そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

キェルケゴールとモーツァルト

2006年10月31日 | 字余り
10/31
キェルケゴールがモーツァルトのドン・ジョバンニについて書いている。すべての古典的な作品のうちでモーツァルトの『ドン・ジョバンニ』が第一位に値するということを言いたいらしい。これを言うために新書一冊分を費やしている。読んでみたがうまく読めない。どうも哲学者の話の進め方はくどくて馴染めない。さて、キェルケゴールはデンマークの哲学者で実存主義哲学の先駆けとして有名で『不安の概念』等の著作がある。哲学者としてはカント、ヘーゲルが有名だが、キェルケゴールもそれなりに有名だと思う。名前の音感からくる優しさがあり、個人的には親しみを持った。
キェルケゴールはモーツァルトとは半世紀ぐらい活躍の時期が遅れている。ゲーテは同時代人で、旅の途中にかわいい神童を見て、その後ウオッチングをしていただろうことが頷ける。ゲーテは十八世紀はじめ、モーツァルティアンとして広報の役割を十分に果たしたのであろう。一方キェルケゴールはどのくらいモーツァルトを聞いてドン・ジョバンニをものにしたのか。レコードもCDもない時代である。そんなに頻繁にコンサートがあったわけではない。なにか啓示的なものがあったのか、文学的な背景があったのか、よくわからないが、フィガロよりも魔笛よりもドンジョバンニを上に置いている。
さきを急ぐがキェルケゴールはモーツァルトの幸福を感じたらしい。それに気付いた人達を幸福にしてくれるという。キェルケゴールの時代より、モーツァルトの作品を、ほぼどんな作品もすきなときに好きなだけ聞くことができる。この幸せを満喫しない手はない。死ぬことはモーツァルトを聞けなくなることだ、という言葉は当たっているように思う。
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徒然草(#230 碁を見る狐)

2006年10月31日 |  / 徒然草
10/31
「妖怪が五條内裏に出没す藤大納言語り侍りし()」
「殿上人黒戸で囲碁を打ちけるに御簾をかかげて見るものがあり()」
「化けそんじ狐のままで碁をみたり騒がれ慌て惑い逃げけり()」
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徒然草(#231 包丁人)

2006年10月31日 |  / 徒然草
10/31
「藤原基氏別当入道は並ぶものなき包丁人と()」
「ある人が立派な鯉を出したれば皆が期待す別当の技()」
「恰好つけ百日鯉を切りたれば欠かすは惜しい是非切らせてと()」
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徒然草(#228 釈迦念仏)

2006年10月30日 |  / 徒然草
10/30
「千本の釈迦堂におき行える釈迦念仏は如輪上人これを始めり(文永の頃)」
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徒然草(#229 妙観の刀)

2006年10月30日 |  / 徒然草
10/30
「上手なる細工する人少しばか鈍き刀で仕事するなり()」
「勝尾寺の観音様を刻みたる妙観が刀いたく鈍けり
(勝尾寺は西国33ヶ所の札所で摂津箕面にある)」
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