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聖徳太子という名前には親しみを持っている。私の卒業した中学校が聖徳中学校という名前であったり、近くには太子の建立した寺(瓦屋寺)があったりして飛鳥の歴史を身近に感じたものである。だから今も興味が薄れないのか、そうでないのかわからない。最近、蘇我馬子と物部守屋との戦いに太子は14才で参戦しこの戦いに勝たせてくれたら四天王寺を建立して仏法を広めると誓願したとあるが、それは作られた話だと書いた本があった。ひときわ伝説に彩色された聖徳太子だが、この話もその類といえるかもしれない。厩戸まえでの誕生の話とか、一度に十人の話を聞いたとか、摂政時代は遣隨使の派遣、十七条憲法の制定、法隆寺等の寺の建立と華々しい活躍と、晩年の隠遁のような生活・・・とか
馬子と太子、太子と推古、推古と馬子、この三角関係にはいまだ汲み取れていない暗い歴史が潜んでいるに違いない。よくわからないが馬子は太子に一発食らわしたのか、だとするとどんな事件があったのか、推古は太子を、また馬子をどう思っていたのかとか、推古天皇が長期政権になったが、その意味と必要性等、きっと何かあるに違いない。
聖徳太子という名前には親しみを持っている。私の卒業した中学校が聖徳中学校という名前であったり、近くには太子の建立した寺(瓦屋寺)があったりして飛鳥の歴史を身近に感じたものである。だから今も興味が薄れないのか、そうでないのかわからない。最近、蘇我馬子と物部守屋との戦いに太子は14才で参戦しこの戦いに勝たせてくれたら四天王寺を建立して仏法を広めると誓願したとあるが、それは作られた話だと書いた本があった。ひときわ伝説に彩色された聖徳太子だが、この話もその類といえるかもしれない。厩戸まえでの誕生の話とか、一度に十人の話を聞いたとか、摂政時代は遣隨使の派遣、十七条憲法の制定、法隆寺等の寺の建立と華々しい活躍と、晩年の隠遁のような生活・・・とか
馬子と太子、太子と推古、推古と馬子、この三角関係にはいまだ汲み取れていない暗い歴史が潜んでいるに違いない。よくわからないが馬子は太子に一発食らわしたのか、だとするとどんな事件があったのか、推古は太子を、また馬子をどう思っていたのかとか、推古天皇が長期政権になったが、その意味と必要性等、きっと何かあるに違いない。