暇つぶし日記

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アウェイ・フロム・ハー 君を想う (2006);観た映画、Nov ’11

2011年11月23日 23時45分38秒 | 見る

アウェイ・フロム・ハー 君を想う(2006)

原題; AWAY FROM HER

110分

製作国  カナダ

監督:  サラ・ポーリー
製作:  ジェニファー・ワイス、 シモーン・アードル、 ダニエル・アイロン
製作総指揮: アトム・エゴヤン  
原作:   アリス・マンロー  『クマが山を越えてきた』(新潮社刊『イラクサ』所収)
脚本:  サラ・ポーリー
撮影:  リュック・モンテペリエ

音楽:  ジョナサン・ゴールドスミス

出演:
ジュリー・クリスティ   フィオーナ・アンダーソン
ゴードン・ピンセント   グラント・アンダーソン
オリンピア・デュカキス  マリアン
マイケル・マーフィ    オーブリー
クリステン・トムソン   クリスティ
ウェンディ・クルーソン  モンペリエ
アルバータ・ワトソン   フィーッシャー医師

「死ぬまでにしたい10のこと」「あなたになら言える秘密のこと」の実力派女優サラ・ポーリーが、弱冠27歳にして記念すべき長編映画監督デビューを飾った感動ヒューマン・ドラマ。原作はアリス・マンローの短編『クマが山を越えてきた』。認知症という悲劇に直面した老夫婦の心の葛藤と深い愛を静かに見つめる。認知症の妻を演じたジュリー・クリスティには多くの賞賛が寄せられ、ゴールデングローブ賞主演女優賞をはじめ数々の映画賞を受賞した。共演は「リトル・ランナー」「シッピング・ニュース」のゴードン・ピンセント。

結婚して44年になるグラントとフィオーナ。決して良き夫とは言えない過去もあるグラントだったが、いまはフィオーナを深く愛し、夫婦仲良く穏やかな日々を送っていた。ところがやがて、フィオーナをアルツハイマー型認知症の悲劇が襲う。物忘れが激しくなったフィオーナは、ついに自ら老人介護施設への入所を決断する。施設の規則で入所後30日間、面会を許されなかったグラント。そしてようやく訪れた面会の時、フィオーナはグラントを覚えていないばかりか、彼の前で車椅子の男性オーブリーに対し親しげな振る舞いを見せるのだった。その後も日増しに深まっていく2人の仲を目の当たりにして動揺を隠せないグラントだったが…。

上記が映画データベースの記載だ。

本作はもう何年か前に後半部だけ観たことがある。 テレビでカナダやオーストラリア、ニュージーランドの地味な作品がかかると出来るだけ観る様にしているのだがこれもそのうちの一つだ。 

昨年から今年にかけてそれまで長年独りで住んでいた自分の母親を介護付き住宅に落ち着かせたことが、後半半分とはいいながら二度目に観るのと初めて観たときとの印象を大きく変えている。 古くは「老人ボケ」といい、今は「認知症」というそうだがその内容は言葉を変えても変わらない。 本人には今まで晴れていた世界に雲がかかり、その雲に邪魔されて徐々に晴れ間が少なくなり、そのうち何処に何時晴れ間が出るのか、たとえ出てもそれがどれだけ続くのかなどのその保証もなくなり、そのうち全て灰色の世界に蔽われて、、、、、、となるらしい。 それを少しは自分の肉親の中に見ているから本作で初めから手早くまとめられた導入部に納得もし、映画であるから自分の経験からするとやはりテンポが早すぎるような気もしないでもないけれどそれは時間の限度内での映画言語では必要充分条件をみたしたものと看做さなければならないだろう。

湖畔に落ち着いて余生を送る老夫婦はいづれにせよ他人から見れば微笑ましくも静かな生活に見えるけれど人には若いときからの歴史があって、その序盤、中期にはさまざまな出来事があるのが普通で、その末の余生なのだ。 その生涯の荒波が収まり、納まらなくてもそれを収めようとし、穏やかなものに軟着陸しようとするときにこの「認知症」がくる。

時代的にみて世間で注目を浴びる病気には変遷がある。 明治から戦前、戦後すぐまでは「結核」がそれで、世界の文学にも貢献し、それが経済成長期から現在に至ると「癌」であり、今そこに高齢化社会に入るにつれて話され、アイテムになっているのが「認知症」なのだ。 「結核」は青年の、「癌」は成年の、「認知症」は早期に発症するものがあるものの概ね「老年」の病気と言われるから世界を動かす若者、成年、熟年にはまだそこまで距離があるものだろう。 それは年金事情と同様に、暗雲が垂れ込めそうだがまだ少し時間がある、と言ったぐあいだろう。 本作でも若い女性はただ一人だけ、ホームに住む老人を訪れた孫か誰かだけだしあとは若いといっても中年以降、それもホームで働く人たちだけだ。 それが老人達の周りの世界なのだ。 この夫婦にしても子供たちの気配もなく、一組の友人夫婦が登場するだけであり、フォーカスは夫婦の間に「認知症」が入り込み、座り込み、それに対してどう対処するかということの経過を綴ったものであるのだけれど関係性を二人とホームに搾ったことで他の疎ましさが捨象できている分少々ロマンチックに写るきらいがあるように思う。 

問題は明らかなのだからここでロマンチックというのは、同じ問題を抱えた世界中の幾多の人々が存在し、まだ増え続けること、世界中でどのようにそのような人々とその周囲の人々が闘っているかを現実的にみるとまだ本作の話は楽だという人がかなりいるのではないか。  そこには我々の世界をいつも煩わせる金、家族友人知人との人間関係、介護施設などに関してかなりの神経とエネルギーを消耗させている者にはここでは余りにもスムースに事が運んでいるように見える、という声も聞こえるかもしれない。 だからそれをスマートに、また俯瞰的に見せる話としては良く出来ている、という感想もでるものだ。 

これに関して思い出したことがある。 精神病院で看護婦として働いていた母親をまだ大学生だった自分が連れ出してジャック・ニコルソンの「カッコーの巣の上で (1975)」を大阪難波の南街シネマの封切り時に観たことがある。 多分それが二人で観た映画の最後だっただろうが彼女の感想は、なんとも贅沢な、だった。 それはそこでの病院の隔離された病棟から自由を求める患者の営為のストーリーを評してのものでなく、70年代中ごろの日本の精神病棟とアメリカの病棟を比べてその施設の違いに驚いた、ということだった。 なるほど、自分も一度か二度覗いた母親の職場とはまるでちがったものだったからその感慨の一端が理解できたというところだ。 精神病棟と認知症の受け入れ施設は違う、といっても当時にはまだ「老人ボケ、痴呆症」がかなり進んでいた人たちもかなりその病棟に「隔離」されていたことは確かだ。

昨年末から帰省先で母親の落ち着き先を見つけるのに幾つもそういう施設を訪れてその違いと状況に驚いた。 認知症が進んだ人たちを収容するところを幾つも廻ったけれどそれらは認知症のとば口に立っている母親には見せられないようなところが多かった。 とてもそこにはいれられないと悩んだものがが幸いなことに自立を基にした普通の老人達も住める介護つき住宅を見つけることが出来、本人もそこを終の棲家とすることに納得したようだった。 しかし彼女は私に自分がもと精神病院の看護婦だったということを誰にも言わないように口止めしたのだった。 一週間に二回ほどデイケアの施設で遊び、マイクロバスでショッピングモールにも出かけ、一日三食栄養士が計画した年寄り向けの食事を上階の食堂に出かけて摂り好きな本や新聞を読み、テレビで時間を過ごし、今のところは介護付きで近所を散歩することも出来て自由時間がたくさんあって満足だと言っているが、これから徐々に体力が落ち認知症が進むとその行き先は皆他の人たちが辿る道となる。 

いくらこれから医学が進むとはいえ還暦を過ぎたものには劇的な対処法はすぐには見つからないと見た方がいいだろう。 あと15年か20年経てば自分も同じような道を辿るようになるかもしれないと覚悟しなければいけないのだが、実際それがどのような形になるのかはまだまったく見当もつかない。