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そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

明日香皇女

2021年07月01日 |  / 万葉集
2021/07/01
「飛ぶ鳥の 明日香の川の
 上つ瀬に 石橋イハバシ渡し
 下つ瀬に 打橋渡す
 石橋に 生オひ靡ける
 玉藻もぞ 絶ゆれば生ハふる
 打橋に 生オひををれる
 川藻もぞ 枯るれば生ハゆる
 なにしかも 我が王オホキミの
 立たせば 玉藻のごと
 臥コやせば 川藻のごとく
 靡かひし 宜ヨロしき君が
 朝宮を 忘れたまふや
 夕宮を 背きたまふや
 うつそみと 思ひし時に
 春へは 花折り挿頭カザし
 秋立てば 黄葉挿頭し
 敷布の 袖たづさはり
 鏡なす 見れども飽かに
 望月モチツキの いやめづらしみ
 思ほしし 君と時々
 出でまして 遊びたまひし
 御食ミケ向ふ 城上の宮を
 常宮と 定めたまひて
 あぢさはふ 目言メコトも絶えぬ
 そこをしも あやに悲しみ
 ぬえ鳥の 片恋しつつ
 朝鳥の 通はす君が
 夏草の 思ひ萎えて
 夕星ユフヅツの か行きかく行き
 大船の たゆたふ見れば
 慰むる 心もあらず
 そこ故に せむすべ知らに
 音のみも 名のみも絶えず
 天地の いや遠長く
 思シヌひ行かむ 御名に懸かせる
 明日香川 万代までに
 はしきやし わが王オホキミの
 形見にここを
[巻第二#196、藤原の宮に天の下知ろしめしし天皇の代(=持統天皇)、明日香皇女の城上キノヘの殯宮の時、柿本朝臣人麿がよめる歌一首、また短歌][万葉集]」

「明日香川
   しがらみ渡し
   塞セかませば
   流るる水も
   のどにかあらまし
[巻第二#197、藤原の宮に天の下知ろしめしし天皇の代(=持統天皇)、短歌二首1/2][]」

「明日香川
   明日さへ見むと
   思へやも 
   我が王の
   御名忘れせぬ
[巻第二#198、藤原の宮に天の下知ろしめしし天皇の代(=持統天皇)、短歌二首2/2][万葉集]」

「勅のあり病気平癒や殯には皆でなさいと命令のあり
 [明日香皇女は、天智天皇皇女。 飛鳥皇女とも。 母は橘娘(父:阿倍内麻呂)。 同母の妹は新田部皇女][万葉集]」
「新田部も明日香も若く亡くなるか文武天皇三年、四年に
 [699年に新田部、700年に明日香。新田部は舎人親王を産んで いる][万葉集]」




万葉集#194-#195 泊瀬部皇女に献れる歌

2021年06月29日 |  / 万葉集
2021/06/29
「飛ぶ鳥の 明日香の川の
 上つ瀬に 生ふる玉藻は
 下つ瀬に 流れ触らふ
 玉藻なす か寄りかく寄り
 靡かひし 夫ツマの命ミコトの
 たたなづく 柔膚ニキハダすらを
 刀ツルギタチ 身に添へ寝ねば
 ぬば玉の 夜床ヨトコも荒るらむ
 そこ故に 慰めかねて
 けだしくも 逢ふやと思ほして
 玉垂タマタレの 越智ヲチの大野の
 朝露に 玉藻はづち
 夕霧に 衣は濡れて
 草枕 旅寝かもする 逢はぬ君故
[巻第二#194、藤原の宮に天の下知ろしめしし天皇の代(=持統天皇)、
 河島皇子の殯宮アラキノミヤの時、柿本朝臣人麿が泊瀬部皇女に献れる歌一首、また短歌][万葉集]」
「敷布シキタヘの
 袖交へし君
 玉垂の
 越智野に過ぎぬ
 またも逢はめやも
[巻第二#195、藤原の宮に天の下知ろしめしし天皇の代(=持統天皇)、反し歌一首][万葉集]」
「河島皇子は天智の二番目の子供であって泊瀬部皇女が妻[][万葉集]」
「泊瀬部皇女なるは天武の子つまりは従兄旦那さんとは
 [泊瀬部皇女(はつせべのひめみこ)は、天武天皇の皇女で、
  母は宍人臣大麻呂の娘、カジ媛娘。 同母弟妹 に忍壁皇子・磯城皇子
  ・託基皇女がいる。 夫は川島皇][万葉集]」
「カジ媛は子を何人もなしたるは天武に寵愛されているかな
 [父の宍人臣大麻呂は東国の豪族であり役人である][万葉集]」



遠藤万葉

2021年06月28日 |  / 万葉集
2021/06/29
「冷蔵庫記録をみれば前世紀前に買いたるものでありたり
 [22年使っていた。埃りがすごかった。][日記]」
「わたしより17才も若い人『万葉集の起源』書きしは[遠藤耕太郎][万葉]」
「万葉の成立時期はほぼ決まり第1、2巻の古撰部のあり
 [1巻(0.5)1-2巻(1.5)、3-16巻(14)、17-20巻(4)][万葉]」
「感動をすると俳句や歌にして思いをパックしたがる我ら[日本人の伝統][万葉]」
「万葉の和歌の時代は実質は630年から760年なり
 [舒明629-641、家持の最後の歌759年の間、つまり130年間][万葉]」
「この期間四つに分けてその抒情分析をする方法をとる
 [1.629-672年舒明から壬申の乱まで初期万葉=和歌的抒情の形成、
  2.672-710壬申の乱から平城遷都=和歌的抒情の深化、
  3.710-733平城遷都から億良の死まで=和歌的抒情の多様化、
  4.平城遷都から家持の最後の歌=和歌的抒情の繊細化][万葉]」
「遠藤の万葉和歌は声による抒情を文字に移し変えたと
 [中国雲南省の少数民族の歌垣→大和][万葉]」
「詳細は本文により展開も紙片足りずに中断をする[][万葉]」
「この本もじっくりあとで読まねばとひと味違う本でありしか[][万葉]」



万葉集#194 泊瀬部皇女に献れる歌

2021年06月21日 |  / 万葉集
2021/06/21
「飛ぶ鳥の 明日香の川の
 上つ瀬に 生ふる玉藻は
 下つ瀬に 流れ触らふ
 玉藻なす か寄りかく寄り
 靡かひし 夫ツマの命ミコトの
 たたなづく 柔膚ニキハダすらを
 剣刀ツルギタチ 身に添へ寝ねば
 ぬば玉の 夜床ヨトコも荒るらむ
 そこ故に 慰めかねて
 けだしくも 逢ふやと思ほして
 玉垂タマタレの 越智ヲチの大野の
 朝露に 玉藻はひづち
 夕霧に 衣は濡れて
 草枕 旅寝かもする 逢はぬ君故
[巻第二#194、藤原の宮に天の下知ろしめしし天皇の代(=持統天皇)、河島皇子の殯宮アラキノミヤの時、柿本朝臣人麿が泊瀬部皇女に献れる歌一首、また短歌][万葉集]」

アドベンチストに行く

2021年06月17日 |  / 万葉集
2021/06/15
「薬切れアドベンチストに行きました検査値悪化間食が因
 [\3,500._+\1,980._][日記]」
「スシローで100円皿を選び食う惨めさが効き涙の出たり[][日記]」
「スシローの流れる皿が高くなるこれにコロナの影響あるか
 [150円皿が増えたり100円のハンターとして惨めになれる][日記]」