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そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

俳句随想〜商品開発

2016年07月31日 | 俳句

2016/07/31

最近、俳句をたしなんでいる人の数の多さを圧倒される。季語を操る問題はあるが手軽さが受けるのだろう。わたしも含め膨大な数の俳人から膨大な数の俳句が紡ぎ出される。同じ発想の俳句は当然あるだろうが、まったく一緒の俳句があるのだろうか。
商品の開発分野では特許侵害の問題があり、商品化にあたっては特許権の問題を確認する必要がある。分野が違うので同じ俎上にのせることはできないが、参考にすべく点はあるだろう。
似たような先人の俳句の有無。先人俳句のデータベースとしての句集、俳句雑誌。句界での先願権や出願していない俳句の扱い。俳句分類としての季節、構成部品としての語彙、機能としての可視形態、機能としての非可視形態。人に与える影響、利便性。ロングライフ商品。

こんなことを考えていると、わたしの俳句人生と発句姿勢が見えてくる。作った俳句はやはり出願しないといけないと言うこと。類想大いによし、詩的語彙を増やせ、着眼点の新しさの追求、自句の整理、などである。一応、五年後に第一句集の作成を目指そう。


 


俳句の解釈 2

2016年07月30日 | 俳句

2016/07/30

「桐一葉日当たりながら落ちにけり
 (高浜虚子
 /桐の葉が日を受けながら散りました&落ち方は)」


「遠山に日の当たりたる枯野かな
 (高浜虚子
 /枯野の向こうの山に日が当たっています&枯野は当たっていないのか)」


「いきいきと三月生る雲の奥
 (飯田龍太
 /生気に充ち溢れた三月が来ます雲の奥から&他に来るところはないの?)」


「あるときは一木に凝り夏の雲
 (原裕
 /難解句。ある木にこだわっているように空に発生する夏の雲です&入道雲?)」


「夏空へ雲のらくがき奔放に
 (富安風生
 /入道雲は夏の空では落書きのようだ)」


「鰯雲人に告ぐべきことならず
 (加藤秋邨
 /人には言えないので鰯雲に愚痴った&気になりますねぇ)」


「寒雲の燃え尽しては峡を出イづ
 (馬場移公子
 /長く居座っていた冬の雲が陽で燃え尽くして山峡を去った&雲は消えたのか、流れたのか?)」


「十五夜の雲のあそびてかぎりなし
 (後藤夜半
 /十五夜は長く見ているといろんな形の雲が月と戯れているようだ
 &どのくらい見ていたのであろう)」


「生涯にかかる良夜の幾度か
 (福田蓼汀
 /良夜とは十五夜、十三夜などで月の明るい夜&数えたらだめ)」


「ふるさとの月の港をよぎるのみ
 (高浜虚子
 /ふるさとの港は月のきれいなところだが、今回はそこをよぎるのみ
 &虚子のふるさとはたしか松山?)」



 


季語探偵-20160729

2016年07月29日 | 俳句

2016/07/29

【蝿叩/夏155】
「舌戦に割って入りたる蝿叩(鬼形むつ子)」
「棕梠シュロの木の頂きにある蝿叩き(隆夫)」

【棕梠シュロの日曜日/春251】
「棕梠シュロの日曜日なんのことかと調べれば復活祭の前の日曜
(カトリックでは、枝の主日とも言う。その後の一週間を大週間・聖週間・聖週期といい、荘重な典礼が行われる。新教では棕梠シュロの聖日、パーム・サンデーとも)」
「長老の法衣の襞や聖週期(月舟)」
「クロス垂る市場の婆々も聖週期(蛇笏)」

【棕梠シュロの花/夏183】
「梢より放つ光やしゆろの花(蕪村)」
「棕梠シュロの花こぼれて掃くも五六日(虚子)」

【棕梠シュロ剥ぐ/冬197】
「古寺に皮むく棕梠シュロの寒げなり(鬼貫)」
「墓城にて棕梠シュロ剥ぐ音の透きとほる(ひろし)」


 


俳句随想

2016年07月29日 | 俳句

2016/07/29

俳句がうまく作れない。才能があり、ウッと力を入れたら、句らしきものが形をなしてできあがる。排便のようなかんじで俳句ができないか、と考える。そんな簡単なものではないとわかっているが、快便に近い形で俳句ができる、というような人はいるのだろうか。
古いが芭蕉、一茶、蕪村などの名人には詩神(ミューズ)が降りてくることもあったろう。しかし、芭蕉でもだいぶ推敲したり、フィクションを入れたりしたようである。一茶もよく知られている名句は年を取ってからのものが多いらしい。蕪村はもともと絵描きで観察眼に優れていたので言葉への変換作業にすぎなかったかもしれないが、それでも簡単でないことは、明確である。あまり作品にお目にかかることはないが井原西鶴は一晩に二万句もの俳句をものにしたらしい。さあ、あなたはどうする?
まず、いま感じている困難さを大雑把に設定してみる。
(1)描きたい景色が出てこない
(2)季語への理解不足
(3)文法への理解不足
(4)花、虫、鳥等への理解不足
(5)発想の飛躍がなくて月並み
(2),(3),(4)については、やりながら腕を上げていけばいいような問題である。どれくらい時間がかかるのかわからないが2〜3年で解決すべきだろう。結局は、(1),(5)に行き着くのだが、かなり意識的に取組まなくてはいけないだろう。
ふと、考えるのだが、俳句を捻り出すことも大切だが、今はもっと先人の俳句を鑑賞して、景の描き方、発想の飛ばし方をどうやっているかを読み込む必要があるのではないか。いま俳句の解釈をしてきたが、読み込みの方に重点をうつそうとかんがえる。夏井いつきさんが膨大な句を瞬時に分ける、あの技を身に付けないといけない。いま句会に出ていて投句-->選句の作業があるが、確たる確信をもって選句できているか怪しい。短い時間で、客観的な眼で読み込むためのトレーニングをやらなければいけない。


花と七十二候(0729)

2016年07月29日 | 日めくり帖

2016/07/29

「チングルマほおけて風にゆれていき父がめんごい花だと言いき(鳥海明子)」
「高いとこ湿潤地にと群生す黄白の毛氈モウセン敷いたようなり
 (花言葉:可憐)」

「ちんぐるま湿原登路失せやすし(秋桜子)」
「ちんぐるま野鶲ノビタキひとつあそびをり(末子)」
「野鶲と稚児車とも夏の季語季重なりだが許されるかな(稚児車:チングルマと読む)」
「はるかなるかな径雲に入るちんぐるま(楸邨)」
「開催日八月六日港にて花火賑わう風物詩なり(『花火見物の夜』)」
「花火見て一時間後に眠り落つ(誓子)」
「暗く暑く大群衆と花火待つ(三鬼)」
「空に月のこして花火了りけり(万太郎)」