暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

久しぶりに映画館で映画をみた

2011年11月22日 16時25分40秒 | 日常

2011年 11月 20日 (日)


地元の映画館で面白そうなものがかかるから一緒に見に行かないかと息子から電話で誘われ、それじゃお母さんやお前の妹も誘ったらどうか、というと母さんはカーアクションや拳銃バンバンの血なまぐさいのはいやだから止めとこう、妹ならいいかもしれない、と題名も誰が出るのかも知らないままに家人と二人だけの夕食後、霧の夜に町の名画館の前に放映前の8時半に来て見たらもう息子がそこにいて、開くのにはまだ15分あるというのでそこのポスターを幾つか眺めながら時間をつぶしていたら2,3人の客が来て自転車をそれぞれあちらこちらに停めてうろうろ寒空のしたでドアが開くのを待っていた。 

映画館で観るのは本当に久しぶりだ。 この前映画館に来たのはこの場所で、あれは吉田喜重,岡田茉莉子夫妻がアムステルダム映画祭に滞在中に一晩ここで放映の前に挨拶のスピーチを聞いた「戒厳令 (1973)」の時で、去年の二月だったからあれからもう大方二年近く映画館に来ていないことになる。 あのときにしても観客は20人程度だったと記憶している。 初めて3mほど前で見る大監督大女優夫婦の様子はいかにも寂れたこの映画館に相応しいように思った。 それほど映画的だったのだ。

いろいろな経営形態に興味を持っている息子が一体こんな映画館を経営するのにどれぐらいかかるのだろうか、一本配給を受けるのにどれぐらい要るのだろうか、というようなことを話しているとガラスドアの向こうにブリキの現金出納箱をもってきた若い大男が見えて、よく見るとそれは知り合いの日本語も分かる青年だった。 ガラスの戸を開けると皆がぞろぞろ入ってきて青年はいちいち数を記録し10ユーロ紙幣を受け取って25セントのつり銭をブリキ箱から出す作業をする。 後があるので子供たちの分も払っていい席を求めて中に入り、真ん中に三つ並んだ席の一つにコートを背もたれにかけてからビールや飲み物を買いにバーと書かれている方に行くと閉まっている。 じゃ途中の休憩のときまで待たなければいけないのかとちゃちな机に出納箱を置いて座っている青年に聞くと、もう一人のバーのアルバイトがまだ来てないからバーはまだちょっと開けられないね、ま、自分もすぐに映写室に上がって準備があるからね、日曜の夜、18人か、そんなもんだろうね、ちょっと映写室のぞく? というからついて行った。 そうすると下から駆け込んできた客が呼ぶのでその男はレジのところに降りていった。 

今の映写機というのは全てデジタルでフィルムなどどこにも見られず3Dのスイッチも見えそれをラップトップコンピューターでで操作するらしい。 昔ながらのフィルムというのはもうノスタルジーの世界になりつつあるようだ。 昨日テレビでみた「ゾディアック ((2006)」の後半部に出てきた古いフィルムの積み上げられた地下室のイメージが残っていたからそれに対照してここにあるコンピュータにつながれてレンズが付いた四角い箱の中では世代の変わったデジタル・フィルムが処理されている。 下の座席に座り、息子の疑問に上で聞いた答えを伝えた。 配給には色々あるけれどここでは入場料の80%を配給元に納めるだけらしい。 だからこの回でここに残るのは35ユーロ、4000円弱だ。 一人は休んでいるものの今日のアルバイトはどれぐらいになるのか知らないけれどこれでは営業にはならないだろう。 だから映画同好会の財団組織にして各種の文化助成金がなければやっていけないのは当然だ。 第一、安い人件費を加えて建物の家賃、諸々の維持費は馬鹿にならない、といった具合だ。 流行の映画館に比べて名画座の寂れ具合はとみに著しいのはDVDやネットのサイトでダウンロードが簡単であることなどに加えて今の慢性不況だ。 息子にしてもよっぽど映画に入れあげて損得勘定などに目をつぶってやらなければ経営などやっていられないということが分かっただろうし、彼にしてもそれほど映画に入揚げているようには見えないから多分自分の起業の対象にはなっていないだろう。 それに最近は人が入るようなブロックバスターにはあまり興味をもってはおらず一昔のクラシックやマイナーな方に興味を持っていれば映画館経営は自分の将来の可能性の中から除かれているに違いない。 このような人が入らなくなっている傾向はジャズの世界でも同様だ。