そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

聖徳太子

2006年09月30日 | 字余り
9/30
聖徳太子という名前には親しみを持っている。私の卒業した中学校が聖徳中学校という名前であったり、近くには太子の建立した寺(瓦屋寺)があったりして飛鳥の歴史を身近に感じたものである。だから今も興味が薄れないのか、そうでないのかわからない。最近、蘇我馬子と物部守屋との戦いに太子は14才で参戦しこの戦いに勝たせてくれたら四天王寺を建立して仏法を広めると誓願したとあるが、それは作られた話だと書いた本があった。ひときわ伝説に彩色された聖徳太子だが、この話もその類といえるかもしれない。厩戸まえでの誕生の話とか、一度に十人の話を聞いたとか、摂政時代は遣隨使の派遣、十七条憲法の制定、法隆寺等の寺の建立と華々しい活躍と、晩年の隠遁のような生活・・・とか
馬子と太子、太子と推古、推古と馬子、この三角関係にはいまだ汲み取れていない暗い歴史が潜んでいるに違いない。よくわからないが馬子は太子に一発食らわしたのか、だとするとどんな事件があったのか、推古は太子を、また馬子をどう思っていたのかとか、推古天皇が長期政権になったが、その意味と必要性等、きっと何かあるに違いない。
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狂歌

2006年09月29日 | 日めくり帖
9/29
「下見れば及ばぬことの多ければ上見て通れ両国の橋(蜀山人・太田南畝)」
「両国で流れを見んと川見れば商人遊ぶ屋形船かな(貧乏人には毒だった)」
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徒然草(#200 竹)

2006年09月29日 |  / 徒然草
9/29
「竹のこと呉竹は葉が細くあり河竹の葉は広きものなり()」
「御所の中、清涼殿には河竹が仁寿殿には呉竹を植え()」
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徒然草(#199 呂律)

2006年09月29日 |  / 徒然草
9/29
「横川なる行宣法師言うことに唐と和との音律のこと()」
「唐の国、呂の音ありて律はなし、わが本朝はそれの逆なり()」
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徒然草(#198 政治要略)

2006年09月29日 |  / 徒然草
9/29
「揚名の介や目サカンの典拠とは『政治要略』載っているなり()」
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