暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

木を伐る (1) 11年前に比べると、、、、、

2016年02月24日 03時20分48秒 | 日常

 

2016年 2月 22日 (月)

24年前に引っ越してきた時にはなかった木を伐った。 何もせずともどこから来たのかドングリから芽が出てそのまま放っておいたら屋根の上まで伸びたのだから12m程だろうか。 夏には路上駐車している車の上に 大きな影を作り何時乗っても涼しかった。 夏の暑い時に時々年寄りが立ち止まって涼をとっていたこともある。 無から12mというのを身をもって体験したのは初めてだ。 いわば我が家の歴史を見て来た木なのだ。 周りの人々は前庭には大きすぎるだの、大きくなりすぎれば大風の時に倒れて思わぬ被害を被りかねない、今のうち、というのをこの2,3年聞いたけれど建物の陰になってオランダではいつも吹いている西の風はここには来ず揺れる恐れはない。 けれどここに来て歩道と庭の低いレンガのしきりに罅が走ってきた。 根が張って歩道のほうに伸びそのうち舗道の敷石を持ち上げることになるのだろう。 そういうところは町のあちこちにあり歩行、とくに乳母車や老人が乗る電動カートには障害となる。 だからここに来て仕方なく伐れ伐れコールにゴーサインを出した。 

甥の一人はオランダ陸軍から消防士になって地元の消防署で働いている。 嵐や何かの時には倒木の処理をする。 だから木を伐るのに慣れていて先日家人が伐ってくれないかと頼むと二つ返事で引き受けてくれた。 休みの日に消防署からチェーンソー一式を持ってきて伐ってやるからその代わり伯父さんの日本食を喰わせてくれと言ったらしい。 家人は二つ返事で合意して今日雨が上がった鬱陶しい空の下、どの辺から伐ってほしいか尋ね胸の辺りに切れ目を入れて舗道のほうに倒した。 あっけないほど早かった。 隣にその旨言ってあったから車は他のところに駐車してあり広がった枝が被さる恐れはないように開けてあった。 我々は車道に車が来ないように見張っていた。  意図した方向にちゃんと倒れるかちょっと心配したけれどそこはプロで慣れたもの、難なく狙い定めたところに倒し後は太い枝をチェーンソーで払い我々はその枝を前の芝生にエンヤラと引っ張っていったらそんな長い枝の大きな山が二つ出来ていた。 直径30cmほどの幹はいくつかに切りその一つは何か月か乾かしておいてそのうち何かの形に彫ろうかと取っておいた。 家人も同じように太い幹、枝で何か造るつもりのようだ。 一渡り格好を付けて後は何日かで残った枝を整理すればいい、と思ったより早く伐れたことに喜びうちの中に入り、この間ウオーキングのときに土産に買って来たグルテン抜きのビールを3人で飲んだ。

この家で太く高い庭木を伐ったのはこれが2回目だ。 前のは7,8年前だっただろうか、どんな具合だったのだろうか、憶えているのは色々面倒な書類のことで何か月もかかって伐ったのだし、一番骨だったのが根を掘り起こすことだった。 それに比べると木を倒すことなど何のことはない、とその体験を骨身に沁み込ませていた。 細かなことは覚えていないし、当時の写真もあるかと古い日記を繰ってみた。 するとそれはもう11年も前のことで今更ながら時の経つのが早いのに驚いた。

 2005年3月から11月まで7回に亘って庭木を倒すと題して下のように書いているのだが写真が見当たらない。 写真は撮っているはずだし撮っていたのなら載せているはずなのに見当たらないのはどうしたことだろうか。 テキストはメモリーには大して影響がないのだが写真は容量を喰うから古いものは消してしまっているのだろうか。 それにしても今に比べると色々とごちゃごちゃ細かいことを書いているような印象を受ける。 写真がなくテキストだけならこうなるのだろうか。

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 考えてみるともう11年になるとは早いものだ。 ついこの間だと思っていたのだが今では記憶の断片、その時の穴の大きさなどの残像を思い出せるだけであとは忘れてしまっている。 だからこの日記の機能でもある、後々当時のことを思い出すためのメモ代わり、とする目的は果たしていると思う。 

しかししつこくウダウダといろいろ書いているものだなと思ったのだし、もう11年前には定年準備の週18時間勤務が始まっていたことにも今更ながら驚き、定年へのソフトランディング(軟着陸)の長さに7,8年だとおもっていたものがそんなものだったのか、だから去年定年になったときには今更落ち込むこともなく毎日が面白く、人から仕事が恋しくないかと尋ねられることが不思議だった。 今これで30歳若ければ何も言うことが無いのだが筋力、体力、持続力が無くなってきている今、こういう慣れない作業には息が切れる。 

飲みながら何かを摘まみながら甥と喋っていた。 甥は家族の若い者と知り合いの10人ほどで去年モンゴルを2か月ほど歩いて来ている。 そしてモンゴルと中国国境の4000m以上の峰に登って戻ってきた。 4年ほど前に幼稚園からの幼馴染の彼女と1年半ほどリュックを担いで世界を一周してきている。 夏はどうするのかと訊くと父親・弟・義理の兄・兄の友人10人ぐらいでサイドカーつきオートバイ何台かでノルウェーのオスロから北上し北極圏に入りオーロラを見に行くんだと言った。 テントを積んでキャンプ生活になるとも言う。 それに来年はキャンピングカーを借りてアメリカ大陸のボストン、ニューヨークやシカゴにミシシッピー河を2つ半になる息子と彼女の3人で下る計画があると付け加えた。 なるほど陸軍にいた時激寒のノルウェーの原野で鍛えられているので何処へでも行ける下地はある。 

来年と言うと甥の息子は3つ半になる。 もう30年以上前に初めて甥を見たのは4つ前で生まれた時から心臓弁膜に穴があり普通より小さく血色も悪かった。 4つになるころ何時間にも及ぶ手術に耐えられるようになったと地元の病院で手術を受けた。 その後の成長は190cmにもなって軍隊、消防士、あちこちへの旅行と普通より育ったのではないか。  自分はいわば今日伐った木のように成長する甥を見てきて今その子供がその時の甥とはまるで違った元気な姿であちこち走り回るのを見てはその世代の変わり方に月日の経つのは早いものだと今更ながら年寄りの感慨に浸る。