暇つぶし日記

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文学界 2011年 4月号

2011年11月13日 17時02分26秒 | 読む

長らく放っておいた雑誌を他のかっちりとした本の間にオヤツ代わりに目を通してちょっとは気分を休めようとガサツに積んであったものから取り出して読んだのが「文学界 2011年 4月号」だ。 半年遅れで読むのだからこれはその遅れ方も日本を離れて住んでいる自分には相応だ。

盛夏に帰省していたときに取り寄せていたものを船便で送りこちらにほぼ2ヶ月かかって着いた箱の中の一冊だったのだろう。 帰省中テレビもインターネットもないゴミ屋敷で買い物の間に書店で目に入ったものを幾つか買っていたのだがどういう訳か内田樹の著作が何冊かあってそれを買って寝床で読んでいたのだが、そして本屋にはそのとき新刊で「最終講義」が並んでいたのだが、まあいいか、と買わないでおいたものがここに入っていたので読むこととなり、内田のものをこの10年ほど彼方此方で少しづつ読んでいたことを繋ぎ合わせればこれは微笑ましい講義だった。

風邪を引きそうな宙ぶらりんのままこれ以上酷くならないように鼻の奥がツーンとなってクシャミと涙が出そうになるのを騙し騙し寝床の温かみの中で読むのに本号は適している。

読んだのは

1) 全文掲載  最終講義          内田樹           192P
2) 対談  イソノミアと民主主義の現在    柄谷行人・山口二郎      208p
3) ドフトエススキーの予言  第23回    佐藤優            242P
4) 創作  ジュージュー          よしもとばなな          10p


1,2,3は今までにそれらの人たちの著作にはある程度親しんで読んでいるから別段驚きはないものの、こんな風邪引き親父を驚かせたのは「よしもとばなな」だった。 オランダに越してくる1980年にオランダに越しても取り寄せで読もうと思っていた作家が3人いる。 大西巨人、中上健次、古井由吉の三人だ。 それから30年経つ。 

よしもとばなな、とここに書かれているけれど当時は「吉本ばなな」ではなかったか。 80年代中ごろから親しんでいた福武書店の文芸誌「海燕」の美しい装丁に包まれてデビューしそこで読んだように記憶している。 そこで「キッチン」や「うたかた・サンクチュアリ」を読んだ記憶はあるがそれ以後のものは題は覚えているが読んだ記憶はない。 なんせ自分も若い四半世紀も前のことであるし彼女の舞台は自分の興味の外でもあるので単に当時の「短小軽薄」時代の産物だと思っており、その後イタリアで日本の小説としては爆発的に読まていると聞いたのは90年代の中ごろではなかったか。 それが日本から海外に輸出できる小説だというので苦笑しつつそんなものかと思ったのだが今は当時から徐々に読まれている村上春樹がノーベル文学賞をとるかどうかが日本のマスコミで喧伝されるようでまさかそんな時が来るとは思いもよらなかった。 それが実現すればノーベル文学賞もきつい皮肉・冗談が出来るほど成長したものだと少しは苦笑とともに見直されるかもしれない。 

村上とよしもとは違うかもしれない。 例えにそれは男と女の違い、と言ってみる。 「ノルウエーの森」の巻頭、主人公の駄目さ加減と本作での主人公、みっちゃんと呼ばれる美津子の姿に体現されるようだ。 初めの数作以後は読まなかったものの誰かの要約で当時、吉本ばななのものは欠落家族がよりそい、そこに秘儀のような不条理ななにかが作用する、というように言われて、そのようなものか、と思った記憶があるのだが、本作にもそのような兆しはあったものの当時の印象からは大きく違っている。 不条理とか不思議なものの温度差のようなものだろうか。 それから四半世紀も移りここに来て大分暖かくなっているように感じるし、それが女の熟成とでもいうのだろうか。 男は熟成すると往々にして妙に屈折する。 ベクトルは違うようだが本作と山田詠美の「ぽんちゃん」シリーズには似たような温度があるように感じる。 「妊娠小説」で男に目を開かせた斎藤美奈子なら本作をどう評価するのだろうか。 若い女性は村上とよしもとの両方を懐にかかえ甘い幻想は村上から、現実的な夢をよしもとからたくましく消費するとでも書くのだろうか。

それにしても本作を巻頭にもってくる文学界にも何か思うところがあるのだろう。 本号連載の藤沢周、鹿島茂、島田雅彦のものはもうこの2年ほどか一挙に半年分づつを読む程度で前のものはもう忘れているからそのうちまた何号かを纏めて読まねばならないと思うものの不精がそれを妨げている。 長らく読んでいない花村萬月も本号には連作のものが載っており、「王国記」の連載があったのはもう何年前だ、そういえばあれも完結したのかどうか、どちらにしても終わりまでは読んでいないなあ、と頭の上を茫と眺めるほどなのだが自分の読書生活もそのように腰が抜けたようになっている。


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