわけです。

岩谷時子の詞は原作を踏まえながら、当然のこと、フィクションを交えます。

若者の側にも秘めた恋心を持たせているのもフィクションではないかと推測されますが、もちろん最たるフィクションは、若者と「天国」の娘とのデュエットという設定です。

これは死者と生者のデュエットなのです。

ですから、一番と三番の「いまはひとりで空にいる君」は女性。

その「君」が「淋しくないように」「わが愛を星に祈」るのは男性。

二番の「いまはひとりで空を見る」のは男性。

その「君が淋しくないように」「わが愛を星に祈」るのは女性、ということになります。

理屈で区別すればそういうことです。

しかし、デュエットにおける梶と高田のパート分担は、むしろその区別をあいまいにして、二人がともに一つの「愛」を共有し、ともに同じ心で「星に祈」るかのように印象づけます。

この微妙なあいまいさが、歌として成功しているのかも知れません。(笑)


























































































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