そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

宿題

2009年12月31日 | 日めくり帖
12/31
「万葉の語呂合わせする取組みも少し残れる帳尻合わす()」
「とりあえず大晦日ゆえ支払いを済ましてしまう訳はのちほど()」
「時間なく訳残せるは十首ほどまだ三時間あるにはあるが・・・()」
「年明けはこの宿題も解消し表面上は整いたるか()」
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万葉集#5.0904-5.0906

2009年12月31日 |  / 万葉集
12/31

(男子ヲノコ名は古日フルヒを恋ふる歌三首 長一首、短二首)」
「世の人の貴み願ふ七種クサの宝も吾アレは何せむに願ひ欲ホリせむ我が中の
生れ出でたる白玉の我が子古日は明星アカボシの明くる朝アシタは
敷細シキタヘの床の辺去らず立てれども居れども共に掻き撫でて言問ひ
戯タハれ夕星の夕べになればいざ寝よと手を携はり父母もうへはな
離サカり三枝サキクサの中にを寝むと愛ウルハしくしが語らへば
いつしかも人と成り出でて悪しけくも吉けくも見むと大船の思ひ頼むに
思はぬに横様ヨコシマ風のにはかにも覆ひ来たれば為むすべのたどきを知らに
白妙のたすきを掛け真澄鏡手に取り持ちて天つ神仰アフぎ祈コひ祷ノみ
国つ神伏して額づきかからずもかかりもよしゑ天地の神のまにまと立ちあざり
我が祈ひ祷めどしましくも吉けくはなしに漸々ヤウヤウにかたちつくほり
朝な朝サな言ふことやみ玉きはる命絶えぬれ立ち躍り足すり叫び伏し仰ぎ
胸打ち嘆き手に持たる吾が子飛ばしつ世間の道(#5.0904)」
「若ければ道行き知らじ賄マヒはせむ下方シタヘの使負ひて通らせ
(反し歌#5.0905)」
「布施置きて吾アレは祈ひ祷む欺かず直タダに率イ行きて天道知らしめ
(#5.0906山上憶良頓首謹みて上る。)」


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万葉集#5.0897-5.0903 〔老身重病年〕

2009年12月30日 |  / 万葉集
12/30

(老身重病年を経て辛苦クルしみ、また児等を思ふ歌五首 長一首、短四首)」
「玉きはる現ウチの限りは平らけく安くもあらむを事もなく喪なくもあらむを
世間ヨノナカの憂けく辛けくいとのきて痛き瘡キズには辛塩を灌ぐちふごとく
ますますも重き馬荷に表荷ウハニ打つといふことのごと老いにてある
吾アが身の上に病をら加へてしあれば昼はも嘆かひ暮らし夜はも息づき明かし
年長く病みしわたれば月重ね憂へさまよひことことは死ななと思モへど
五月蝿サバヘなす騒く子どもを棄ウツてては死には知らず見つつあれば心は燃えぬ
かにかくに思ひ煩ひ音のみし泣かゆ(#5.0897)」
「慰むる心は無しに雲隠れ鳴きゆく鳥の音のみし泣かゆ(反し歌#5.0898)」
「すべもなく苦しくあれば出で走り去イななと思モへど子等に障サヤりぬ(#5.0899)」
「富人の家の子どもの着る身なみ腐クタし捨つらむ絹綿らはも(#5.0900)」
「荒布アニタヘの布衣をだに着せかてにかくや嘆かむ為むすべを無み(#5.0901)」
「水沫ミナワなす脆き命も栲縄タクナハの千尋にもがと願ひ暮らしつ(#5.0902)」
「しづたまき数にもあらぬ身にはあれど千年にもがと思ほゆるかも(#5.0903)」

(去ル神亀二年ニ作メリ。但類ヲ以テノ故ニ更ニ茲ニ載ス天平五年六月の丙申ヒノエサルの朔ツキタチ三日戊戌ツチマエイヌ作めり。)」
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万葉雑感

2009年12月30日 |  / 万葉集
12/30
「あとすこし憶良で手間取りアップせず年内のうち区切りつけたし
(第五巻を終わらせたい)」
「人麿もいいが憶良も光りたり一通り終え彼を究めん()」
「歌だけでなくて文章残せるがかのときのこといろいろ示す()」
「正月になれば新たな巻に入る気持ち新たに取り組みたきと()」
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万葉集#俗道仮合〔沈痾自哀文のあと〕

2009年12月29日 |  / 万葉集
12/29
「無常観万葉の世もあることを鎌倉だけの特許でなけり
(俗ヨの道の仮に合ひ即ち離れ、去り易く留まり難きを悲歎する詩ウタ一首、
また序)」
「竊ヒソカに以オモヒミるに、釋・慈の示教は〔釋氏慈氏を謂へり〕、
先に三帰〔仏法僧に帰依するを謂へり〕、五戒〔謂ふは、一に不殺生、
二に不偸盗、三に不邪婬、四に不妄語、五に不飲酒をいへり〕を開きて、
遍く法界を化オモムけ、周・孔の垂訓は、
前サキに三綱〔謂ふは、君臣・父子・夫婦をいへり〕、
五教〔謂ふは、父義・母慈・兄友・弟順・子孝をいへり〕を張りて、
斉しく邦国を済スクふ。故カレに知る、引導は二つありと雖も、悟を得たるは
惟コレ一つなりと。
但タダ以オモヒミれば世に恒の質無し、所以カレに陵と谷と更に変る。
人に定まれる期無し、所以カレに寿と夭同じからず。目を撃つの間、
百齢モモヨ已スデに尽き、臂ヒジを申ぶるの頃ホドに、千代チヨも亦空ムナし。
旦アシタには席上の主となり、夕には泉下の客となる。白馬走り来るとも、
黄泉クワウセンは何イカにか及ばむ。隴上ロウジヨウの青き松は、空しく
信釼を懸け、野中の白き楊ヤナギは、但悲風に吹かる。是に知る、世俗本より
隠遁の室無く、原野には唯長夜の台ウテナのみ有り。先聖已に去り、
後賢留まらず。如し贖ひて免るべきこと有らば、古人誰か価アタイの
金コガネ無からむ。未だ独り存ナガラへて遂に世の終を見る者を聞かず、
所以カレに維摩大士は玉体を方丈に疾ヤみ、釋迦能仁は金容コンヨウを双樹に
掩オホへり。
内教に曰く、『黒闇の後に来らむを欲せずは、徳天の先に至るに入ること
莫かれ』と。
〔徳天は生なり。黒闇は死なり。〕故に知る、生必ず死有り、死若し欲ネガは
ざらむは、生まれぬには如かず。况乎マシテ縦ひ始終の恒数を覚るとも、
何にぞ存亡の大期を慮アモヒハカらむ。俗道の変化は目を撃つの如く人事の
経紀は臂を申ノブルの如し。空しく浮雲と大虚を行き、心・力共に尽きて
寄る所無し()」
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