暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

寒くなって、、、風邪が、、、、

2011年11月15日 17時39分26秒 | 日常

2011年 11月 14日(月)

この何日か風邪の入り口を行ったり来たりしていて昨日も自分の射撃クラブが主催した地方の大会で射場監視員として一日中寒い射場にいて往生した。 準備を多少ともしていたものの夏の間に硝煙を換気する装置が強化されていたことを忘れていた。 クラブ員や他の町の参加者達が集うクラブハウスやバーなどは20℃に調整されていたけれど射場は外気のままで特に外気が入ってくるところでは10度ほどだから自然と前に並んだ10人の選手を監視するというより体を温めるために檻の熊のように歩くというような感じだった。 選手はいうまでもなく監視員もアルコールを摂る事は許されないから般若湯代わりに30分ごとに熱い紅茶を啜って凌いだ。 参加者は30分だけそこにいてあとは緊張で火照ったからだをクラブハウスに戻り好きなことが出来るのだからいいもののこちらの方は熊の歩行にも更にへの字の口が加わるというもので、5時前に大会が終わってクラブのバーに戻って流し込んだスコッチの温かみにやっとほっとできた一日だった。 

戻り道のカーラジオで聞いた天気予報が夜中には零下になると言っていたので家に戻るなり裏庭の水道に通じる居間の下にある栓を閉じてそこから蛇口までの水を抜いて凍っても管が破裂しないようにした。 これから2月の終わり、3月までこの水道管は使えないもののその時期には水を撒くことはないからどうということもない。 冬支度が始まっている。

それが昨晩で今晩、夕食後ぐずぐずしていると家人にどうしてジムに行かないのと言われたので、ごにょごにょと風邪が、、、と言い澱んでいると今時そういう時期だから皆そうなのよ、汗かいたらよくなるから、とケツを押された。 自転車で5分ほどのところにあるジムに走る夜の9時前は明らかに3,4度まで下がっているといて、それは草木の光りかたや空気の層がそれを証明している。 この分では明日からは手袋がいるぞ、ということを知らされた。

ジムに行くと爺さんグループ12,3人が既に集まっており、このジムのオーナーでありトレーナである男が踝のことを聞いてきた。 先週からの様子を伝えると、あんた、もとに戻るまでこれから3ヶ月かかるね、と言われたのにはショックだった。 2週間ほどすると20kmほど歩く予定してるんだけど、と尋ねると、ああ、それには問題ないだろうね、軽い痛みは残るもののいい靴履いてできるだけ痛みをかばうようにすればいいけど、でも、ある程度の痛みを甘受しないと直らないよ、と言われた。

60分のうち初めの10分はウオーミングアップ、中の40分は様々な器具を使ったトレーニング、あとの10分は横になって寝そべるエンディングというようなフォーミュラで、中の本格的なトレーニングに入ると自分で加減しろよ、と言われたけれど短いダッシュをして向こうの壁から後ろ向きでゆっくり帰ってくるセグメントをやったときには全力ダッシュでは加減しなければ痛みが出るようだったからソロソロと走った。  その後でベルトコンベヤーの上を走るときには速度を上げていき中程度のジョギング速度では痛みが出なかったから少しはよくなっていることが認められた。

初めの10分でマットに寝そべって足、腹の筋肉に負荷をかけているときに隣の男が、今度友達が結婚50年、金婚のディナーをするというので招かれたんだけどな、あいつよく50年持ったな、うちは二人目だから30年ぐらいしか行ってないけどあいつの辛抱には負けるな、それであいつの子供や孫達は魚が嫌いだからディナーは魚料理のレストランでやるらしい、よく嫁がOKしたもんだ、といってこっちに話しかける。 で、よばれたあんたは魚好きなのかいと訊いてると、そこの二人、足に故障はあっても口は達者だな、とトレーナーに注意された。

この50の半ばに届くかというトレーナーはこの日は初めからサルサやラテンをずっと流していたのだが終わりにはいつもゆるいジャズを流す。 先週はなんの特徴もないピアノ・ジャズのスタンダードだったので一体だれが弾いているのかジムが終わったあと訊くとキース・ジャレットだというから驚いた。 驚いたというと、だろ、といってにやりとした。 こんなゆるゆるな演奏はジェレットじゃないからな、70年代は今何処という感じだというところで意見が一致した。 今週も女性ヴォーカルのスタンダードで締めたからその女性ヴォーカルはともかくオーケストラの編曲が妙な具合でクラース・オガーマン調だから誰の編曲か聞いたのだけど、CDをコピーして持ってきたからちょっとわからないんだけどこのヴォーカルはローラ・フィジィだよ、というから、じゃ、ハーモニカはトゥーツ・シールマンでメトロポール・オーケストラだというと、そういうこと、けど編曲は今度みてくるわ、といってオーナーは事務所に自分はロッカールームへと急いだのだった。

帰り道はまだジムのほてりが残っていたので家に戻っても寒気はせず熱いシャワーを浴びてビールで水分を摂りそのまま寝床にもぐりこめば直るのだろうがそのあとまだまだ夜は長く、少しよくなるとその分だけ不摂生の虫が蠢きだす性格はかわらない。

ブッシュ   (2008);観た映画、Nov. '11

2011年11月14日 20時39分17秒 | 見る


ブッシュ   (2008)

原題;  W.

130分

監督:  オリヴァー・ストーン
脚本:  スタンリー・ワイザー
撮影:  フェドン・パパマイケル

出演:
ジョシュ・ブローリン    ジョージ・W・ブッシュ(大統領)
エリザベス・バンクス    ローラ・ブッシュ
ジェームズ・クロムウェル  ジョージ・H・W・ブッシュ
エレン・バースティン    バーバラ・ブッシュ
リチャード・ドレイファス   ディック・チェイニー(副大統領)
スコット・グレン      ドナルド・ラムズフェルド(国防長官)
ヨアン・グリフィズ     トニー・ブレア(イギリス首相)
タンディ・ニュートン     コンドリーザ・ライス(大統領補佐官)
ジェフリー・ライト      コリン・パウエル(国務長官)
トビー・ジョーンズ     カール・ローブ(次席補佐官)
ステイシー・キーチ     アール・ハッド師
ブルース・マッギル     ジョージ・テネット(CIA長官)
デニス・ボウトシカリス    ポール・ウォルフォウィッツ(国防副長官)
コリン・ハンクス       デヴィッド・フラム(大統領補佐官)
マイケル・ガストン
ジェイソン・リッター
ノア・ワイリー
ロブ・コードリー
テレサ・チャン

「JFK」「ニクソン」のオリヴァー・ストーン監督が第43代アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュの半生とその人物像に迫る伝記ドラマ。名門一家の出ながら酒やパーティーに明け暮れるばかりの放蕩息子として過ごしてきた“W”が、いかにして大統領にまで上りつめたのかを、パパ・ブッシュとの確執を軸にシニカルな中にもユーモアを盛り込みつつ描き出す。主演は「ノーカントリー」「ミルク」のジョシュ・ブローリン。

多くの政治家を輩出してきたアメリカの名門ブッシュ家。“W”(ダブヤ)ことジョージ・W・ブッシュも、後に第41代大統領となるジョージ・H・W・ブッシュの長男として重い期待を背負っていた。しかし、偉大な父親の影に早々に押しつぶされていく。父と同じ名門エール大学には入ったものの、在学中も卒業後も厄介事ばかりを引き起こし、いつしか家名を汚す不肖の息子となり果て、父の期待は弟ジェブにばかり向けられるようになる。それでも、1977年にようやく“家業”の政治家を目指す決意を固めたW。同年、生涯の伴侶となる図書館司書のローラとの出会いも果たす。その後、88年の大統領選を目指す父の選挙戦を手伝うことになったWはその勝利に貢献するが、父の背中はますます遠ざかり、自分の存在はますます小さくなっていくと落胆する。そんなひがみ根性が募る中、Wは“お前が大統領になるのだ”と神の啓示を聞いてしまい…。

以上が映画データベースの記述だ。

奇妙な映画だった。 この間ケネディー家のことを描いたテレビ映画を完結ではないけれどいくつか観たところだった。 それについて次のように記した。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/62092336.html

現オバマ大統領の幼少時映画は既に製作されたということを大分前に見聞きしたことがあり、どのようなものか興味はあるけれどあまり期待していない。 こどもの時のインドネシア現地の映画だそうだから現在とは距離をもったもので伝記映画とはいえないだろう。 オバマが大統領になるまでのドキュメンタリーはあるものの、劇映画となると現在在任中であり、初めての有色大統領、フセインの名前を持ち、様々な政治色がからんでいることからよっぽどのことでない限りそれを作るとなるとかなりの決断と覚悟がいり、完成しても全方向から放火を浴びるか無視されるかに終わるだけだろう。 だから任期も終わりひとまずほとぼりが冷めてからということになるのだろう。 クリントン大統領のものがあるかどうかは知らない。 あれば一般母子家庭から知事になり、大統領になったあとにはあのスキャンダルがあってという筋は定番だがヒラリーの扱いで難癖がつくのではないか。  それにセックスシーンは面白いかもしれないけれど娯楽作品としては退屈になりそうだ。 ニクソンは伝記というより自身は登場しないもののワシントンポスト紙のジャーナリストをヒーローとしたウオーターゲートもので早くから映画にはなっており日本ではどうということのないものがモラルが高いとされるアメリカでは政治がらみの悪、汚いイメージがすでに定着している。 エリザベス女王のダイアナの死を巡る数日間の映画でトニー・ブレアを演じた俳優がニクソンと対話した話でインタビュワーのデビッド・フロストを演じたものがあるがそれはニクソン失脚後の一面でニクソンの伝記ではない。 本作の監督が作った権謀術策一杯のニクソン伝記があるそうだが未見である。 

そうすると娯楽映画になる大統領の華はやはりケネディーということになる。 それに比べて本作はどうなのか、本作の意図はどこにあるのだろうか、ということを忖度してもどこにもW.を顕彰するというような意向は見出せないように見受けられる。 もしそれをするのであれば皮肉、3流週刊誌の暴露記事で綴る伝記の映画化か、とも思うもののそこは「プラトーン」、「JFK」、「ニクソン」等の監督であるから事実の検証をクリヤーしていることは確かであり、それに加えてかなり灰汁の強いものに仕上げたとみるのがここでは妥当だろう。 例えば世の不正、偽善、謀略を暴くことを方法にする作家がいるとすればその一人がこの人であるといえるかもしれない。 けれど、である。 大統領に関係したシリーズを今まで制作してきた本人だとして、今までの緊張感が本作のなかでは失速しているように見受けられるのはそれも明らかな意図としてつくられたものなのだからなのだろうか。 その理由を想像すると、大統領という現実の人物を動かす大元が政治ではないとみているのではないかと想像出来る。 つまり人物に迫る、ということか。 少なくとも大統領シリーズ前作までは世界と個人に関するサスペンスがあったけれどここでは完全にそれが欠落しているようにみえる。 話として緩んだ伝記とは何か、それもアメリカ大統領の伝記なのだからただ事ではない。 

それにしても父親コンプレックスが主題だとは興ざめで情けない、それが事実だとしても。 それが作家のw観であり、またそれがために自分も生きた世界がそんなつまらない男に支配されたという怒りが映画作家にはあるのではないか。 ただ、賢くはないけれど馬鹿ではない、というようなところは学生時代の新入生しごき場面で示唆されているようだ。 何か特に当時は記憶力に聡いとして描かれている。 けれどアルコールと淫行がどれだけ脳の破壊に貢献したのかは示唆はあっても検証はない。 彼方此方のサミットなどではそつがないように見受けられたファースト・レディーには当時から少し興味があった。 メデイアで見る限りは夫より賢そうに見えた。 けれど本作では普通の良妻賢母としてだけしか描かれていないのには単調の思いが否めないものの、ケネディー家の人々でのジャッキーに比べると単調なのは当然だ。 人間として主人よりローラの方が賢明なイメージがあったことだけで本当のことも知らずに半可通でそう思っただけで、本作ではテキサンの妻をちゃんと勤めたように描かれているし、夫をいたわる月並みなロマンチックな台詞もでてこちらを照れくさくさせるようなところもあり興ざめもした。

湾岸戦争当時の思い出が強いものにとって、また、メディアで戦争が同時中継として目の前で起こるのを経験したものにとってW政権下の閣僚達を本作で映画として見るのに思わず頬が綻んだ。 メディアや時々のインタビューでしか知らなかったそれぞれの人物が本作の中で動くのをみて悪役チェイニー、いいこちゃんコンドリーザ、真面目なコリン・パウエル将軍外務大臣、陰険老獪ラムズフェルドなどある種、80-90年代に楽しんだパペットショーでイギリスの政治世評皮肉諧謔番組「The Spitting Image」を見ているような気にもなる。

在任当時からWのスピーチをメディアで聞くことがあり様々なコメントを聞いていたものの本作で話されるWの米語には驚いた。 字幕なしで英米のものを観る習慣がついてもうかなりになり、犯罪ものギャングもの、さまざまな映画で話される言葉には慣れているつもりだった。 大抵映画に現れる英米語にはあまり驚かないのだがここでのWの話す米語というかテキサス語には余りのバイアスがかけられているのではないか、というような思いがしてならなかった。 それは話されている言葉が他の映画で他の人物が話せば別段どうということはないのだがWが話す、いう一点が驚かせるのだ。 それに対して仕事の場で「大統領」と言って仕えた周りのものの正直なW観を聴きたいものだ。 それは決して明らかにされないのは明らかではあるのだが、大統領だから当然だ、というのか、大統領だから仕方がない、というのかどうなのだろうか。 本作はストーンのW観を想像するのには最適の映画に違いない。 ストーンのこの手のシリーズにイタリア元首相のベルルスコーニを主役にした伝記が加えられることを期待する。 財政破綻の国をメディア支配と資金の灰色で染め、人間的な貪欲でローマ皇帝を自負しつつ統治し欲に溺れた挙句の果てにEUのリーダーから見放された姿と成り果てるストーリーはWにくらべて可愛げも色気もあって娯楽の種となるように思う。 アメリカ人の俺には他国の事情には興味がない、とアメリカ人の作家はいうのだろうか。

海外のことばかり述べるが日本の政治家の伝記となると批判的な作品に仕立てあげることができる映画作家はいるのか、その上にはたしてそのような政治家が昭和の後半、平成にいるのか、ということになると両方にたいしてため息が洩れるような気がして、そうなると日本人には政治は関係ないのだ、祭りごとなのだ、という冷めたシニカルな意見も聞かれるような気もしないではないがそのシニカルさを比べるのも一興ではある。

文学界 2011年 4月号

2011年11月13日 17時02分26秒 | 読む

長らく放っておいた雑誌を他のかっちりとした本の間にオヤツ代わりに目を通してちょっとは気分を休めようとガサツに積んであったものから取り出して読んだのが「文学界 2011年 4月号」だ。 半年遅れで読むのだからこれはその遅れ方も日本を離れて住んでいる自分には相応だ。

盛夏に帰省していたときに取り寄せていたものを船便で送りこちらにほぼ2ヶ月かかって着いた箱の中の一冊だったのだろう。 帰省中テレビもインターネットもないゴミ屋敷で買い物の間に書店で目に入ったものを幾つか買っていたのだがどういう訳か内田樹の著作が何冊かあってそれを買って寝床で読んでいたのだが、そして本屋にはそのとき新刊で「最終講義」が並んでいたのだが、まあいいか、と買わないでおいたものがここに入っていたので読むこととなり、内田のものをこの10年ほど彼方此方で少しづつ読んでいたことを繋ぎ合わせればこれは微笑ましい講義だった。

風邪を引きそうな宙ぶらりんのままこれ以上酷くならないように鼻の奥がツーンとなってクシャミと涙が出そうになるのを騙し騙し寝床の温かみの中で読むのに本号は適している。

読んだのは

1) 全文掲載  最終講義          内田樹           192P
2) 対談  イソノミアと民主主義の現在    柄谷行人・山口二郎      208p
3) ドフトエススキーの予言  第23回    佐藤優            242P
4) 創作  ジュージュー          よしもとばなな          10p


1,2,3は今までにそれらの人たちの著作にはある程度親しんで読んでいるから別段驚きはないものの、こんな風邪引き親父を驚かせたのは「よしもとばなな」だった。 オランダに越してくる1980年にオランダに越しても取り寄せで読もうと思っていた作家が3人いる。 大西巨人、中上健次、古井由吉の三人だ。 それから30年経つ。 

よしもとばなな、とここに書かれているけれど当時は「吉本ばなな」ではなかったか。 80年代中ごろから親しんでいた福武書店の文芸誌「海燕」の美しい装丁に包まれてデビューしそこで読んだように記憶している。 そこで「キッチン」や「うたかた・サンクチュアリ」を読んだ記憶はあるがそれ以後のものは題は覚えているが読んだ記憶はない。 なんせ自分も若い四半世紀も前のことであるし彼女の舞台は自分の興味の外でもあるので単に当時の「短小軽薄」時代の産物だと思っており、その後イタリアで日本の小説としては爆発的に読まていると聞いたのは90年代の中ごろではなかったか。 それが日本から海外に輸出できる小説だというので苦笑しつつそんなものかと思ったのだが今は当時から徐々に読まれている村上春樹がノーベル文学賞をとるかどうかが日本のマスコミで喧伝されるようでまさかそんな時が来るとは思いもよらなかった。 それが実現すればノーベル文学賞もきつい皮肉・冗談が出来るほど成長したものだと少しは苦笑とともに見直されるかもしれない。 

村上とよしもとは違うかもしれない。 例えにそれは男と女の違い、と言ってみる。 「ノルウエーの森」の巻頭、主人公の駄目さ加減と本作での主人公、みっちゃんと呼ばれる美津子の姿に体現されるようだ。 初めの数作以後は読まなかったものの誰かの要約で当時、吉本ばななのものは欠落家族がよりそい、そこに秘儀のような不条理ななにかが作用する、というように言われて、そのようなものか、と思った記憶があるのだが、本作にもそのような兆しはあったものの当時の印象からは大きく違っている。 不条理とか不思議なものの温度差のようなものだろうか。 それから四半世紀も移りここに来て大分暖かくなっているように感じるし、それが女の熟成とでもいうのだろうか。 男は熟成すると往々にして妙に屈折する。 ベクトルは違うようだが本作と山田詠美の「ぽんちゃん」シリーズには似たような温度があるように感じる。 「妊娠小説」で男に目を開かせた斎藤美奈子なら本作をどう評価するのだろうか。 若い女性は村上とよしもとの両方を懐にかかえ甘い幻想は村上から、現実的な夢をよしもとからたくましく消費するとでも書くのだろうか。

それにしても本作を巻頭にもってくる文学界にも何か思うところがあるのだろう。 本号連載の藤沢周、鹿島茂、島田雅彦のものはもうこの2年ほどか一挙に半年分づつを読む程度で前のものはもう忘れているからそのうちまた何号かを纏めて読まねばならないと思うものの不精がそれを妨げている。 長らく読んでいない花村萬月も本号には連作のものが載っており、「王国記」の連載があったのはもう何年前だ、そういえばあれも完結したのかどうか、どちらにしても終わりまでは読んでいないなあ、と頭の上を茫と眺めるほどなのだが自分の読書生活もそのように腰が抜けたようになっている。

千年の祈り  (2007);観た映画、 Nov. '11

2011年11月12日 17時32分58秒 | 見る

千年の祈り (2007)

原題; A THOUSAND YEARS OF GOOD PRAYERS

83分

製作国 アメリカ/日本

監督:  ウェイン・ワン
製作:  木藤幸江 、リッチ・コーワン
製作総指揮: 小谷靖、 孫泰蔵
原作:  イーユン・リー 『千年の祈り』(新潮社刊)
脚本:  イーユン・リー
撮影:  パトリック・リンデンマイヤー

出演:
ヘンリー・オー    シー氏
フェイ・ユー      イーラン
ヴィダ・ガレマニ   マダム
パシャ・リチニコフ   ボリス

北京生まれのイーユン・リーが渡米して英語で書き、デビュー作にして数々の賞に輝き世界的ベストセラーとなった話題の短編集を「ジョイ・ラック・クラブ」「スモーク」のウェイン・ワン監督が映画化した感動ドラマ。アメリカで自由と孤独な一人暮らしをする娘と、北京からはるばるやって来た伝統を重んじる父、互いに相容れない価値観を持ち不器用なコミュニケーションに終始する一組の中国人親子の家族ゆえに生まれるわだかまりと、それでも失われない深い絆をしみじみとしたタッチで描き出す。

妻に先立たれ、北京で引退生活を送るシー氏は、アメリカに暮らす娘イーランのことを心配して、はるばる海を渡り彼女のもとへとやって来る。離婚して一人暮らしをしているイーランの生活は、シー氏の目には予想以上に荒んで見えた。娘の幸せを願い、何かと口を出すシー氏に対し、イーランは苛立ちを募らせますます心を閉ざしてしまう。一方、公園で出会ったイラン人マダムとはカタコトの英語で交わす会話を楽しみ、互いの境遇を重ねて心を通わせていくシー氏だったが…。

以上が映画データベースの記述である。

テレビガイドに今日の一作として推薦されていたものをベルギーの局にチャンネルを合わせて観た。 ストーリーは静かで淡々とした展開であり、私事、北ヨーロッパの町に住んでいれば世界中に散らばる中国人の様々な世代交代を身近にも見、それが他の国から来た移民たちとの比較において確かに違う中国人社会を自分の知る日本人社会と照らし合わせてみることもあり、海外の日本人社会の伸び悩みがすすむ現在、そもそも圧倒的に量が違うことが確かな中そんなことは無駄なことのようにも思えてくる。 例えば他国で暮らす外国人若しくは元外国人の居住形態で絶対的に違うのは中国料理屋が西欧世界のどんな辺境の地に行っても存在する、ということだ。 ピザ屋、ドナーケバブがあるではないか、といってもそれは近年のこと、この100年を越すあいだに欧米に大量にくまなく住み着いたという点では唯一のアジア人である中国人にはとてもかなわない。 田舎の村にはいつもピザがあるとは限らない。 私事、ノルウエーのバカンスで周りに森林しかないところを旅していて外食の機会がなく、一番近くで80kmほどだというので車を飛ばしたところにただ一軒ポツンとあったのが中華料理屋だった、という経験もある。 オランダのどんな辺鄙な村にいってもあるものは教会と中華料理屋だというジョークのような話があるし、西部劇では鉄道施設の人夫、洗濯屋、召使として欠かせないし、腰に拳銃をさした荒くれたちが集まるバーでジョン・ウェインが他の連中と丸いテーブルを囲んで遊んでいるのはマージャンだったりするほどだ。 

家族、一族の結束は強く、中国人はイタリア人にも例えられもするがイタリア人はアジアの辺境には大挙して移民などしない。 同じ欧米文化圏に移動しているだけだ。 この10年ほどなにかと中国が話題になる。 中国は国内には膨大なさまざまな問題を抱えながらも経済大国になりつつあり、現在のヨーロッパ財政危機に関係しても首脳たちは将来に向けての投資としての中国からの財政援助を明らかに期待している節がある。 それはヨーロッパ首脳から「倒れるなら次はお前の番だ」、といわれている女狂いのベルルスコーニを首相として頂くイタリアとは性格を異にしている。 そんな、国が沈没するかどうかのイタリア人と上げ潮中国の国民の生活と意見というのはどんなものだろうか。 それぞれ、国などは関係ない、自分の家族が喰っていかれるかどうかだ、というに違いないし、家族の結束、ということでは例えばマフィア映画に出てくるようなところではそこには必ず家族がからみ義理がからむけれど中国マフィア映画でみられる家族愛はどうなのだろうか。 団の構造が違うのかもしれない。 どちらにしても非情では変わりないだろうが中国映画のほうが非情であるような気がする。 充分な検討もなく無責任な話ではあるが、それは中国人のほうが金、つまりビジネスになると厳しいような気がするしそれが中国という国の状態の反映だからだ。

オランダでは何年か前に中国マフィアの抗争があり幾つかの死体があがり警察はそれには全く見当もつかずそのあげくにメディアで情報を募ったのだがその後何も発表もなく、どう解決が付いたのかもわからない。 警察国家になるのではと知識人から警告のでることもあるオランダででも自国内の中国人社会の情報を警察は掴めないということだ。 オランダのメディアをこの何年もにぎわしているドラッグ・マフィアの頭領であるオランダ人の裁判で明らかにされつつある構造をみても悪たちのつながりには親族、家族というような横の広がりはみられず個人が何人かあつまっただけのものと思われ、その構造自体は典型的な個人主義社会のモデルのようにみえ、だからそういう社会の警察というのはアジア的社会をなかなか理解できないというのもわからないでもない。 当然、中国系の警察官も多いのだろうがそこでは容姿はアジア人でも現地の教育、訓練を経た現地のオランダ人であり、現地国に完全に同化しているということだ。 本作でいえば大学図書館で働く娘はアメリカ人になろうとしている中国系アメリカ人である。 それに自分の後にしてきた国についての背景にしても肯定的なものが少ないように写り、それが同化の勢いに悲壮さをも見せるようでもある。 人種の坩堝アメリカではもとからのアメリカ人は日本でのアイヌと同様、アメリカ原住民、インデイアンしかないのだから他は全てこの400年ほどの移民であり今もアメリカに絶えず流入する移民とそれに関わる文化摩擦に関してはこういった作品がヒットするという地盤は充分ある。  

こんなことを思い浮かべたのは本作のゆるいテンポと本作があまりにも日常の普通の話でドラマがないとも見える展開だからで、だからいかにも大上段に国や国民性を出してみるような気にさせられたのだ。 上で文化摩擦と言ったのは大仰かもしれない。 それに加えて世代摩擦ともいえるだろうけれどそれを言うとあまりにも普通すぎて話しにならない、というか、それは何時の時代にもどこにでもあるドラマの展開だ。 けれど一方では、あまり普通過ぎると書いたけれど、それは周りからの音を少なくして台詞も少なく、娘と父の間に息の詰まるような空間を何回も提示しているところでは映画という媒体の特徴を最大限生かした場面であり、そこに普通さが通奏低音として流れているというところでドラマとして光るのだ。

イラン人の老婦人と中国人父親の交流がいい。 どちらの言葉が分かるのでもない我々観客が時には字幕つき、他には字幕なしでその対話を見るというのは実際のまどろっこしいコミュニケーションを知ることにはならないからそれはあまりにも便宜的なような気もしないでもなく、それが果たしてオリジナルバージョンの趣旨に沿っているのかを疑うけれどこれでストーリーの交通整理をしていることは理解できるだろう。 長年ヨーロッパに住んでいてほとんど言葉の通じない人々と話すことがあるときに感じる不自由さをこの二人の老人は互いに親しいと認め合っているがゆえに話し相手が理解できない互いの自国語で話して分かったことにする、分からなくてもそれで相手を理解していると思い込める歳なのかそれは二人の人生経験のなせる業なのか、そのように意思の疎通を行う。 そこで語られることは相手に伝わらないのにも関わらず語らずにはいられない溢れ出る異言語の呟きであったり訴えであったりする。 そのようにこの二人を設定し話させるシーンは本作の救いでありこれを見るものには忘れられないものとなるだろう。

秋の日の、、、、

2011年11月12日 04時02分08秒 | 日常

穏やかな日が続いているというのに風邪を曳きそうだ。

4週間ほど前に右の踝を捻挫して酷い目にあった。 やっと歩けるようになってから徐々に治っているものの痛みは残り今でも微かに痛みがあるものの日常の生活には支障がなくなった。 痛みを感じるのは階段の上がり下がりで、とくに屋根裏部屋から勢いよく階下まで一気に駆け降りるときがいちばん危うい。 だからまだそれは控えて普通にゆっくり降りるのだがそれでも時々微かに痛みの芽が残っているのを感知する。 

けれどまあ普通に戻ったのだからと休んでいた月曜夜のフィットネスクラブのグループトレーニングには家人にケツを押されやっとこさ出かけたのだがトレーナーに足をよく使うものはまだ出来ないだろうからと一人だけ別に筋肉トレーニングの献立をしてもらいそれに従った。 4週間で人の筋肉は退化するものだ。 特に還暦を過ぎているとその現れ方がはっきりしてこの翌日はまだ体に緊張が残っているのか痛みもなくどうということはないものの2日経って筋肉痛が彼方此方に出る。 踝の方にも痛みが出たのだがそれも漸次普通の動きに戻るための訓練でもあるのだからそれくらいの痛みは甘受しなければならないとして日常生活でも普通にもどり、スーパーに車で出かけジャガイモの袋、ビールの箱やジュースのパッケージ、猫のトイレの砂など重い買い物で総計20kg弱のものを運ぶようなこともするようにもなった。

穏やかな日が続いていると言ったが、天気予報によるとこれも徐々に例年の気温に戻るらしい。 日中の気温が6,7度、夜間の気温が氷点のあたりまで降りてくるらしい。 その兆しがある。 放っておけば室内の気温が17度ほどに下がり膝の辺りが冷えて何か服と肌の間に隙間が出来、冷たい空気が暖かさを求めて進入するようでゾクゾクとする気分になる。 そうなるとそれはもう風邪を曳っぱり込むような体制に入るようで些かこころもとない。 だから夜中にまだ2時にもならないのにもう寝床にもぐりこんでこれより酷くならないように対策をとったのだがそれが効果があるかどうか。

それに4週間前捻挫したときに医者に見てもらいに行った際、60歳以上はインフルエンザのワクチン注射は無料でこの際、打っときましょうか、と言ってプチュッと一針腕に射されたのだけれど果たしてこれが効果があるのか疑う。 普通の風邪とインフルエンザは違うといわれてもこちらには風邪は風邪なのだから効いてもらわないと、という気がするのだが科学的には領域が違うと言われそうだ。 政府にしても医療費を削減するのに現在のワクチンの効果について疑いを持っていそうで、こないだなどはこのワクチン注射が効くのか効かないのか一般人にアンケートをとって素人が、効くか効かないか確証がない、風邪を引くことがある、というような曖昧な答えをカメラの前で言うのを効かないならやめてしまおうというような世論にもって行こうかというような官僚の動向も含め、聊か乱暴な論で押しつぶそうというような気配も見えるようなニュースの論調だった。

ギリシャではまだこれから老人、年金生活者が困窮すると言われ、女狂いのベルルスコーニがやっと辞めるといってもそれはもう手遅れだと今日のニュースは伝え、ECに蔓延する慢性インフルエンザは当分のあいだ治まりそうにない。 フランスまでくしゃみをしているそうで、こうなると健康な部分を風邪から隔離せよ、あらたに通貨ユーロ2を健康な国だけで流通させて、、、、というようなことを考えている連中がいるらしいけれどこの風邪を治すくすりはあるのだろうか。 馬鹿につける薬はない、といわれるけれど自分の住んでいる地域には賢いのは沢山いるはずなのに。 もっとも、船頭多くして船山に登る、というようなことも言われ、鼻をグズグズいわせながらこれから寒くなる冬に向けて冬篭りの体勢を寝床の中でとりながら馬鹿馬鹿しい小説で時間をつぶすのが年金生活者の態度であり、ごそごそ起き出して玉子酒という手もあるのだがそれも面倒で、今は足元で寝ている老猫に風邪を移せば痛いの痛いの飛んでいけ、というようなことにもなるのではと邪悪なことを考えもするけど彼女はそんな世迷言を考えるほど可哀想な馬鹿がここに居るといわんばかりに気楽に鼾をかきながら夢の中で庭の鳥を追いかけている。

君を想って海をゆく (2009);観た映画、 Oct  '11

2011年11月10日 16時40分28秒 | 日常

邦題; 君を想って海をゆく (2009)
原題; WELCOME

上映時間 110分
製作国  フランス

監督:   フィリップ・リオレ
製作:   クリストフ・ロシニョン
脚本:   フィリップ・リオレ、 エマニュエル・クールコル、 オリヴィエ・アダム
撮影:   ローラン・ダイヤン

出演:
ヴァンサン・ランドン   シモン
フィラ・エヴェルディ   ビラル
オドレイ・ダナ     マリオン
デリヤ・エヴェルディ   ミナ
ティエリ・ゴダール   ブリュノ
セリム・アクグル    ゾラン
オリヴィエ・ラブルダン  警察代理官

「パリ空港の人々」「灯台守の恋」のフィリップ・リオレ監督が、次第に不寛容へと傾きつつある移民政策を真正面から取り上げ、本国フランスで大ヒットしたヒューマン・ドラマ。イギリスに移住した恋人に会うため、最後の手段としてドーバー海峡を泳いで渡る決意をしたクルド難民の少年と、ひょんなことから彼の泳ぎを指導することになったフランス人中年男性が、次第に心を通わせ、絆を深めていく姿を真摯な眼差しで綴る。主演は「すべて彼女のために」のヴァンサン・ランドンと新人フィラ・エヴェルディ。

2008年12月、フランス北端の街カレ。イラクの国籍を持つ17歳のクルド難民ビラルは、家族と共にロンドンに移住した恋人を追って、イラクから4000キロの距離を歩いてやって来た。しかし、ドーバー海峡を越えるべく密航を試みるも失敗に終わり、カレに足止めとなってしまう。もはやビラルに残された手段は、海峡を泳いで渡る以外にはなかった。そして、市民プールで子どもや老人相手に指導をしているフランス人シモンにコーチを懇願する。最愛の妻と離婚調停中のシモンは、難民支援のボランティアをする妻に認めてもらえるのではとの思いから、コーチを引き受けることにするのだが…。

上記が映画データベースの記述である。

今から5年前に同じ問題を扱った、マイケル・ウィンターボトム監督の In This World (2002)を観て次のように記している。 
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/28590816.html

当時の舞台が2000年、本作が2008年と設定され、その間の事情はヨーロッパのいよいよ慢性する不況とそれにともなう移民政策の強化に伴って南から北を目指す違法経済難民たちにとっては悪化していると認められる中での物語りである。 丁度2,3日か前にクルド人独立を目指す党PKKの犯行と認められるトルコ軍に対するテロで10名を越す兵士が命を落としそれに抗議してオランダ・ハーグ市でクルド撲滅を叫ぶ在蘭トルコ人極右グループからトルコナショナリストたちの集会の模様が報道されたその夜の本作でもあったのだが国を持たないクルド人がどのような運命を辿っているかはここでは問題ではない。 アフリカ、中東、アジアの各地からよりよい生活を目指して命を賭しての移動である。 ウインターボトムの作では今と比べるとまだ単純な冒険の果てに成功の可能性を残していたものが本作では開始早々それがいかに甘い過去のものかを少年や我々に思い知らせることとなり、雪崩を打って輸送トラックにもぐりこみ英仏間のトンネルを渡ろうとする密航者を捕らえるべくより科学的効率的なCO2探知で当局が対抗するその裏をかく自殺行為すれすれのビニールバッグかぶりにこれまで8年の差を垣間見るようであり、当時はこのような行動そのものがその日の食事を提供するボランティアと密入国者だけのものだったのが今ではそれらに対して同情的な市民までもこれに関わると幇助罪というおどしで難民達と市民を隔離しようとする政策の実際が示され当時からより深刻化した移民政策の程度をも示している。

そして嘗ての移民の息子を今大統領に掲げ人権保護を世界に誇ってきたフランスの二枚舌の象徴ともみられるのが本作中、水泳コーチのアパートの向かいの住人の玄関にしかれたシートの文字 Welcome であり、その部屋の住人の態度に経済不況の中で失業、年金の減額、警察国家に向かうような国で怯える市民の姿をみるようであり、これが本作の眼目であって、ここでの少年の愛の物語はいわば刺身のつまでさえある。 だから大陸が地続きであり歩いて何カ国も渡って来てここからは泳いで恋人に会いに行くという少年の愛の物語をロマンチックな題に翻訳する国には祖国を棄て、逃れ、離れていく者やそれを扱いかねるそれぞれの受け入れ国の人々の屈託は大陸や半島からの移民が多いことが歴史の事実であるとしてもそれを見てみぬふりともみられかねぬメディアのそぶりとシンクロしていると見られてもそれには異存はないだろう。 いずれにしても他所の国の問題なのだ。 それを如実に示すのが本作中テレビの画面に一瞬写るサルコジ大統領のスピーチであるといえるだろう。

それにしてもこういう世界でも、というかこういうぎりぎりの世界だからこそかコミュニケーションとしての言語に英語が使われるのが特徴的だ。 これから50年経つと英語が中国語に取って代わられるという人があるがこういう問題で中国語が共通語になるには中国はこれから幾つものハードルを越さねばならないだろうと思われる。 今のところ経済弱者が雪崩をうって中国におしよせるという話は逆はあってもそういうことは聞いていない。 英語に話をもどすと当然、舞台ではドーバーを越えイギリスを目指す人々の集団であるから英語が話せなければ未来はない、ということもあるだろうが作中でも妻が英語教師という設定になっているものの実際には仕事を離れては殆んど聞くことはなく、逆に水泳コーチが危なっかしい訥々の英語で少年と意思の疎通を図るというところにも工夫がなされているようだ。 私事、30年以上前、パリ北駅の案内所でまともに英語が話せる者がいないことを経験して驚いたものが、その後10年づつ経つにしたがってパリの夜中に路頭で警官と英語でよもやま話が出来るようになったこと、その後田舎の大きなスーパーには必ずちゃんとした英語が話せるものがいるようになった近年、世界言語としての英語がフランス語防御というか自国語を守る世界的な牙城にもなっているといわれていたフランスに徐々に浸透したことに、いささか自国語保護に耐性疲労が見え、まだ少しはパックスアメリカーナが続くことが感じられる現在、新天地を目指すものは英語圏の国を目指すということもわかるような気がするのだが、住んでみればイギリスが必ずしも夢見たような住みやすい国とはいえないことも分かるのだろうが命を懸けた二者択一の場ではそれを知る由もないということだろう。 

何週間か前に80の半ばでイギリスからフランスまで泳ぎきった女性の話をテレビで観たのだが、この女性は30半ばぐらいで海峡横断を試み失敗していて今回再チャレンジでの成功だったのだがここでは年齢はほぼ関係がないだろう。 それについては様々に研究や経験のデータがあるのだから予め周到な準備もし、泳ぐこと自体がある意味では生涯の夢であり泳ぎきることに様々な保険をかけ伴走するコーチや食料の補給もあるのだから同じ泳ぐといってもここでの話とは次元が違う。 本作を見たものにはこの水泳コーチの同情心もわからないでもないとしてもそれを薦めるにあたっては無謀のそしりを受けても仕方がないだろう。 ま、しかしそれもストーリーのことである。 イギリスからフランスに泳ぐ話では大分前に観たイギリス映画もあったような気がする。 そこでは中年男が横断を試み泳ぎきることの意味が問われる話となっていたのではないか。 渋い俳優、Pete Postlethwaite が泳いだのではないかと思ったのだが他の俳優のものだったのかもしれずいずれにしてもそこでも複数のサポーターとともに周到の準備、助けのもとに行われていたのだった。

町の世代交代

2011年11月09日 19時01分08秒 | 日常


土曜の午後、予定も約束もなく、昼に起きてクロワッサンとオランダのオリボレをビールで流し込んで、さて、今日は何をするかと考えると、じゃそれでは晩飯にはカレーを作ろうかと思いつき、それには準備がいるからと近所の肉屋で500gほどの牛の塊を買ってきてそれをさばきながら猫に脂分と筋をやり、赤味をぶつ切りにしたものをバターとオリーブオイルで炒め玉葱の刻んだものをどっさり放り込みその脂分で炒めてしんなりさせた後、安物の赤ワインを壜の半分ほどドボドボと注いで庭からまだ枯れていない香草を鍋に放り込んでかき回していたら頭の上の蛍光灯が切れた。

はて、この前換えたのはいつだったのかと思い出そうとしても思い出せないからもう20年はここにあるとしてもチューブを新品に取り替えた記憶がない。 あれれと思うまもなく頭の上で2,3度チカチカと点滅したかと思えばチューブの片一方に黒い影をつくってパチンと消えた、というか切れて果てた。 仕方がないから梯子を持ってきて23W 220Vと記されている60cmほどの棒を外したらそこに細かい蝿や何かしらの昆虫がどっさり何年かの脂とともに付いていた。 ついでにグローランプを外したのだがそれを捻じって外すのにも脂と多少の昆虫を掴まねばならないのだったのだけどそれは切れたチューブをDIYのスーパーまでもって行って実際に比べるのだから洗剤で汚れとベタベタを兎に角少しでも洗い流さねばならないだろう、どうせ捨てるものなのにこんなことをするのかとも思いながらとにかくブラシでエッチラオッチラ擦った。 

すっきり晴れてはいないものの悪くはない天気の下、自転車の袋から生白い管をだしてぶらぶらと出かけ、ここ何ヶ月か通ったことのない町外れの駅の近くで、そのとなりにDIYの店があるところまで行って驚いた。 この3,4年ずっと工事中だった現場が完成していてそこに職業高校が入る多目的ビルがほぼ完成していた。 2ヶ月ほど前までには何度もその無人駅を利用したことがあるからそれまでビルの裏手の進みようは見ていたのだが表の様子は今が初めてだ。 去年の秋か一昨年の冬には夜中にここをジョギングしていてなんとも巨大なコンクリートの扁平な塔が4本立っていたものが、それが今は徐々に繋がれ横に広がり、一箇所はその塔の間の空間がそのままにされていて全体から見ると積み木細工のようなものが出来ていた。 大分向こうの比較的普通のビルに見える部分には学校が入るのだろうがこちらはオフィスビルになるものとも見え、官庁も入ることも聞いていて手前の下部には車のショールームになるのではないか思われるように車が幾つか置かれているのが見えた。 

ここは400年以上前スペイン軍がこの町を攻め落とすために駐留していたところなのだが当時から100年ほど前までは牧草地がノッペリと広がっていたところなのだが、今に至ってこのようなものがにょっきり生えたというわけだ。 この20年ほどしかこの町に住んでいないけれどそれでもこのあたりの変化は目覚しく、町外れにこういうものが建つようになると思うとここでもまたどこの大都市でも起こっていることが起こり始めたという諦めにも似た思いがするけれど、一方、これを設計した人たちの気分のよさということも分からなくもない。 

ただ、これがこれから20年、30年と経つとどのように見えるか、というのが興味のいくところだ。 自分が働いてきた官庁の建物は80年代の当時流行のスタイルのビルだったのだが今ではこれを歓迎する人がすくないこと、妙な表現だがその美観を批判するものが多いことと比べると建築の流行り廃りの激しさを思うと共に長い目でみてまたこれも使い捨てになるのだろう、とも思うのだ。 DIYスーパーの駐車場に自転車を停めて新しい蛍光灯のチューブとグローランプを買って家に戻ったらたった1時間ぐらいでは肉は柔らかくはなっていなかった。

町内コンサート

2011年11月08日 16時19分11秒 | 日常

久しぶりに日曜午後の町内コンサートに夫婦そろって出かけた。 

二ヶ月ほど前に町内の情報誌に例年のコンサートがあるというので申し込んでおいたものだ。 これは町内の有志の家の居間を借りて町内の誰かと縁がある音楽家たちを呼び、それぞれ15席を限度としてそこでファミリーコンサートを行うものだ。 午後1時から2時間毎に町内のミニコンサートの各会場を最高3箇所歩いたり自転車で廻ったりできるイベントである。 普通は音楽コンサートの場合、クラシックでは演目によりでこぼこはあるものの前半、後半それぞれ45分、半時間の休憩を挟んで二つ行い、そのあと興が乗ったりアンコールに応じれば更に10分か15分伸びる、というものだから45分から1時間が一回となり、そこで演じる人たちはそこで一回やって1時間休憩の三回公演ということになる。 15人ほどの同じ町内の客たちは演奏の後、演者を加えて飲み物の供応を受け互いに四方山話をし漸次次の会場にそれぞれバラバラに向かう、という具合になる。 その家に居て演じる方は演目はそれぞれの演者次第だから同じものを杓子定規に3回演じるということでもないだろうが得意の演目で聴衆を印象付けるには当然十八番を中心に演奏するのは当然のことだ。 町内会には参加、不参加は自由であり、情報誌ではこの75年間でついに会員が1000人になったことから推察するとこの町内、というか地区というかは、10人に一人町内会に参加しているとしてこの地区には非常に大雑把にみて一万人が住んでいることになる。 人口10万人の市だから大雑把に見てそういう勘定も許されるかもしれない。 7,8軒のうちを会場にしたコンサートで各3回公演、キャパが15だから 15人x8箇所x3回=360人 となり360人ほどが参加したことになる。 会員の3分の一ぐらいだ。

我々がこの町内会に入ったのは子供たちがまだよちよち歩きの頃、17,8年前だろうか、近所の緑地に子供たちが安全に遊べる場所を確保する予算を市に要求する署名を集めたときだった。 その遊園地が完成した後は施設の補修などは別として自主管理ということになっている。 そこに集う親達、世話役との連携でその後受身ではありながら我々も市会議員選挙のディベートや市のバイパス道路建設計画に批判的な目を向ける委員会で地元の声を市制に反映させるという催し、さらには子供中心の「女王の日」のパーティー参加など様々な活動に参加している。 今回のコンサートもその一環である。 今回二つのコンサートに参加して、会場をアドレスを頼りに訪れると日頃その家の前を行き来しながらそこに住む住民も知らずその内側に入ったこともない近所であったりする。 コンサートは興味深いものだがその参加者に会うのもまた興味深い。 日頃通りで顔を見ることはあっても名前もその背景も知らない話したこともない人々が茶菓子、一杯のアルコールを交えて歓談できるというのは同じ町内、地区に住んでいるという空間を共有するものたちの集まりということもあるし、聴く音楽を選んでここに来た、という趣味を通じての話でも繋がる、ということなど会員相互の親睦という点でも効果的だ。 それに驚きは還暦近い、またそれをはるかに過ぎた人が過半数であるところで同年輩のなかには子供たちの幼稚園、小学校がらみで今はもう昔、といってもいい頃につながりがあったもののその後会うことのない人たちに会い、その後の子供たちの成長の具合を互いに報告しあい、あの子が今は、、、、という感慨に浸れるということもある。 今回もそういうことがあった。 当時の母親の面影はかすかにあったのだが父親の方は全く覚えがなく、互いにそんなものでその変わりようを笑いあったものだ。

今回期待していたのは、この何年か土曜のマーケットで時々聴いていて感心していたアコーデオン奏者と思われる人の演奏だった。 当然名前もその経歴も知る由もなく、バカンスの時期は別として気候のいいとき、クリスマスの寒い時期に何回か路上で聴き感動したものだ。 このミニ・コンサートに応募したときにはその人であるという確信がなかったのだが東欧風の名前とアコーディオンでバロック音楽を演奏するということが書かれていただけでそう思ったのだった。 

会場で渡された簡単なプログラムには

Evgeny Suvorkin エフゲニー・スヴォルキン とでも読むのだろうか、ロシアのNizhny Novgorod のコンセルバトワールを2002年に優秀な成績で卒業、しかしその2年前から様々なアンサンブルで演奏活動を初め、2002年にはオランダのクラシックの大イベントであるホランド・フェスティバルで演奏、そのアンサンブルは2003年にBBCラジオで放送される。 2003年にはコンセルトへボーの舞台に立つ。 その後ベルギーやドイツなどの様々な芸術イベントで演奏、ロシアのディプロマがヨーロッパで教職につくには認められないからと現在ベルギー、ゲントの音大で教職を履修中などということも書かれている。 なるほど戦火を逃れてボスニアから逃れてきた、子供の友人の母親もボスニアで大学の正規の研究員であったディプロマがここでは認められなく憤りの余り保母をして子供を育てていたということもあるから、いくら彼以上に秀でた能力を持つ者がいないとしてもすぐに音大で職に就けるという保証はないのだ。 それをまだ若いこのアコーディオン弾きと笑いあったものだけれどクリスマスの粉雪が舞う街角で指先だけを出した手袋でバッハやロシアの民謡風のものを弾いていた姿には路上芸術家というよりそこで修行を行ってその姿を人に晒しているという風に見えたのだったし、少々特異なそのアコーディオンにも惹かれ見ていた。 今回演奏の後、一度街角で聴いたロシア風のメランコリーな曲を聴きたかったといえば、そんなのあったかなと言って照れた。 そういう感情をこういう場の演奏には出したくない、ということだったのかもしれない。 自分はロシアで修行して以来ずっとこのアコーディオンに付き合っていくのだという楽器はロシアの20世紀初頭に既存のものから独自に発展したもので Bayan というのだと聞いた。

ちなみにウィキペディアの「バヤン」の記載には次のようにあった。

ロシア式アコーディオンのバヤンは、本来全く独自の鍵盤配列を持った民族楽器の一つで1907年にピョートル・ステリゴフによって開発された。後に、イタリア式クロマティック・アコーディオンを参照して、西洋伝統音楽に耐える構造に徹底的に作り変えられた。バヤンは右手のボタン配列が通常のアコーディオンと若干異なる。音の違いはほとんどないが、微妙なレヴェルでは違うと見られる。Bayanakko社は右手のボタンを5列から6列に増強し、どのキーでも同音連打が完全に可能なモデルを生み出した。大変な重さの為に右の8フィートのリードは二種だが、三種のも存在し重さは16kgを越え音栓数は31に及ぶ。これだけの重さに耐えなおかつ余裕で使いこなすロシア人の体力がよく解る楽器の歴史でもある。現在も、発祥時のモデルと改良されたモデル、どちらも生産されている。

英語版 Wikipedia Bayan の項;
http://en.wikipedia.org/wiki/Bayan_(accordion)

この日の演目は次の通り

1. J.S.バッハ   イタリア組曲 第一、二、三楽章
2. J.S.バッハ   トッカータとフーガ C
3. ヴィヴァルディ   四季 より 冬  第一楽章
4. F.シューベルト  歌曲
5. チャイコフスキー  スケルツォ ア ラ ルソ No.1
6. シューマン    グラス イリアナ 第一楽章
7. J.Sバッハ    トッカータとフーガ D
8. ピアゾラ     リベルタンゴ

トッカータとフーガの C や「四季」は既に街頭で聴いていたにしても室内で聞く迫力は屋外で拡散し周りを通過する人ごみの中、立って聴くのとは自ずと違い、演じる方もここでは一層演奏に力がはいるのだろう。 街頭で自分の訓練のために技を披露し最低指運をあやまたない、というパワートレーニング的なものとは明らかに性格の違う演奏だった。 チャイコフスキーのスケルツォ第一番はチャ氏17歳の作らしくそれをバヤン譜に移し変えて試みたものだという。 それは初めて聴いたのだが後半部に若さとロシア的なものが出ているように感じた。 バッハのパイプオルガンで奏されるものにはさすがその低音部には教会のパイプオルガンの迫力には叶わないものの中高音部の響きはまことに素晴らしい。 だから初めにイタリア組曲を持ってきてそのピアノの響きと比べて違いを楽しんでくれという意図があるのだろうか、その後段々重いものに移るということだろう。 それにシューベルト、シューマンの小品で軽味を出し、また得意のバッハに戻り最後にタンゴのピアゾラで締めるというプログラムだった。 リベルタンゴというのはピアゾラのものだとはこのとき初めて知った。 それは特異な風貌と性格のファッションモデルであり歌手のグレース・ジョーンズが80年代初めに歌っていたものだからで、その歌声は今でも折に触れラジオにはかかる曲だ。

右左のボタンの動きに見とれていてピアノの鍵盤との違いを思い、ひょっとしてこういうコンサートで人気のあるドビュッシーやラベル、サティーなどの19世紀フランスのものなどは指運に無理が行くことがあるのでは、と後で聴いてみたのだがそれは単に慣れだと言われたのだがどうだろうか、モダンなミニマリズムのものならやった事があると言っていた。 次にそういうものを聴いてみたいと希望を言ったのだが本人には音楽的に興味がないのかもしれない。 このシャイな青年とはまた土曜のマーケットで会おうと挨拶をしてそこを出た。

昔、我々も大きな犬を飼っていて慣れていたはずなのだがその整った居間の空間の隅の大きな籠におとなしくずっと横たわっていた大きな老犬の発する強い匂いには少々閉口しつつ、それぞれのうちにはそういう匂いがあるものだと家人と今更ながら言い合うのだが、ここと同様往々にして老人が一人で住むうちにはそのようなことがあって、もう10年以上前に亡くなった隣の老婆のうちにも何匹も飼っている猫の匂いが充満していたことも思い出したのだった。

アタメ (1989);観た映画、Nov. '11

2011年11月07日 17時17分40秒 | 見る

アタメ  (1989)

原題; ATAME!

102分

製作国 スペイン

ジャンル コメディ

惹句; 超変態的純愛物語……?映像の天才P・アルモドバル式スーパーH型ラブストーリー!

監督:    ペドロ・アルモドバル
脚本:    ペドロ・アルモドバル
撮影:    ホセ・ルイス・アルカイネ
編集:    ホセ・サルセド
音楽:    エンニオ・モリコーネ

出演:
ビクトリア・アブリル
アントニオ・バンデラス
ロレス・レオン
フランシスコ・ラバル
フリエタ・セラーノ

食事と休息を得るために、精神病院に入退院をくりかえす風がわりな男リッキー(バンデラス)。彼は結婚して、まともな生活に戻ることを決意する。彼が相手に選んだのは、ポルノ女優のマリーナ(アブリル)だった……。スペインの鬼才アルモドバルが、求愛を告げる男とそれに応じていく女の奇っ怪な心の移り変わりを描いた異色作。“アタメ”とはビデオ副題の意であり、ベッドに縛りつけられたマリーナがリッキーに向かって発する愛の言葉となる。

上記が映画データベースの記載である。 スコットランドの退屈なテレビ刑事ものシリーズの後、そのまま深夜映画としてベルギーの国営放送にかかったものを観た。 別段なにもテレビガイドには説明もなく初めの10分が面白くなければ切って屋根裏部屋に戻りネットで遊ぼうと思っていたらタイトルバックの色がけばけばしくそこに音楽としてエンリコ・モリコーネのクレジットがあったので面白いと思いソファーに沈んだのだが初めのテンポの速さと日頃聞きなれていないスペイン語をまくし立てるのをフラマン語の字幕で読むのはなかなか骨の折れることだったけれど若々しいアントニオ・バンデラスのやることといささかトウのたったポルノ女優が電動の車椅子で動き回る映画監督の下、B級映画の主役としてスタジオなどを絡ませ様々な事情を要領よく繋げて少々露骨とも思えるジョークを挿入するるところに興味が湧いて結局見続けてしまった。 家人は監督のアシスタントがまくし立てるどうでもいいお喋りのスペイン語がフラマン語の字幕となって出てくるのを読むのが嫌になってテレビの前から離れてしまった。 ここにもどうでもいい饒舌が意図して使われる南ヨーロッパ的なユーモアが見え、これに耐えられるかどうかが暇つぶしに耐えられるかどうかの一つの踏み絵にもなるのではないかと忖度する。

笑ったところが色々あるけれど先ず、この元ポルノ女優の仕事の後の自宅の風呂場のショットが笑わせる。 自分もあの玩具の潜水夫だったらいいのになあ、という笑いでもあり、この女優のことは一切知らないのだけれど上手くB級女優を演じたものだと後半になって思い直した。 本作に登場する車椅子監督のことを奇妙に思ったのだがデータベースの記述に接して、結局、アルモドバル監督の自虐的自己をない交ぜにした像なのだと知ってネット情報がいくつかの疑問を解くのに貢献するという時代の利点を実感した。 それにしてもバンデラスがその若さで特出していることを後の活躍に比して感じた。 彼の数年後のハリウッドもので知ることになるのだが、本作でいうとフランスの50年代、60年代の若いはぐれ者を題材にしたものを軽いスペイン製コメディーにしたらこうなった、というのだろうし、彼方此方でスリルもありバンデロスは当然としてもアブリルの少々年齢疲労をみせる演技がバンデロスの若さに対照されて本作ストーリーでの二人の落ち着く行く末が見えるようだ。 

1989年というのも今となってはもうかなり昔と言えるだろう。 ここに見える箱型のカセットウォークマンが当時のヒップなガジェットだったのだ。 北ヨーロッパに住んでいてあまり南のことは分からないのだが映画産業に関係しているという設定からなのだろうか、フィルムの色彩、住居の内装、それに人の話し方など各ショットで時代と場所に関してエキゾチックに見えるようでそれらが話を引き締める機能を意図せず果たしているようで興味深かった。

この種の映画で不可欠な要素はお色気、といってしまえばお色気という言葉はAV時代の今では通用しないアナクロニズムの骨頂なのだが、ここでのセックスシーンは秀でたものだ。 これには主役二人が9時間以上も撮影に格闘して挙句にラストテイクが採用され、その結果、名監督エリア・カザンをして、今までに観た映画で最も優れたセックスシーンだと言わせたらしいから映画を目指すものはよくよく本作を研究すべし、ということになるだろう。 その勉強振り、執着は作中の車椅子監督の研究ぶり、元ポルノ女優に電話で話しかける独白の陳腐さにも対応していて、こういうところがペドロ・アルモドバルが鬼才ともいわれる所以かもしれないと思った次第だ。

雨後の筍という言葉はあるけれど、、、、

2011年11月06日 17時30分30秒 | 日常

今年のオランダの10月は例年に比べて気温は3,4度高く、日照時間に関してはは10%以上だから降水量も平均よりもかなり低いという風に月末の天気予報で伝えられていた。 今に至ってもそれが続いているのか11月にしては暖かい日が続いている。 それでも小雨や霧雨が降ると湿気が感じられるけれど通常の今頃惨めに感じるようなそんな冷たい湿り気ではないから一日に何回か降ったり止んだりする雨に行き会ってもまあ濡れてもいいか、という気にもなる。

そんな中、彼方此方歩いていると歩道の縁などに沢山茸が生えているのが見える。 形や色だけ見ると毒がないようにも見えるけれど茸は見かけだけでは頼りにならないから採って喰おうなり手に触ろうという気持ちもおこら、ずただ眺めているだけなのだけれど、そういえばこの茸は去年の10月3日のこの町の祭りのときにも芝生の間に沢山生えているのを見て写真にも撮っている。 しかし、同じものが生えるには同じような条件がいるとして、そうならば今は去年の1ヶ月前と同じ条件ということなのだろうか。 天気予報では大体2,3週間寒くなるのが遅くなっているといっていたけれど茸に関しては一ヶ月ずれているのではないか。

そんなことを思いながら歩いていて夕食には茸のソテーのようなものを喰いたいというような気もしてきて、どのような料理にしたらいいのか考えつつ頭の中の買い物リストに各種茸の盛り合わせを加えたのだった。