そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

万葉集#3.0446-3.0450

2009年07月12日 |  / 万葉集
7/12
「わが妻が見た鞆の浦の天木香樹ムロノキは今も繁れどその妻はなし()」
「我妹子が見し鞆之浦の天木香樹ムロノキは常世にあれど見し人ぞなき
(天平二年庚午カノエウマ冬十二月太宰帥大伴の卿の京に向きて
上道ミチダチする時によみたまへる歌1/5首 #3.0446)」
「鞆之浦の磯の杜松ムロノキ見むごとに相見し妹は忘らえめやも
(歌2/5首 #3.0447)」
「鞆の浦の磯の杜松ムロノキ見るごとに一緒に見たる妻を忘れず()」
「磯の上に根延ハふ室の木見し人をいかなりと問はば語り告げむか
(歌3/5首 #3.0448)」
「室の木を共に見し人どうしたと問われば死んだと語り告げんか()」
「鞆の浦福山にある鞆町に比定されおり歌枕かな
(右ノ三首ハ、鞆浦ヲ過ル日ニ作メル歌。)」
「妹と来し敏馬の崎を帰るさに独りし見れば涙ぐましも(歌4/5首 #3.0449)」
「妻と来た敏馬の崎を帰るとき独りで見れば涙が出るよ()」
「行くさには二人我が見しこの崎を独り過ぐれば心悲しも(歌5/5首 #3.0450)」「行くときに二人で見たるこの崎を独りで過ぎるは心悲しい()」
「(右ノ二首ハ、敏馬埼ヲ過ル日ニ作メル歌。)」
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万葉集#3.0443-3.0445

2009年07月12日 |  / 万葉集
7/12
「この長歌なかなか立派言葉よくリズムもあって力作と見る()」
「天雲の向伏ムカフす国の武士マスラヲと言はえし人は皇祖スメラキの
神の御門に外重トノヘに立ち侍サモラひ内重ウチノヘに仕へ奉り玉葛
いや遠長く祖の名も継ぎ行くものと母父オモチチに妻に子どもに語らひて
立ちにし日より足根タラチネの母の命は斎瓮イハヒヘを前に据ゑ置きて
一手ヒトテには木綿ユフ取り持ち一手には和細布ニキタヘ奉マツり平けく
ま幸くませと天地の神に祈コひ祷ノみ如何にあらむ年月日にか躑躅花ツツジバナ
 にほへる君がにほ鳥のなづさひ来むと立ちて居て待ちけむ人は王の命畏み
 押し照る難波の国にあら玉の年経るまでに白布シロタヘの衣袖コロモテ
 干さず朝宵にありつる君はいかさまに思ひませかうつせみの惜しき
 この世を露霜の置きて去イにけむ時ならずして
(天平元年己巳ツチノトミ、攝津国の班田アガチダの史生フミヒト丈部龍麻呂ハセツカベノタツマロ
 が自ら経ワナき死ミマカリし時、判官マツリゴトヒト大伴宿禰三中ミナカが
 よめる歌一首、また短歌 #3.0443)」
「かくほどに讃え崇める人ならば首くくるのはいかな理由が…()」
「昨日こそ君は在りしか思はぬに浜松の上ヘの雲に棚引く
(反し歌1/2首 #3.0444)」
「昨日まであなたはいたがそれが今日浜松の上の雲になるとは()」
「いつしかと待つらむ妹に玉づさの言だに告げず去イにし君かも
(反し歌2/2首 #3.0445)」
「首長く帰りを待ちし君が妻に玉梓告げず逝きし君かも
(玉梓は手紙のようなものか)」

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