暇つぶし日記

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同棲から結婚へ?

2016年02月11日 14時32分23秒 | 想うこと

 

 

ネットのニュースで「アラフォーカップルの約8割が同棲~結婚観の男女差に衝撃」と題された記事を最近読んで自分の若い頃のことと考え合わせて思うことがあった。 もとの記事は下のものだ。

http://www.yomiuri.co.jp/matome/archive/20160122-OYT8T50023.html?page_no=2&from=yartcl_page

ヘッドラインとして次のような構成だった。

 

1)同棲が「結婚しよう」につながらない

2)同棲は男性のメリットが大きい

3)振られるか、全面降伏での結婚か

 

それで自分の同棲・結婚を経て33年付き合って来た家人との経緯を思い出し、日本の今のアラフォー男女との違いを考えてみた。 自分が結婚したのは38の時だった。

30の時日本を出てオランダに来た。 大学卒業後25で大阪の小さな貿易会社で輸入を3年半ほど担当した後退社し、大学の時に知り合ったアメリカ人でオランダの大学で教授だった人に誘われて地位は不安定ながら見通しがつかないままオランダに来た。 多分居ても2年ぐらいだろうと思って出た。 母は日本を出るとき、金髪はいややよと言った。 大都市があまり好きではなかったこともありオランダの北の州都にある大学だというのでそれなら丁度いい、ゆったりした田舎で情報収集にも不自由しなさそうでもあることから承諾したのだった。 もしこれが欧米のロンドン、パリ、ベルリン、ロスなどの大都市にある大学だったら断っていただろうと思う。 皆はアメリカに行けばいいのにと言ったけどアメリカには行く気がしなかった。 落日のヨーロッパなら将来日本もそうなるのだろうから今ヨーロッパを見ておけば将来の予行演習になるとも言った。 そして自分の予想よりはるかに早く日出ずる国の沈み方が早かったのには驚いている。

オランダに来て3年ほど経ち、知り合ったオランダ女性と住み始めた。 30前後では普通のことである。 後年自分の子供たちも大学に入り家を離れそれぞれ自分たちの部屋を持つようになると他の学生たち、いや学生に限らず一般の若者と同じく友人、恋人をつくり、つかず離れず、また合意すれば一緒に住み始める。 学生ではあまり一緒に住むということをせずそれぞれの下宿を行ったり来たりする、といった風だ。 当然高校生になれば大抵は「大人」となり同性・異性と親密な「性」関係も経験する。 けれど高校・大学ではまだ性関係を含んだ個人と個人の親密な関係を紡ぐのに一生懸命で長期的なビジョンもなく、ただ若さとそこから派生する愉しみを消費するのに精一杯であり、「性」関係が結果するものには意識が十分行くとは思えない。 

継続的な「性関係」を結んで一緒に生活することにどんな社会的、精神的、文化的な意味が派生するのだろうか。 オランダでは敬虔なキリスト教信者を除いて60年代・70年代以降は婚前交渉はタブーでもないし特にそのころ、いわゆる北欧の「フリー・セックス」を経験している今の「開けた」老人たちにはセックスは結婚・未婚を問わず人生の要素の一つでしかないとみなされて婚前交渉についての禁忌的モラルはほとんどない。 宗教に基づく禁忌のない日本ではそんなモラルもなく今ではなし崩しに性関係を結ぶと聞く。 ただこちらの若者でも何かの理由で婚前交渉を忌避するという人たちは稀有な例としている。 健康な若者であれば性の欲求があるのは当然で、それが異性、同性に向き、同性愛も権利としても文化としても社会に受け入れられてきているところでは性を巡る考え方はこの50,60年で大きく変わってきていると言える。 だからそれは社会の変化に影響され社会の変化となり結婚観にも影響している。 

20代あたりから大人の男女が同棲しても誰からの束縛もない。 それは個人同士の関係であり親といえども影響はできても強制はできない。 ただ、人種、文化、階級、宗教、家産の多寡などによって親、家族の影響の強弱はある。 けれど一番大事なのは当人同士の「愛」である。 自分が大学生だったころ、「同棲時代」というマンガが流行り自分の周りでも何人かそういうカップルはいた。 けれど彼らは大抵親の認知を必ずしも得られているとはいえず本人はそうでなくともその親たちは世間に対して肩身の狭い思いをしていたような風がある。 それは今の日本では多少とも変わっているのだろうか。 当時の印象では同棲というのは世間の裏で隠れるようにして暮らす不安定な関係に見えた。 経済的基盤が不安定なカップルが多かったのではないか。 例えば関係がしっかりしていれば結婚式はともかく「籍を入れる」ということはしていただろう。

唐突だが自分は日本語の「愛」という漠然とした言葉が分からない。 「愛」には幾つもの貌があるようだ。 何を「愛」といい、どういう種類があるかということでも議論があるだろう。 一緒に住もうかと言う若い二人の間の「愛」というのには青年以降長く二人で住んできたカップルに比べて「性愛」が占める部分が多いように思える。 つまりホルモンのなせる業でありそこに惹きあう何らかの磁力が様々にあり、セックスというものが関係性を巡る重要な部分を占めるように思う。 けれど熱く燃えた「性愛」も生物学的には長く続かないようだ。 だからそこに現れて来る「一緒に住む」という期間が長くなると性愛の割合が少くなることは確かであるけれどそれまでに他の関係性が発生しそれが育まれたり齟齬からヒビが入り、徐々に今まで見えなかった違いが明らかになるにつれそれをどう扱うかということが「燃えた情熱の性愛期」からそれ以後の関係を規定するものとなるのだろう。 

自分の場合ではそれまで二人でさしたる定職もなくぶらぶらしていて向うの両親に会った。 普通のオランダ人でプロテスタントではあるけれど父親にとっては自分は旧敵国の人間でその頃日本人の学生がパリでオランダ女性を殺して喰ったという事件があった頃だけれど親しく接し、それからは1年に2,3度会っては生家の彼女の部屋で一緒に泊まりもしていた。 それから2年ほどして日本に仕事で旅行した折、自分とは別に彼女も日本の知人を頼って来日し大阪で合流し田舎の村の母親に会うことになった。 電話で行くというと、結婚式は挙げたのか、籍はどうしたというので、結婚なんかしてないし考えてもいないというとそれなら来るな、と言った。 もう何年も家に帰らず女を連れて帰省するとなると親戚に示しがつかない、と言う。 そんなバカバカしいことはない、それなら行かないと言うとそれまで彼女のことを話していたこともあって、それならお前たちが勝手に向うで結婚式を挙げて帰ってきたことにする、だから披露宴だけだ、お前たちは招待客としてただ来て坐っていればいい、と言われた。 どこで手配したのか親戚一同、村の同級生、高校の教師、友人を何十人か集めて地元の料亭でそんなことをした。 村では結婚したということが大事なのだ。 親の体面を親が自分で保つ場面に接し親不孝を感じたがそれに感謝しつつも今の結婚という制度のもつ強制力・束縛力を感じないではいられなかった。 我々はその後数年経って結婚することにした。 それは意外な角度からその制度にはいることになったからだ。 

今の職を得てハーグに引っ越し今まで通りの生活をしていて家人が子供が欲しいと言うので作ることにした。 我々には結婚と言う制度には関心がなく互いが納得できなければそれが我々の関係の終わりだと考えていた。 だからアラフォーに入りつつある自分たちには周りから見聞きする不確定要素を考慮に入れて間接的に経験する離婚の煩わしさには関係したくなく、そうならば「結婚」と言う制度の中になく実質的に結婚と変わりない生活を続けて行けばいいと考えた。 オランダ民法に置ける法的地位、社会福祉、税金等では入籍しているカップルたちとの格差はなかった。 それに自分たちの周りに何人も結婚しないで子供を何人も持っている様々な年齢のカップルがいてあるとき50近くになって何かの理由で結婚する人たちもいた。 そんな社会的や法的に格差のない我々に結婚する契機になったのはただ事務的な理由でしかなかった。 結婚していないで子供ができるとその籍、福祉手続きなどの書類が、殊に子供たちが学校にはいるときを頭に量を増して煩雑になることがわかり、その煩雑さを防ぐためというのが我々の結婚の唯一の理由になった。 今はもうそれから30年近く経っているので事務的書類・手続きの簡素化が進んでいるのだろうから「同棲」と「結婚」には法的・社会的な隔たりが殆どないのではないか。 それは同性婚の場合にも似たようなものかもしれない。 このような環境では籍を入れていても入れていなくとも我々の関係は変わらなかっただろう。 むしろ成人してから二人に子供ができ、熟年になりそうしているうちに子供たちが巣立ち自分たちがやがては老いていく中で一緒に住み続けているというところに男と女の関係の変化が当然として認められるだろう。 

結婚について世間で言われることを集めてみる。 「結婚は人生の墓場」、「男は船で女は港、船には戻って来る港がある」、「女は弱し、けれど母は強し」、「昔ギリシャでは男たちの戦いを止めさせるため女は男とのセックスを止めた」、等々  ここまで書いて来てネットで次のような記事に行き当たった。

「なぜ日本の男は苦しいのか? 女性装の東大教授が明かす、この国の病理の正体」 という記事だ。 

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47501

教授自身の経験をもとに男であることを検証し、女装の大学教授は日本の社会に戦後脈々と生き続ける社会病理を解析する。 如何に日本では男が生きにくいか、ということを解説するのだがそれは同時に裏を返せば女も同時に生きにくいということで、特に女性の社会における不平等、それを是正する法の実効的執行が行われず、それゆえ女性には経済的自立が保証されておらず二級市民としてしか扱われていない国ではその中で、ここでは生まれてから抑圧されてきた男も結婚といった関係で帰結する諸問題の解決法が女性装というストレス解消法だったという例が示されている。 日本の男であれば多少とも「男」であれ、とか「男らしく」というような言葉を聞かされて育ったに違いない。 これは世界中で聞かれる言葉でありそこにはジェンダーの刷り込みがある。 つまりこの国では男も女も強い社会からの圧力を感じそれぞれの自立という局面で問題が顕在化してきて継続的な男女関係に影響を及ぼしている、というのが「同棲から結婚へ?」という命題を与えられた時のそれぞれの身の処し方に現れているのだろう。

例えば「男女共同参画」という言葉がこの数年言われ、その部分として育児休暇をとると宣言した男性国会議員のスキャンダルが今メディアを賑わしている。 彼の不倫スキャンダルと彼の育児休暇を取るという主張には何の関係もない。 ことに一夫多妻制の国ならばなんということもない。  男女共同参画というのは男女は互いに助け合う、という普通のことであり、それが職場が絡むとそのような言葉が使われる。 60年代から北欧福祉国家を標榜してきたオランダではごく普通のことである。 国、公共団体、企業にそれを進める体制が十分整っていて実行されていなければ効力はない。 それが男女間の関係に影響することは確かである。 少子化や男女の結婚観、に影響するのは二人を巡る経済的安定とことにその男女の経済的自立の要素が大きい。 もし「生物的発情期」が収まった時二人の関係を継続させる要素になるのは何だろうか。 基底をなすものが経済的安定だとして、それに加えてどちらがどちらに何を頼るのか、一緒に生活していくうえで親和力に基づく意思の疎通の有無などが考えられるが、畢竟結婚観に関して男女差、という表題で明らかになっているのは、男女間の思惑、男女の置かれている社会の機能不順の影だろう。

同棲・結婚を通して自分の関係を考えてみると必ずしも順調な道ではなかった。 ただ裕福ではないものの経済的安定とそれぞれが自立できるだけの基盤を持っていたので経済的に一方が一方に頼るということもなく、家事・育児の男女の共同参画ということではオランダの我々の年代と同じようにやってきてそれぞれの仕事を持ち家事・育児のなかで関係性が緊密になっていくプロセスを辿った。 子供たちが小学校に入ったクラスでは親の半数ほどが離婚・再婚をしていた。 ここではその理由はほとんどが個人と個人の性格からくる齟齬によるものであって本文のニュースの記事から論じられているところとはかなり性格を異にしているように思う。